"名前のない弁当箱" 第1話
昭28の、京・墨田の裏には、空襲で焼け残ったとしく建てられたバラックが肩を寄せうように並んでいた。朝になると、豆腐のラッパや自転のベルに交じり、あちこちの町から旋盤やプレスの音が響き始める。まだ傷痕を抱えていた町は、その音に励まされるように、しずつ常を取り戻していた。
細いを入った突き当たりに、「本鉄所」とかれたの板があった。壁は煤けたトタン張りで、根には継ぎ当てがいくつも残っている。のには井の3か所からが落ちるため、には油の缶や古い洗面器が並べられていた。
従業員は12。扱っているのは農具の部品や建具の具、所のから回ってくるさな旋盤仕事だった。規模はさかったが、古参の職たちはそこで働くことを誇りにしていた。
主の本源郎は、50歳を過ぎたばかりだった。がっしりした体つきで、作業着の袖をいつも肘までまくり、社員より先にへ来てを入れる。社と呼べるものはなく、の隅に置かれた傷だらけの机が、源郎の仕事だった。
「社、またが落ちてきました」
若い員の林武志が井を見げると、源郎は旋盤から顔をげた。滴は図面の置かれた机のすぐ横へ落ち始めていた。
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「図面だけ先にどかせ。俺のなら濡れても錆びん」
職たちは声をげて笑った。源郎は冗談を言いながら自ら根へがり、古いトタン板を針で留めた。ができたら直そうと言い続けて何もたっていたが、械の修理や従業員の料が先になり、根はいつも最に回された。
経理を伝っていた妻の澄は、そんな夫を何度も叱った。
「あなたはのには甘いのに、自分のことになるとひどく雑ですね」
「俺まで派になったら、みんなが寄りにくいだろう」
「派なを着ろとは言っていません。せめて穴のいていない靴を履いてください」
夫婦のやり取りを聞きながら、社員たちはまた笑った。しかし源郎が誰よりも貧しい暮らしをしてきたことを、古くからいる者はっていた。
終戦直、本鉄所には仕事も材料もなかった。注文が途切れ、を畳むしかないとわれた期もある。源郎は自宅の箪笥や澄の嫁入り具を売り、そのでわずかな料を員へ渡した。それでもりないには、庭で育てた芋や配の米まで分けた。
「で苦しむな。腹が減ったら、ここへ来い」
源郎がそう言ったため、職たちは仕事のないにもへ集まった。壊れた械を直し、のを補修し、いつ来るか分からない注文を待ち続けた。
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昭28になると、本の復興とともに注文が戻り始めた。きな利益にはならなかったが、料を決まったに渡せるようになり、昼休みには笑い声も聞こえるようになった。
そんな4のある朝、の入に見慣れない包みが置かれていた。
聞で丁寧に包まれ、麻紐で結ばれた角い包みだった。勤してきた林が拾いげると、ずしりとしたさがあった。
「社、誰かの忘れ物でしょうか」
包みをくと、からアルミ製の弁当箱がてきた。蓋を取った瞬、炊きたての米と醤油の甘いりがに広がった。
には12個のさなおにぎり、焼き卵、里芋の煮物、塩鮭が詰められていた。豪華な料理ではなかったが、どれも12で分けられるよう、同じ数だけ並べてある。
名ももなかった。
「べて丈夫なんですかね」
若い員たちが顔を見わせる、源郎はしばらく弁当箱を見つめていた。蓋の端に残ったさなへこみへ指を触れ、何かを確かめるように目を細めた。
「毒を入れるほど、うちは派なじゃない。昼にみんなでいただこう」
そう言って笑ったが、その声はいつもよりしかった。
昼休みになると、弁当は12に分けられた。卵焼きはし甘く、煮物には姜が利いていた。めても米は柔らかく、空腹だった員たちは黙々とべた。
源郎だけは最まで箸をつけなかった。
「社、べないんですか」
林に尋ねられ、ようやくつのおにぎりをに取った。
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