みかん小説
本棚

"温泉旅行を贈った夫の本当の目的" 第2話

「本当に……いいの? 博幸さん。こんな価なもの……」

「何を言っているんだ。君が、どれだけこののために尽くしてくれたか、俺が番よく分かっているよ。定に、しは妻孝をさせてくれ」

夫は優しく目を細め、いたわるように私の元を見つめた。指先から伝わる宿泊券の質なみをじていると、にわたって背や肩にくのしかかっていた鉛のような疲労、々の激務による指関節の鈍い痛み、そしての奥底に澱のように沈殿していた孤独が、まるで極の名湯に溶かされるようにすっと消え失せていくような錯覚に包まれた。

の辛抱と献は、決して無駄ではなかった。この器用なだけで、の底では私への謝を忘れていなかったのだ――私は片の疑いも抱くことなく、その嘘で塗り固められた温もりを抱きしめていた。

翌朝、の空が群青からへと移り変わり、根を柔らかな朝靄が包み込む頃、私は支度をえていた。

タンスの奥から引っ張りしてきた、し控えめな紺のアンサンブルに袖を通し、数ぶりに入れをした革のボストンバッグに必な着替えを詰める。鏡を覗き込むと、目尻のじわの奥に、久しぶりの旅への期待で微かにづいた自分の瞳が映っていた。

広告

半。玄関のがり框へつと、そこには驚くべき景が待っていた。

普段の博幸さんであれば、どれほど声をかけても布団からしてこず、朝のを過ぎてようやく嫌そうに起きてくるのが常だった。それなのに今朝の彼は、すでにきちんとしたシャツとスラックスをにまとい、玄関のって私を待っていたのだ。そのには、私が持とうとしていたいボストンバッグがすでに握られている。

「恵美子、配もも確認したかい? 遅れないように、駅までめにったほうがいい」

「ええ、丈夫よ。博幸さん、こんな朝くから起きて見送ってくれるなんて……本当にありがとう」

「何を臭いことを言っているんだ。せっかくの旅なんだから、頃の嫌なことは全部忘れて、いっきり贅沢をしておいで。のことなら何も配いらないから、のんびり羽を伸ばすんだよ」

そう言って私の肩をポンと軽く叩いた博幸さんの顔には、昨夜と同じ、絵に描いたような温な笑みが浮かんでいた。しかし、その瞳の奥が瞬だけ、どこか落ち着きなく泳ぎ、私の背のリビングや廊計を気にしているような気配があった。だが、そのの私は純粋なびに胸を満たされており、その微かな違を「慣れない見送りに照れているのだろう」

広告

と都よく解釈してしまったのだ。

「それじゃあ、ってきますね。蔵庫に常備菜と、温めるだけの煮物を入れてあるから、ちゃんとべてね」

「ああ、分かっているよ。気をつけてな」

カチャリとよい属音をてて玄関のドアが閉まり、私は朝の澄み切った気のへと歩を踏みした。

肺いっぱいに吸い込んだの朝の空気は、驚くほど清らかで、吐きす息がい煙となって空へと溶けていく。見慣れたはずの閑静なの並も、アスファルトに落ちる漏れも、まるでしいの幕けを祝福してくれているかのように輝いて見えた。

ぶりの、誰の世話を焼くこともない、私だけの自由な

私はで夫への謝を何度も反芻しながら、軽なリズムで駅へと続く緩やかなり坂を歩き始めた。角を曲がる際、ふと振り返ると、階の窓のカーテンがサッと音をてて閉まるのが見えた。博幸さんが私の背を見送ってくれていたのだろうか。そううと、胸の奥がじんわりと温かくなった。

ところが、駅ロータリーの通りへ抜ける交差点に差し掛かり、の到着を告げるアナウンスが響き始めただった。

肩に掛けたぶりなハンドバッグのみに、言いようのない軽さを覚えたのだ。

ち止まり、歩の脇に寄ってバッグのファスナーを引く。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: