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"退職金より失ったもの" 第6話

「森川。お、奥さんに本当に1円も渡さないと言ったのか」

「言葉の勢いだ。それに俺が働いて得たなのは事実だろう」

「うちも、似たような話をしたよ」

杉は苦笑した。

「でも、女に言われた。あなたが残業できた夜、私は子どもを病院へ連れてっていた。あなたが単赴任を断れたのは、私が親の介護を引き受けたからだってな」

「妻なら普通のことだろう」

「その普通に、俺たちは甘えていたんじゃないか」

秀治は顔をしかめた。

「おまで女の肩を持つのか」

「肩を持つんじゃない。退職してにいるようになって、初めて分かったんだ。自分の活を自分で回せない男が、を支えたなんて威張っても格好がつかないだろう」

その言葉は、秀治の胸に刺さった。

に戻ると、暗い部たい空気が溜まっていた。郵便受けには公共料の通が詰まり、卓にはみ終えた缶ビールが並んでいる。

佳代がいた頃、は何もしなくてもっているように見えた。

朝になればカーテンがき、聞が置かれ、季節にったが用された。自治会の連絡も親戚への贈答も、秀治が気づくに済んでいた。

それらは自然に起きていたのではない。

佳代が起こしていた。

秀治は初めて洗濯の説を読み、類を詰め込んだ。しかし柄物といシャツを緒に洗い、シャツをい桃に染めてしまった。

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は米を炊こうとして加減を違え、粥のような飯になった。

腹がち、炊飯器の蓋を叩いた瞬、過景が蘇った。

結婚当初、佳代が邪で寝込んだだった。

まだ幼い直が泣き、美紀もしていた。帰宅した秀治は、夕がないことに腹をて、布団で横になる佳代へ言った。

――俺は仕事で疲れているんだ。飯くらい用しておけ。

あの、佳代はのある体で起きがり、台所にった。

秀治はそのことを、今まで忘れていた。

いや、忘れていたのではない。ではない来事として、へ押ししていたのだ。

、美紀から連絡が入った。

「お父さん、は糖尿病の診察でしょう。忘れてない?」

「分かっている」

本当は忘れていた。

病院で検査を受けると、数値が悪化していた。医師から活を尋ねられ、と総菜ばかりだと答えると、厳しく注された。

診察、会計を待ちながら、秀治は周囲を見渡した。

妻に支えられて歩く同代の男性がいた。薬の説緒に聞き、次の予約を帳へき込む妻の姿は、まで自分の隣にもあった。

帰宅しても、「結果はどうだった」と尋ねるはいない。

2760万円の残は、1円も減っていない。

それなのに秀治は、自分がひどく貧しくなったようにじた。

失いかけているものがではないと、ようやく気づき始めたのだ。

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へ移って1かが過ぎる頃、佳代の活にはしいリズムがまれていた。

朝7に起き、縁側で茶をむ。週3は以から勤めていた税理士事務所へ通い、午は買い物や庭の入れをする。

秀治と暮らしていた頃、佳代の予定はいつも夫をに決まっていた。

呂の温度、夕の献。友に誘われても、秀治の事を用してからでなければかけられなかった。帰宅が午9を過ぎると、「寄りが夜まで遊び歩くな」と嫌を損ねた。

今は誰の顔もうかがわず、温かいものを温かいうちにべられる。

ある、税理士事務所の所である岸本が、佳代へ声をかけた。

「森川さん、勤務数を増やす気はありませんか」

「私が、ですか?」

「顧客の帳簿をこれだけ丁寧に見られるは貴です。の指導もお願いしたいとっているんです」

佳代は驚いた。

自分は、補助にすぎないとっていた。秀治から「遣い稼ぎ」と言われ続け、自分の仕事を胸を張って話したこともない。

「64歳の私でいいんでしょうか」

「64歳だからお願いしたいんです。数字だけでなく、その向こうにいるの暮らしを見ている。森川さんの記録には、それがあります」

岸本の言葉に、佳代は青いファイルをした。

秀治には「細かい」「執い」と笑われた記録が、ここでは能力として認められている。

勤務を週4に増やし、佳代は2の指導を任された。

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