"最後の上映会" 第1話
昭4910、関のあいにある町では、夕方になると急にがたくなった。駅から続く杏通り商には、百、履物、計、堂など40軒ほどのが軒を連ねていたが、が暮れるからシャッターをろすも増えていた。
商のほどに、造2階建ての古い映画館があった。正面にはのをかたどった飾りが掲げられ、そので「座」とかれた板がにさらされていた。塗装は剝がれ、夜になると板を照らす球の半分しか点かなかったが、町の々は昔と変わらず、その建物を座と呼んでいた。
館主の清治は58歳だった。戦もない昭23、父親が物置同然だった芝居を買い取り、映画館へ改装した。清治は20代で映写技師となり、父親がくなってからは妻の文子と2で座を守ってきた。
最もにぎわったのは昭30代だった。休には館から列ができ、子供たちは握りしめた銭を何度も数えながら、冒険映画や漫画映画が始まるのを待っていた。夜の回には帰りの若者が詰めかけ、180ある客席がすべて埋まることも珍しくなかった。
映写から客席を見ろすと、煙の煙がい幕のように漂っていた。笑い声、すすり泣く声、菓子の袋をける音が暗のでなり、映が終わるたびに々は映画の結末を語りながら商へ流れしていった。
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しかし昭40代に入ると、庭へテレビが普及し始めた。町からしれた国沿いには型ができ、若者たちはで県庁所のしい映画館へくようになった。座の客席はしずつ空き、映写の回転音だけが館内に響く夜が増えていった。
文子が病気でくなったのは昭46のだった。切符売りに座り、客の顔をほとんど覚えていた妻を失ってから、清治はで映画館を続けてきた。姉のから伝いに来る姪の子や、映写を補助するの正夫に支えられたが、赤字を埋めることはできなかった。
昭491025、座は最の映を迎えた。映作品は、10以にこの町で最もくの客を集めた族映画だった。作を仕入れる余裕がなかったこともあるが、最くらいは町の々が覚えている作品を流したいと、清治自が選んだ。
午6の最終回に集まった客は38だった。かつて毎週通った老、子供の頃に座で映画を見た商主、学帰りの学たちが、好きな席へ散らばって座った。入料を払おうとする客へ、清治は「今はもういい」と首を振った。
映が始まる直、正夫が映写で清治へ尋ねた。
「本当に、これで終わりなんですか。だけでも続けられませんか」
「映画はフィルムを回せば終わりじゃない。
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配会社への支払いも、気代も、建物の修理もいる。もう、この館に無理をさせすぎたよ」
清治は古い映写の側面をのひらで撫でた。修理をねた械には、黒い油染みと細かな傷が残っていた。父親の代から使ってきたものではなかったが、清治にとっては族と同じほどいを過ごした相だった。
最の映画が始まると、映写の窓から本のが伸びた。清治はいつもどおりフィルムの状態を確かめ、音のずれがないかを澄ませた。何千回も繰り返してきた作業なのに、その夜はつつの作が別れの儀式のようにじられた。
エンドマークが映り、客席の照が点いた。客たちはすぐにはちがらなかったが、やがてずつ清治へをげ、古い玄関からへていった。最まで残った百の柴田が、「ここで女と初めて会ったんだ」と笑い、目元を袖で拭った。
全員を見送った、清治は客席の央にった。破れかけた赤い座席、壁に残ったポスターの跡、文子が毎朝磨いていたすりを順番に眺めた。暗いスクリーンには何も映っていなかったが、清治の目には過の観客たちがまだ座っているように見えた。
「かったな」
誰に聞かせるでもなく呟くと、清治は玄関の照を消した。正夫と子を帰した、最にのが付いた扉へ鍵をかけた。
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