"最後の迷子放送" 第5話
澄は娘が自分のよくる百貨で働くことをび、毎朝弁当を作って送りした。
京子にとっても、丸百貨には特別な親しみがあった。休憩にへがると、幼い頃に乗った馬は何度か塗り替えられていたが、形そのものはほとんど変わっていない。折館内へ流れる迷子放送を聞くと、5歳の自分が泣きながら案内所へった記憶が蘇り、同僚へ「私も昔ここで迷子になったんですよ」と笑って話すこともあった。
そんな職で、京子はの男性とりった。
名は森田俊夫。百貨の社員ではなく、へ商品を納入する繊維会社に勤める27歳の会社員だった。背がく、数はくなかったが、売りの誰に対しても丁寧で、い箱を運んでいる女性を見れば自然にを貸すようなだった。
付きい始めて半ほど経った頃、京子は俊夫を澄へ紹介した。俊夫は緊張しながら崎を訪れ、菓子折りを差しして何度もをげたため、最初のうち澄も悪い印象は持たなかった。けれど結婚を考えていると聞き、さらに俊夫の勤める会社が彼をへ転勤させる予定だとった瞬、澄の表は変わった。
「?」
「札幌の営業所です。なくとも3は向こうになるといます」
俊夫は正直に説した。会社を辞めることは考えていないが、京子が望むなら結婚に緒に来てほしいという。
広告
京子もすでにその話を聞き、迷った末にく決をしていた。
「そんないところへく必があるの?」
澄はそのでは声を荒らげなかった。しかし俊夫が帰ったあと、台所で茶碗を洗いながら、何度も同じことを京子へ尋ねた。
「この町で暮らせばいいじゃない。別に急いで結婚しなくてもいいでしょう」
「急いでないよ。私も考えたの」
「あなたはくで暮らしたことがないから分からないのよ。何かあっても、すぐ戻ってこられないでしょう」
京子は最初、母のを理解しようとしていた。父親をくくし、自分を育ててきた母を置いてくへくことにろめたさもあった。しかし話しいをするたびに澄の言葉は「配」から「反対」へ変わり、最には俊夫の仕事や柄にまで疑いを向けるようになった。
「転勤ばかりのと結婚して、本当に幸せになれるの?」
その言で、京子のに積もっていたものが切れた。
「お母さんは、私が自分で決めるのが嫌なだけでしょう」
それから母娘は、同じで暮らしながらほとんどを利かなくなった。
澄には、娘を奪われるような気持ちがあった。京子には、自分のを母親に握られているような息苦しさがあった。
どちらも相を嫌いになったわけではない。
だからこそ、互いに譲れなくなった。
広告
母娘が決定にぶつかったのは、昭41のだった。俊夫のへの転勤が正式に決まり、京子は結婚して緒に札幌へくつもりだと改めて澄へ伝えた。すでに京子は24歳になっており、自分のを自分で決めてもよい齢だと考えていた。
「お母さんに許してもらわないと結婚できないとはってない。でも、ちゃんと話してからきたいの」
夕の茶ので、京子はできるだけ静かにそう言った。澄も最初は黙って聞いていたが、「札幌へく」という言葉を聞くたび、いのや娘が病気になったのことまで像してしまった。俊夫がどれほど真面目な男でも、娘が自分の目の届かない所へくという事実だけは受け入れられなかった。
「私は反対です」
「だから、どうして?」
「すぎるからよ。あなたならまだしも、向こうにはっているもいないでしょう」
「俊夫さんがいるじゃない」
「夫婦だって何があるか分からないでしょう。もし困ったことがあったらどうするの」
京子はく息を吐いた。幼い頃から何度も聞いてきた「もし何かあったら」という言葉だった。
「お母さんは、いつまで私を子ども扱いするの?」
「子ども扱いなんかしていません」
「してるよ。映画を見にくも、仕事の帰りが遅くなるも、結婚する相まで全部配して、全部自分で決めようとするじゃない」
広告
おすすめ作品
-
完結第13話
集団就職で東京へ出た姉は、名前を奪われた
「明日、全部話す。冬子たちは絶対にこの工場へ来ちゃ駄目」 昭和45年12月、東京の部品工場で働く姉・春江は、そう電話をかけてきた。 翌朝、姉は女子寮から姿を消した。 作業服も保険証も残したまま、編みかけの赤いマフラーには針が刺さっていた。 会社は、姉が貯蓄会の四十二万円を持ち出し、映写技師の男と逃げたと発表した。 父は姉から届いた手紙をすべて焼き、警察にも届けなかった。 冬子が灰の中から拾えたのは、最後の一行だけ。 《会社は、私たちの給料だけでなく、名前まで預かっている》 それから二十六年後、社会保険事務所から一通の照会状が届く。 亡くなった別の女性の年金記録に、姉と同じ指紋が使われていたのだ。 さらに死亡診断書には、その女性にはなかった身体的特徴が記されていた。 《右手人差し指、第一関節より欠損》 その傷を持っていたのは、失踪前の事故で指先を失った春江だった。時代|歴史|昭和2.3万字5 167 -
完結第18話
昭和38年、つなぐなと言われた救急電話
昭和38年、山間の電話交換所で働く澄子は、診療所から県立病院への緊急電話を受ける。重傷の17歳を救うための連絡だったが、主任は「その電話だけは絶対につなぐな」と命じた。 少年が亡くなった後、澄子の判断ミスとして処理されようとする。しかし記録を調べると、救急回線が止められていた時間にも、工事会社と本社、町役場の間では電話がつながっていた。時代|歴史|昭和|ミステリー2.3万字5 165 -
完結第20話
昭和34年、上野駅で名前を奪われた少女
昭和34年、青森から集団就職列車で上京した15歳の澄子。しかし迎えの男は、「佐藤澄子は昨日から働いている」と告げ、十二人のうち彼女だけを駅に置き去りにする。 工場では、石川鈴という少女が澄子の名前と勤務番号を与えられていた。さらに偽造された退職届、説明のない給与控除、未発送の手紙など、少女たちを名前と番号で管理する不正が次々と明らかになる。時代|歴史|昭和2.8万字5 1091 -
完結第16話
昭和53年、棟梁が俺を毎晩残した理由
十五歳で大工に弟子入りした直人は、一年間、掃除と雑用ばかりの日々を送っていた。ところが昭和五十三年の春、厳格な棟梁・源造から突然、「今日から毎晩残れ」と命じられる。 鉋、墨付け、仕口、図面。三年かけて覚えるはずの技を急いで教え込まれる一方、棟梁の体は日に日に弱っていく。やがて直人は、夜の稽古が自分を酷使するためではなく、残された時間で技術を託すためだったと知る。 師のいない現場で家を完成させた直人に遺されたのは、「半人前」と書かれた道具箱。しかし、その紙の下には、棟梁が生涯口にしなかった本当の言葉が隠されていた。時代|歴史|昭和2.6万字5 265 -
完結第16話
昭和24年、帰還した夫の家に別の夫がいた
戦地から四年ぶりに帰還した清太を待っていたのは、妻・文子と見知らぬ夫、そして二人の幼い娘だった。「ここはもう私たちの家です」と告げられ、清太は自分が死者として扱われていたことを知る。 出征直前、文子の胎内にいた息子・浩はすでに八歳。しかし浩は母のもとではなく、山村の伯母夫婦に育てられていた。妻も家も息子も取り戻したい清太だったが、彼のいない四年間にも、それぞれが生き延びるために築いた暮らしがあった。 実父の清太、母と暮らす政男、自分を育てた伯父。三人の「父」を持つ浩を前に、清太は家族が奪い返すものではないと気づいていく。時代|歴史|昭和1.4万字5 219 -
完結第14話
昭和29年、夫を亡くした私から船が奪われた
夫を海難事故で失った翌朝、志津は3人の子どもを養うため、残された船で海へ出ようとした。だが漁協は鍵を取り上げ、義兄は告げる。 「船を使いたければ、長男をうちへ寄こせ」 女には魚を売らせない。船も網も夫名義。さらに借りた伝馬船まで奪われた志津は、自ら町を歩き、獲れた魚を一軒ずつ売り始める。 やがて見つかった古い領収控えには、船の手付金を払った志津の名前があった。しかし同時に、義兄が残金を貸していた事実も判明する。 船をめぐる権利と借金、そして11歳の息子の人生。何も持たないと見下された志津は、海ではなく「魚を売る場所」から、自分たちの暮らしを取り戻していく。時代|歴史|昭和2.1万字5 261 -
完結第14話
母の葬儀から戻ると、私の寝台はもうなかった
母の葬儀を終え、約束より1日遅れて工場へ戻った18歳の女工・春江。だが門前には私物の入った段ボール箱が置かれ、寮母は冷たく告げた。 「あなたの寝台は、もう別の子に渡しました」 無断欠勤を理由に自己都合退職を迫られ、給料まで大幅に差し引かれた春江。しかし明細には、故郷にいたはずの3日間、彼女が残業した記録が残っていた。 さらに、春江の寝台を与えられた15歳の少女は、彼女と同じ勤務番号で働かされていた。時代|歴史|昭和2.1万字5 190 -
完結第13話
父が開けた祝儀袋
昭和35年、結婚披露宴の最中、恭子は父が祝儀袋を次々と開けている姿を目撃する。豪華な宴も嫁入り道具も、すべて借金で用意されていたのだ。しかも婚家からは、「あなたの結婚のための借金」と返済まで迫られてしまう。 誰が望み、誰が支払うべき金だったのか。恭子が費用を一つずつ調べると、借入額には披露宴だけでは説明できない差額が見つかる。やがて明らかになったのは、父が娘の結婚と祝儀を利用して隠そうとした、もう一つの借金だった。 「家族のため」という言葉の陰で、誰かの人生や金を勝手に使ってよいのか。見栄と古い家族観に抗い、自分たちの暮らしを取り戻そうとする一人の女性の物語。時代|歴史|昭和|親子関係1.9万字5 212 -
完結第10話
昭和51年、閉山した炭鉱町から消えた父
昭和51年、炭鉱が閉山した3日後、保安係だった父・修一が姿を消した。玄関には泥のついた長靴と作業帽が残され、母は「探さなくていい」と口を閉ざす。だが娘が父の作業着から見つけた紙片には、閉鎖された坑道の名と、謎の時刻が記されていた。 調べるほどに浮かび上がる、改ざんされた保安記録、帳簿から消された作業員、そして会社が隠そうとする閉山直前の事故。やがて坑道に残された録音から、父が誰かを救おうとしていた事実が明らかになる。しかし数十年後に届いた父の名札には、さらに不可解な言葉が刻まれていた。 「北の出口から出た。家へは戻れない」 父はなぜ、生きて坑内を出ながら家族のもとへ帰らなかったのか――。時代|歴史|昭和|ミステリー|真相1.5万字5 248 -
完結第14話
震災から半年ぶりに帰った家には、知らない家族が住んでいた
昭和45年、母は20年以上もの間、同じ古い着物を大切に着続けていた。 娘の美紀は、母がただ節約のために我慢しているだけだと思っていた。正月の日も、特別な日も、新しい服を選ばず、何度も繕われた一枚の着物を身につける母の姿を、少し寂しく感じていた。 しかし、母が亡くなった後、その古い着物の中から見つかった小さな刺繍が、美紀の知らなかった母の過去を呼び起こす。 戦後の苦しい時代を生き抜いた一人の女性が、なぜその着物だけを手放さなかったのか。 長い年月の中に隠されていた家族の記憶と、母が守り続けた想いが、少しずつ明らかになっていく――。時代|歴史|昭和2.1万字5 227