"夫の顔と20年目の罪" 第3話
「桜田真です」
その声を聞いた瞬、私は胸が鳴った。
聞き覚えがある。
そうじた。
落ち着いた声。い言葉でも、をさせるような響き。
私は緊張しながらをげた。
「桜田はるかです。よろしくお願いいたします」
相はそれ以、くを語らなかった。寡黙ななのだろうとった。
顔わせは淡々と終わり、その、私たちは入籍した。
結婚式はなかった。
盲目の私が勢の親族のにるのは負担だろうという理由だった。叔父も義両親も、式をしないことに反対しなかった。私自も、まだ状況を受け止めきれず、ただ流されるように頷くしかなかった。
入籍、私は幸恵さんにを引かれて、夫が待つ居に引っ越した。
居はタワーマンションの最階だった。
エレベーターが静かに昇し、扉がくと、広い空の気配がした。窓がきいのだろう。から入ってくる空気が澄んでいて、部全体に放があった。
「まあ……なんて素らしい景なのでしょう」
幸恵さんがわず声を漏らした。
「見えるの?」
私はし笑いながら尋ねた。
「ええ。がずっと向こうまで見えますよ。夜になったら、きっと宝のようでしょうね」
その言葉を聞いて、私はまだ見えない窓の方へ顔を向けた。
いつか見たい。
ふとそうった。
玄関の奥から、男性の音がづいてきた。
広告
「真さん」
幸恵さんがそっと教えてくれた。
私は緊張して背筋を伸ばした。
「あ、あの、真さん。これからよろしくお願いします」
夫はしばらく何も言わなかった。
そして、私のに軽くを置いた。
きなだった。
温かく、優しい力加減だった。
「……ああ」
それだけ言って、夫はをした。
そのい返事と、に残ったの温もりだけで、私の胸はいっぱいになった。
それから夫と幸恵さんは、私の荷物を運び入れ、部をえてくれた。どうやら、私と夫は別々の部で過ごすことになるようだった。
科医の夫は忙しく、急患対応で夜にをびすことも珍しくない。そのため、私の体調に配慮して別にしたのだと幸恵さんは説した。
私はソファに座り、2が荷物を運ぶ音を聞きながら、夫のの温もりをいしていた。
実は、20。
私は度だけ、桜田真に会っていた。
事故で失し、桜田病院に入院していたのことだ。
母を失い、を失い、絶望で毎泣いていた私の病に、あるが訪ねてきた。
彼は、自分のことを院の息子だと名乗った。
「医者になるために勉しているんだ」
そのはたまたま用事で病院に来ていたらしい。
彼は翌も病を訪ねてきた。
そして、束をくれた。
「これはガーベラというだよ」
彼の声は、まだ若かった。けれど優しく、し照れたような響きがあった。
広告
「言葉は、自分で調べてごらん」
そう言って、彼は私のを撫でた。
「たとえ失しても、はまだこれからだよ」
その言葉に、私は初めて泣き止んだ。
彼とはそれ以来、会うことはなかった。
けれど、彼のよい声と、きなの温もりは今でも覚えている。
彼からもらったガーベラは、幸恵さんに頼んで何枚か押しにしてもらった。今でも私の切なお守りだ。
まさかその彼と結婚することになるなんて。
運命というものがあるなら、こういうことなのかもしれない。
そうっていた。
そのの私はまだ、目のの結婚がどれほどい嘘で包まれているのか、何もらなかった。
「はるかお嬢様。お部の準備がいました」
幸恵さんの声に呼ばれ、私はソファからちがった。
居のは滑らかで、音がさく響いた。幸恵さんが私のを取り、寝まで案内してくれる。具の位置、ベッドのさ、ドアまでの距。彼女はつひとつ丁寧に説してくれた。
「今の夕は、真様が用してくださるそうですよ」
「真さんが?」
私は驚いて顔をげた。
「ええ。私はこれで帰らせていただきますが、何かございましたら慮なくお呼びくださいませ」
実で暮らしていた頃、幸恵さんはみ込みだった。けれど結婚は通いにしてもらっている。とはいえ、同じマンションの別の階にんでもらっているため、困ったことがあればすぐに駆けつけてくれる距ではあった。
広告
おすすめ作品
-
完結第13話
エレベーターの7時間
5月7日。 東京の大型デパートで突然の停電が発生した。 妊娠6か月の雪は、8人の乗客とともにエレベーターへ閉じ込められる。 救助が来るまでの7時間、彼女は自分の命よりも先に、高齢者や子供たちを守り続けた。 しかし、扉が開いた瞬間―― 救助隊長である夫・明が最初に抱き上げたのは、妻ではなく元恋人の桜だった。 「私と赤ちゃんは、もう彼を待たない」 意識を失う直前、雪が救助隊員へ託した結婚指輪と最後の言葉。 その日から、夫婦の関係は完全に崩れ始める。 なぜ明は、命の危険にある妊娠中の妻より、別の女性を選んだのか。 そして、10年間信じ続けていた桜との“過去”には、誰も知らない秘密が隠されていた。 救助記録と証言が明らかにした真実。 それは、雪が失ったのは夫だけではなく―― 自分を守るはずだった家族そのものだった。夫婦2.0萬字5 6 -
完結第14話
一杯の鍋が変えた人生
柏優太は、職場でのパワハラが原因で心を壊し、半年間ほとんど誰とも話さず部屋に閉じこもっていた。 そんなある日、隣に引っ越してきた母子3人の姿を見かける。 「何も買えなくてごめんね」と泣く母親と、空腹を我慢する子供たち。 過去に大切な友人を救えなかった後悔を抱えていた優太は、思わず声をかける。 「よかったら……うちで鍋しませんか」 一杯の鍋をきっかけに、孤独だった男と傷ついた母子の人生が少しずつ変わり始める。 しかし、温かな時間の裏には、母親が隠していた過去と、子供たちを取り戻そうとする元夫の存在があった。 誰かを救おうとした優太が、実は自分自身も救われていた――。 小さな優しさから始まった、再生と家族の物語。人生逆転|第二の人生|親子関係2.2萬字5 88 -
完結第11話
一つの証拠が暴いた8年間の嘘
八年前、誰にも期待されず、孤独な海外勤務へ送られた男――朝倉洋一。 灼熱のインドで技術を磨き、ただひたすら努力を重ねた彼は、八年ぶりに日本へ帰還する。 しかし、待っていたのは栄光ではなく、同僚からの侮辱と冷たい視線だった。 そんな彼の前に現れたのは、かつて突然姿を消した初恋の女性・七瀬美咲。 「契約の鬼」と恐れられる彼女が、なぜ一介の技術者である朝倉だけを選んだのか――。 やがて社内で発生した機密情報流出事件。 犯人に仕立てられ、すべてを失いかけた朝倉を救ったのは、遠い異国で築いた一つの友情だった。 裏切り、嫉妬、そして八年越しの想い。 忘れられた男の本当の価値が、今、世界を変える。因果応報|人生逆転1.7萬字5 79 -
完結第11話
退職金より失ったもの
「退職金は俺が39年間働いて得た金だ。お前には1円も渡さない」 定年を迎えた夫の一言で、39年間家族を支えてきた妻・佳代の心は静かに壊れた。 夫は、家事も育児も介護も、妻がしてきた全てを「家にいただけ」と言い切った。 しかし翌朝、佳代が残した青いファイルを開いた夫は、初めて知らなかった事実を目にする。 そこには、39年間の家計の記録と、誰が何を支えてきたのかを示す証拠が残されていた。 「では、全部清算しましょう」 妻が選んだのは、夫の退職金を奪うことではなかった。 夫婦として積み重ねてきた時間、その価値をもう一度問い直すことだった。 2760万円の退職金よりも先に、夫が失った本当のものとは――。夫婦|退職金|金銭問題|熟年離婚1.7萬字5 189 -
完結第12話
DNA鑑定が暴いた元夫の大きな間違い
出産直後、山野リサは義母から「生まれた娘は本当に息子の子なのか」と身に覚えのない不貞を疑われ、さらに夫・ただしからも信頼を裏切る言葉を浴びせられる。DNA鑑定で親子関係が証明されても、二人は過ちを認めず、リサと幼い娘カナを家から追い出してしまう。 絶望の中、実家へ戻ったリサは両親の支えを受け、母として娘を守る決意を固める。努力を重ねてキャリアを築き、カナと共に幸せな人生を歩んでいた。 8年後、華やかな企業パーティーで再会したのは、落ちぶれた元夫と元義母だった。一方、成長したカナは優秀な少女へと成長し、リサには新たな人生を共に歩む大切な存在がいた。 かつて母娘を捨てた二人は後悔し、許しを求める。しかし、リサは過去に向き合い、毅然と決別する。 愛する娘を守り抜いた一人の母が、傷を乗り越え、本当の家族と幸せを手に入れる再生の物語。嫁姑|真相1.8萬字5 41 -
完結第13話
余命半年からの再出発
余命を告げられた日、夫は離婚届を置き、息子も「必要なことがあったら連絡して」と距離を置いた。 58歳の桐谷佳代子は、病気だけでなく、33年間築いてきた家族まで同時に失った。 誰もいない台所で一人分の味噌汁を作りながら、絶望の中にいた佳代子だったが、病院で出会った人々との縁をきっかけに、少しずつ自分の人生を取り戻していく。 治療、離婚、家を失う危機。 それでも彼女は、針と糸を手に取り、病気と向き合う人のための帽子作りを始める。 家族に必要とされることでしか自分の価値を感じられなかった女性が、人生のどん底から見つけた本当の生き方とは――。人生逆転|夫婦|第二の人生2.0萬字5 167 -
完結第14話
返されなかった合鍵
25年間、誰にも知られず借り続けられていた203号室。 夫の葬儀の日、見知らぬ女性から渡された一本の合鍵が、妻・千鶴の人生を大きく揺さぶる。 亡き夫はなぜ、家族に隠れて古い部屋を借りていたのか。 そこに残されていたのは、31本のカセットテープと、一人の少女の思い出だった。 最初は裏切りだと思った秘密。 しかし調べるほどに明らかになる、夫が25年前に背負った約束と、誰にも話せなかった苦悩。 守ることと、信じること。 家族を思う気持ちと、誰かを救おうとする気持ちは、時にすれ違ってしまう。 一つの合鍵から始まった真実の先で、千鶴が見つけたものとは――。人生逆転|相続|修羅場2.0萬字5 51 -
完結第12話
泥まみれの客と黒塗り5台
土砂降りの夜、タクシー運転手の佐藤美咲は、泥だらけで道端に立ち尽くす1人の老人を見つけた。 他のタクシーは、車が汚れることを嫌って次々と通り過ぎていく。中には、老人をあざ笑い、泥水まで浴びせて走り去る運転手もいた。 月末までにノルマを達成できなければクビ。幼い娘の手術を控え、仕事を失うわけにはいかない美咲も、一瞬だけ迷った。 それでも彼女は車を止める。 「シートなんて洗えばいいんです」 そう言って老人を乗せ、傘を差し、温かい缶コーヒーを手渡した。 しかし翌朝、美咲を待っていたのは、汚された車両と突然の解雇通告だった。 泣き崩れる彼女の前に、5台の黒塗りの車が営業所へ現れる。 昨日の泥だらけの老人は、いったい何者だったのか。 たった1本の缶コーヒーが、彼女の人生を大きく変えていく――。因果応報|人生逆転1.8萬字5 17 -
完結第12話
200円の家族
23歳の大学生・高橋翔太は、感情を捨てたように生きていた。 友人の誘いも断り、食事も会話もすべてを「合理的かどうか」で判断する日々。そんな彼が、ある日ファミレスで会計できずに困っている母子と出会う。 所持金は300円。小さな娘を連れた母親は、夫に貯金を持ち逃げされ、住む場所さえ失っていた。 翔太は不足分の200円を支払い、さらに母子を自分の部屋へ連れて帰る。最初はただの合理的な判断。そのはずだった。 しかし、温かい手料理、少女の「ありがとう」、そして夜中に聞こえた小さな泣き声が、5年間閉ざしていた翔太の心を少しずつ揺らしていく。 なぜ彼は笑わなくなったのか。 なぜ「感情は判断を誤らせる」と言い続けるのか。 助けたはずの母子との出会いは、やがて翔太自身が封じ込めてきた過去を呼び覚ましていく――。因果応報|人生逆転1.9萬字5 4