こんにちは、小僧ですぞ〜(ぺこり)
最近のお寺の朝は、ウグイスが鳴き、風がふわっと吹いて…気持ちよくて二度寝しそうになったのじゃ(師匠にバレたら内緒じゃよ〜笑)
でもね、ふとSNSをのぞいたら——
「なんでこんなに疲れるんだろう」
「周りが全部“正しい人”に見えて、自分だけ間違ってる気がする」
そんな声がたくさん見えて、小僧、ちょっと胸がぎゅってなったのじゃ。
実は小僧もね、「ワシってちょっとズレてるかも?」って思うこと、めちゃくちゃあるんじゃよ。
読経中に自分だけ音が外れたり…(あれ、今なんの段だったっけ?って…ぷぅ〜)
みんなと同じようにできないと、「あれ?自分だけおかしいのでは…?」ってなるんじゃ。
でも最近、小僧はこう思うようになったのじゃ。
「そう思える自分、けっこうまともかもしれんぞ」ってね。
ということで今日は、
「自分が間違ってるかも…」と感じやすい優しい人のための、“正しさ疲れ”を軽くする心得
小僧なりに3つ、まとめてみたのじゃ🍵(座布団にすわり直し)
小僧の周りにもいたのじゃ。
「これが正しい!」「キミはズレてる!」って、まるでお経の句読点みたいに言い切る人…(ずっと喋ってて呼吸どこ?ってなるやつ)
でもね、師匠が言ってたのじゃ。
「《退散経》曰く:正しさに固執する者は、自分を見失う」
つまり、「自分は絶対正しい!」って人ほど、他人の話を聞けなくなってしまうのじゃ。
小僧、昔それにムキになって「でも小僧は…!」って言い返して、やけに疲れたことあるのじゃ(あとで鼻血出た…なんで?笑)
だからね、そういう人には"合掌して静かに離れる"のが一番平和な道なんじゃ。
無理に説明しなくてもいい、説得しなくてもいい。
お互い違う山に登ってるのじゃ。
施主、「変かも?」って思える人は、ちゃんと自分を見てる証拠なんじゃ。
なぜなら、それって“変化”を感じられてるってことじゃから。
小僧も最初、お経の時間が長すぎて途中で「タヌキのこと考えてたな…」って落ち込んだことあるのじゃ。
でもそれに気づけたから、次の日は集中する工夫をしたんじゃ
「あれ、自分ちょっと変かな?」って気づける人ほど、ちゃんと軌道修正できる心を持ってる。
それって、すごく大事な能力じゃと思うのじゃ。
正しさって、時にとっても冷たいのじゃ。
「何が正解?」「これでいい?」って考えすぎて、心がぎゅーって固くなるんじゃよ。
そんな時、小僧がよくやるのが——
「心の湯たんぽ」作戦。
つまり、正しいかどうかじゃなく、「あったかいかどうか」で考えるんじゃ。
たとえば、
・この言葉、正論だけどチクっとする→ちょっと置いとこ
・この人、間違ってるかもだけど、寄り添ってくれてる→ありがたく受け取る
小僧的には、「正しい」より「やさしい」の方が、人生では長持ちすると思うのじゃ(ほかほか〜)
この画像の言葉、すごく深いと思うのじゃ。
「自分は変かも…と思えるくらいが正常な人で自分は正しい!と思い込む人ほど本当はヤバい」
小僧、これを見て思ったのじゃ。
"揺れる心"って、悪いことじゃないんじゃなって。
むしろ、「変かな…」「ズレてるかな…」って思える優しさがあるからこそ、他人の痛みもわかるし、自分を見つめることもできるのじゃ。
だから、もし今「自分っておかしいのかな?」って思ってる施主がいたら——
**小僧がそっと伝えたいのは、「その心、大切にしていいのじゃよ」**ってことなのじゃ🍃(光頭なでなで)
いつも正しくなくていい。
ちょっとズレてるくらいが、ちょうどいい。
それが人間らしさ、なのじゃ〜(ニッコリ)
施主も最近、「自分だけヘンかも?」って、もやもやしたこと…あったのじゃ?(小声で耳を寄せる)
コメントでこっそり教えてくれたら、小僧もまた語っちゃうかもしれんぞ〜( ̄▽ ̄ )ゞ(ぽりぽり)