"最後の迷子放送" 第2話
とだけ答えた。それ以説するつもりはないらしく、すぐに別の客へ笑顔を向けてしまったため、恵子も問い返すことができなかった。
ところが翌、第1曜の午250分を過ぎた頃、同じ婦が本当に現れた。紺の着物、の羽織、古い革の提げまでと変わらず、また「今もお願いできますか」とをげた。
そして午3、同じ放送が流れた。
「京ちゃん。京ちゃん。お母さまが1階案内所でお待ちです」
8にも、9にも、その婦はやって来た。京ちゃんという子どもが姿を現したことは度もなく、婦は毎回10分ほど子へ座ったあと、「ありがとうございました」と言って帰っていく。半が過ぎる頃には、恵子は第1曜になると計を気にするようになり、午250分がづけば、正面玄関の向こうに紺の着物姿を探す自分に気づいていた。
それでも、疑問は消えなかった。
丸百貨の館内放送は、誰かのいのために使うものではない。実際に迷子になって泣いている子どもや、必に探している族が毎週何組もいる以、あの婦だけを特別扱いすることが、本当に正しいのだろうか。
入社して半を過ぎ、仕事にもしずつ自信がつき始めた頃、恵子はとうとうへ尋ねた。
「あの方、本当にお子さんを探しているんですか」
広告
はしばらく答えなかった。案内所の向こうをき交う族連れを眺めたあと、困ったように眉をげた。
「探していると言えば、探しているのかもしれないわね」
「でも、迷子じゃないんですよね?」
「今は、ね」
その曖昧な返事が、恵子にはかえって理解できなかった。
そして次の第1曜、恵子は自分なりに正しいとう判断をすることになる。
それが20以続いたつの放送を、終わらせようとする言葉になるとは、そのの彼女はまだらなかった。
11の第1曜は、朝からたいがっていた。客も普段の曜よりなく、正面玄関から入ってくるたちは傘についた粒を払いながら、にの効いた内へ入ってきた。案内所の横には預けられた傘や落とし物が積まれ、恵子は話を取りながら何度も計へ目を向けていた。
午253分、見覚えのある婦が現れた。このはの羽織の肩がし濡れており、古い革の提げには粒が残っていた。婦はいつものように静かな笑みを浮かべ、恵子のへ来るとさくをげた。
「すみません。今もお願いできますか」
その言葉を聞いた瞬、恵子は胸の奥がくなるのをじた。までに案内係ので正式な話しいがあったわけではないが、最になって館内放送の利用をもっと厳格にすべきだという見がていた。
広告
個な伝言まで受け付ければ際限がなくなるという理由は、恵子にもよく理解できた。
「申し訳ありません」
婦が顔をげた。恵子は制ので両をね、教えられた通りの丁寧な調を崩さないよう努めた。
「今は、実際にお子さまが迷子になった以は、迷子のお呼びしをお受けできないことになりました」
婦の表から、ほんのしだけ笑みが消えた。るわけでも理由を問い詰めるわけでもなく、ただ提げの持ちを両で握り直し、「そうですか」とさく答えた。その指先が震えているのを見て、恵子は瞬言葉を続けられなくなった。
「い、ありがとうございました」
婦はそう言ってをげたものの、そのまま帰ろうとはしなかった。案内所のにったまま、の流れの向こうにあるエスカレーターや菓子売りを眺めている。何かを待っているというより、何かを覚えておこうとしているように見えた。
しばらくして、婦は恵子へ向き直った。
「では、今だけ……お願いできませんか」
「え?」
「あと度だけでいいんです。今を最にしますから」
恵子は迷った。ここで例を認めれば、せっかく決めたことがを失うようにえたし、度断った以、気の毒だからという理由だけで覆すのも無責任な気がした。
何より、婦がなぜ毎同じ名を呼ばせているのかをらないままに流されることに、若い恵子は抵抗をじていた。
広告
おすすめ作品
-
完結第13話
集団就職で東京へ出た姉は、名前を奪われた
「明日、全部話す。冬子たちは絶対にこの工場へ来ちゃ駄目」 昭和45年12月、東京の部品工場で働く姉・春江は、そう電話をかけてきた。 翌朝、姉は女子寮から姿を消した。 作業服も保険証も残したまま、編みかけの赤いマフラーには針が刺さっていた。 会社は、姉が貯蓄会の四十二万円を持ち出し、映写技師の男と逃げたと発表した。 父は姉から届いた手紙をすべて焼き、警察にも届けなかった。 冬子が灰の中から拾えたのは、最後の一行だけ。 《会社は、私たちの給料だけでなく、名前まで預かっている》 それから二十六年後、社会保険事務所から一通の照会状が届く。 亡くなった別の女性の年金記録に、姉と同じ指紋が使われていたのだ。 さらに死亡診断書には、その女性にはなかった身体的特徴が記されていた。 《右手人差し指、第一関節より欠損》 その傷を持っていたのは、失踪前の事故で指先を失った春江だった。時代|歴史|昭和2.3万字5 167 -
完結第18話
昭和38年、つなぐなと言われた救急電話
昭和38年、山間の電話交換所で働く澄子は、診療所から県立病院への緊急電話を受ける。重傷の17歳を救うための連絡だったが、主任は「その電話だけは絶対につなぐな」と命じた。 少年が亡くなった後、澄子の判断ミスとして処理されようとする。しかし記録を調べると、救急回線が止められていた時間にも、工事会社と本社、町役場の間では電話がつながっていた。時代|歴史|昭和|ミステリー2.3万字5 165 -
完結第20話
昭和34年、上野駅で名前を奪われた少女
昭和34年、青森から集団就職列車で上京した15歳の澄子。しかし迎えの男は、「佐藤澄子は昨日から働いている」と告げ、十二人のうち彼女だけを駅に置き去りにする。 工場では、石川鈴という少女が澄子の名前と勤務番号を与えられていた。さらに偽造された退職届、説明のない給与控除、未発送の手紙など、少女たちを名前と番号で管理する不正が次々と明らかになる。時代|歴史|昭和2.8万字5 1091 -
完結第16話
昭和53年、棟梁が俺を毎晩残した理由
十五歳で大工に弟子入りした直人は、一年間、掃除と雑用ばかりの日々を送っていた。ところが昭和五十三年の春、厳格な棟梁・源造から突然、「今日から毎晩残れ」と命じられる。 鉋、墨付け、仕口、図面。三年かけて覚えるはずの技を急いで教え込まれる一方、棟梁の体は日に日に弱っていく。やがて直人は、夜の稽古が自分を酷使するためではなく、残された時間で技術を託すためだったと知る。 師のいない現場で家を完成させた直人に遺されたのは、「半人前」と書かれた道具箱。しかし、その紙の下には、棟梁が生涯口にしなかった本当の言葉が隠されていた。時代|歴史|昭和2.6万字5 265 -
完結第16話
昭和24年、帰還した夫の家に別の夫がいた
戦地から四年ぶりに帰還した清太を待っていたのは、妻・文子と見知らぬ夫、そして二人の幼い娘だった。「ここはもう私たちの家です」と告げられ、清太は自分が死者として扱われていたことを知る。 出征直前、文子の胎内にいた息子・浩はすでに八歳。しかし浩は母のもとではなく、山村の伯母夫婦に育てられていた。妻も家も息子も取り戻したい清太だったが、彼のいない四年間にも、それぞれが生き延びるために築いた暮らしがあった。 実父の清太、母と暮らす政男、自分を育てた伯父。三人の「父」を持つ浩を前に、清太は家族が奪い返すものではないと気づいていく。時代|歴史|昭和1.4万字5 219 -
完結第14話
昭和29年、夫を亡くした私から船が奪われた
夫を海難事故で失った翌朝、志津は3人の子どもを養うため、残された船で海へ出ようとした。だが漁協は鍵を取り上げ、義兄は告げる。 「船を使いたければ、長男をうちへ寄こせ」 女には魚を売らせない。船も網も夫名義。さらに借りた伝馬船まで奪われた志津は、自ら町を歩き、獲れた魚を一軒ずつ売り始める。 やがて見つかった古い領収控えには、船の手付金を払った志津の名前があった。しかし同時に、義兄が残金を貸していた事実も判明する。 船をめぐる権利と借金、そして11歳の息子の人生。何も持たないと見下された志津は、海ではなく「魚を売る場所」から、自分たちの暮らしを取り戻していく。時代|歴史|昭和2.1万字5 261 -
完結第14話
母の葬儀から戻ると、私の寝台はもうなかった
母の葬儀を終え、約束より1日遅れて工場へ戻った18歳の女工・春江。だが門前には私物の入った段ボール箱が置かれ、寮母は冷たく告げた。 「あなたの寝台は、もう別の子に渡しました」 無断欠勤を理由に自己都合退職を迫られ、給料まで大幅に差し引かれた春江。しかし明細には、故郷にいたはずの3日間、彼女が残業した記録が残っていた。 さらに、春江の寝台を与えられた15歳の少女は、彼女と同じ勤務番号で働かされていた。時代|歴史|昭和2.1万字5 190 -
完結第13話
父が開けた祝儀袋
昭和35年、結婚披露宴の最中、恭子は父が祝儀袋を次々と開けている姿を目撃する。豪華な宴も嫁入り道具も、すべて借金で用意されていたのだ。しかも婚家からは、「あなたの結婚のための借金」と返済まで迫られてしまう。 誰が望み、誰が支払うべき金だったのか。恭子が費用を一つずつ調べると、借入額には披露宴だけでは説明できない差額が見つかる。やがて明らかになったのは、父が娘の結婚と祝儀を利用して隠そうとした、もう一つの借金だった。 「家族のため」という言葉の陰で、誰かの人生や金を勝手に使ってよいのか。見栄と古い家族観に抗い、自分たちの暮らしを取り戻そうとする一人の女性の物語。時代|歴史|昭和|親子関係1.9万字5 212 -
完結第10話
昭和51年、閉山した炭鉱町から消えた父
昭和51年、炭鉱が閉山した3日後、保安係だった父・修一が姿を消した。玄関には泥のついた長靴と作業帽が残され、母は「探さなくていい」と口を閉ざす。だが娘が父の作業着から見つけた紙片には、閉鎖された坑道の名と、謎の時刻が記されていた。 調べるほどに浮かび上がる、改ざんされた保安記録、帳簿から消された作業員、そして会社が隠そうとする閉山直前の事故。やがて坑道に残された録音から、父が誰かを救おうとしていた事実が明らかになる。しかし数十年後に届いた父の名札には、さらに不可解な言葉が刻まれていた。 「北の出口から出た。家へは戻れない」 父はなぜ、生きて坑内を出ながら家族のもとへ帰らなかったのか――。時代|歴史|昭和|ミステリー|真相1.5万字5 248 -
完結第14話
震災から半年ぶりに帰った家には、知らない家族が住んでいた
昭和45年、母は20年以上もの間、同じ古い着物を大切に着続けていた。 娘の美紀は、母がただ節約のために我慢しているだけだと思っていた。正月の日も、特別な日も、新しい服を選ばず、何度も繕われた一枚の着物を身につける母の姿を、少し寂しく感じていた。 しかし、母が亡くなった後、その古い着物の中から見つかった小さな刺繍が、美紀の知らなかった母の過去を呼び起こす。 戦後の苦しい時代を生き抜いた一人の女性が、なぜその着物だけを手放さなかったのか。 長い年月の中に隠されていた家族の記憶と、母が守り続けた想いが、少しずつ明らかになっていく――。時代|歴史|昭和2.1万字5 227