"赤ん坊を背負った応募者" 第5話
文子は優をくで見ろした。
優の額に浮かんだ汗の粒がはっきりと見えた。
子供を守ろうと丸まった、ゴツゴツしたの甲のタコが見えた。
おんぶ紐ので、まだすすり泣いている赤ちゃんの声が聞こえた。
そのか細い鳴き声が、文子の胸を打つ。
文子のの奥底で、い津波が起こった。
その波が、彼女の全を完全にみ込んだ。
胸が張り裂けそうであった。
説のつかない激しいが渦巻く。
優はに膝をついたままである。
彼は、自分にづいてくる女性会を見げた。
当然、声や蔑みの言葉を浴びせられるとっていた。
しかし、それは違った。
文子の目に宿っていたのは、りでも軽蔑でもなかったのである。
優がまれて初めて見るであった。
それはまるで、い昔に失った何かを取り戻したのような差しであった。
優は本能に何かを察した。
このは自分を追いそうとしているのではない、と。
優は震える両をかした。
彼はの番にあった図面を1枚持ちげた。
優はそれを、文子のに差しした。
優は必の形相で言った。
「会」
優は涙声で訴えた。
「これだけでも見てください」
優は震える声で続けた。
「妻が病気で、子供はお腹を空かせています」
優は図面をく握った。
「この設計図1枚が、私たち族の全てなんです」
広告
優はくをげた。
「お願いします」
文子のまぶたが1度震えた。
文子はゆっくりとを伸ばした。
ブルブルと震えるで、優が差しした図面を受け取った。
を握る指に、わず力が入る。
の血管が浮きった。
文子は吸い込んだ息を、かろうじて吐きした。
震える声を、歯をいしばってえる。
文子は優に語りかけた。
「事は分かったから」
文子の声は、しだけかすれていた。
文子は1度乾いた唾をみ込んだ。
そして、再びをいた。
「まず、この設計図だけ置いて、今は帰りなさい」
文子は優の目を見た。
「結果は別途通する」
優は自分のを疑った。
信じられないという表で、文子を見げた。
先ほどまで、今すぐ引きずりせと命令がされそうだったのだ。
それなのに、設計図を見るというのである。
しかも、本最の建設会社の会自らが。
優の目に、いものが込みげてきた。
優は震える唇で、かろうじて言を絞りした。
「ありがとうございます」
優は涙を流した。
「本当に、ありがとうございます」
優はから残りの図面を急いであかき集めた。
彼は鞄に図面を詰め込んだ。
そして、くお辞儀をした。
優はよろめく取りでちがり、ロビーをにした。
背に背負われたは、まだかすかにすすり泣いていた。
広告
しかし、優の胸のには、筋のが細く差し込んできていた。
ガラスの回転ドアの向こうに、優のみすぼらしいろ姿が消えていく。
その姿が見えなくなるまで、文子はそのにち尽くしていた。
彼女は微だにできなかった。
固く結んでいた唇が微かに震えている。
図面を握る指の関節が、くなっていた。
秘の伊藤が半歩づいた。
伊藤はい声で尋ねた。
「会、丈夫でございますか?」
伊藤は文子の顔を伺った。
「おをお持ちしましょうか?」
文子は伊藤の問いに答えなかった。
優のろ姿が消えたガラス戸を、しばらく見つめていた。
やがて、文子は軽く顎をげてをいた。
「伊藤」
文子は静かに尋ねた。
「あの青の名は何と言ったかね?」
伊藤が素くタブレットを確認した。
伊藤は画面を見て答えた。
「田優、30歳です」
伊藤は詳細を付け加えた。
「建築設計職の公募に応募しております」
文子はさく呟いた。
「田優」
文子はその名を声にさずに、のでもう度繰り返した。
33階にある会専用執務。
エレベーターをりた文子は、秘に指示をした。
「誰も入れるな」
文子はその言だけを残した。
そして、な扉を閉めた。
広くて豪華な執務に、文子は1残された。
文子は面張りの窓のにった。
窓から、京のスカイラインを見ろした。
しかし、文子の目には何も映っていなかった。
先ほどロビーで見たあの青の顔が、目のかられなかったのである。
広告
おすすめ作品
-
完結第10話
清掃員が書いた設計図
倒産寸前の小さな町工場に、1人の若い清掃員がいた。 佐藤ゆい、21歳。学歴は中卒。従業員たちからは名前で呼ばれることもなく、ただ雑用係として扱われていた。 そんなある日、大企業から依頼された精密部品がすべて不良品となり、工場は2000万円の違約金を突きつけられる。誰もが技術不足だと責められ、工場長の竹夫も廃業を覚悟しかけていた。 その時、ずっと黙っていたゆいが静かに口を開く。 「設計が間違っています」 中卒の清掃員が、大企業の研究所の図面に誤りがあると言い出した――。 誰も信じなかったその言葉が、やがて町工場の運命を大きく変えていく。履歴書には書けなかった彼女の本当の力とは。人生逆転|真相1.4萬字5 4 -
完結第12話
団地に残された17通
毎朝5時、誰よりも早く団地へ来て、廊下も階段もごみ集積所も黙って掃除してきた61歳の藤本志津江。 13年間続けてきた仕事は、ある日突然、31世帯の署名によって終わりを告げられる。理由は「住民の生活をのぞいている」「勤務時間外に声をかけすぎる」というものだった。 志津江は反論しながらも、自分の善意が誰かにとっては重荷になっていたことを知る。 そして契約終了が決まった直後、清掃用具庫から見つかったのは、長年誰にも届かなかった17通の手紙だった。 その中には、15年前に団地で起きた火災と、当時責任を負わされた元管理人、そして亡くなった女性が残したはずの言葉が含まれていた。 志津江は本当に住民を見張っていたのか。 17通の手紙は、なぜ用具庫に残されていたのか。 そして、団地が長年隠してきた火災の真相とは――。因果応報|人生逆転|真実1.8萬字5 98 -
完結第18話
四十九日の注文票
夫の四十九日を終えた夜、59歳の円香は、息子夫婦から突然「明日の朝までに店の鍵を渡してほしい」と告げられる。 夫と32年間守ってきた惣菜店《おかず処まどか》。しかし土地と建物は、知らないうちに息子の名義へ移され、すでに再開発のため売却されようとしていた。 悲しみも癒えないまま、住む場所も店も奪われかける円香。さらに夫が管理していた店の預金も、借金返済に使われたと聞かされる。 そんな夜、夫の机の奥から見つかったのは、古い注文票だった。 《弁当120食。毎月第2土曜日。代金は受け取らないこと》 そこに書かれていたのは、円香の知らない女性の名前。 夫はなぜ、妻に黙って無料の弁当を届けていたのか。 なぜ、その女性を「店を失った時に訪ねろ」と書き残したのか。 追い出されたはずの店の裏で、夫が最後まで隠していた過去と、息子夫婦の本当の目的が少しずつ明らかになっていく――。人生逆転|親子関係2.8萬字5 76 -
完結第13話
判を押さなかった妻
65歳の佳代は、38年間連れ添った夫・修司から突然、離婚届と一枚の写真を差し出される。 写真に写っていたのは、10歳になる男の子。夫が11年前から外で関係を続けていた女性との子どもだった。 「離婚して、残りの人生は好きに生きたい」 そう言いながら修司は、離婚後も佳代に家に残り、食事や洗濯、薬の管理まで続けるよう当然のように求めてくる。 しかし佳代は、すぐには判を押さなかった。 悲しくて離婚できなかったわけではない。夫が隠してきた金の流れ、削られていた義母の施設費、そして“新しい人生”の裏にある都合のいい計画を、すべて明らかにするためだった。 38年間尽くしてきた妻が、最後に守ろうとしたものとは――。人生逆転|夫婦|熟年離婚1.9萬字5 1510 -
完結第13話
消された母の名前
父の三回忌を終えた夜、53歳の里美は、認知症の兆しがある母・清子から、突然知らない名前で呼ばれる。 「直子、今度こそ逃げないで」 直子とは誰なのか。なぜ母は、娘である自分を妹の名で呼んだのか。 不審に思った里美が戸籍や父の遺した書類を調べ始めると、自分の出生届に残された不自然な訂正、20年以上続いていた謎の送金、そして施設で暮らす一人の女性の存在が浮かび上がる。 母が53年間守り続けたものは、愛だったのか、嘘だったのか。 隠された12通の手紙と、海辺の古い写真が、里美の知らなかった「本当の家族」を少しずつ明らかにしていく――。人生逆転|第二の人生|親子関係2.0萬字5 158 -
完結第13話
「田舎者」と見下した婚約者を実家へ招いたら、態度が一変した
地味で素朴なまゆは、恋人・光希から突然プロポーズされる。 しかし彼と女社長の母は、結婚相手を「家政婦」として値踏みし、田舎育ちのまゆを見下していた。そんな二人を実家へ招待すると、専属運転手、大豪邸、ワインセラー、ヘリポートまで現れ態度が一変。 だが、本当の審査はここからだった――。人生逆転|夫婦1.9萬字5 426 -
完結第10話
「俺の子じゃない」と言った夫へ、99.999%の鑑定結果を見せた日
命懸けで娘を産んだサツキに、夫・慶一が放ったのは「俺の子じゃない。DNA鑑定しろ」という非情な一言。さらに義母と義妹まで押しかけ、浮気女と決めつけ300万円の慰謝料を要求する。 しかしサツキは静かに一枚のDNA鑑定書を差し出した。 親子関係99.999%――そして次に彼女がテーブルへ並べたのは、夫が決して知られたくなかった“大量の写真”だった。 本当に裏切っていたのは、一体誰なのか――。人生逆転|真実1.6萬字5 715 -
完結第8話
孫の一言で、三億円の家を売りました
72歳の和子は、7歳の孫が配達員に「お金を払ってるんだから、ありがとうって言わなくてもいい」と言うのを聞き、言葉を失った。さらに48歳の息子・健一まで「間違ってない」と笑う。健一一家が12年間家賃0円で暮らしている一戸建ては、和子が1億4800万円で購入した和子名義の家。今では査定額が約3億円になっていた。ところが健一は、その家を当然のように「自分の家」と呼び、「どうせ将来俺が相続するんだから、名義を変えてもいいだろ」と言い始める。息子の言葉を聞いた夜、和子は1人で不動産会社に電話をかけた。12年間「家族だから」と与え続けてきた母親が、初めて大きな決断を下そうとしていた。因果応報|親不孝|親子関係|金銭問題1.2萬字5 559 -
完結第14話
一杯の鍋が変えた人生
柏優太は、職場でのパワハラが原因で心を壊し、半年間ほとんど誰とも話さず部屋に閉じこもっていた。 そんなある日、隣に引っ越してきた母子3人の姿を見かける。 「何も買えなくてごめんね」と泣く母親と、空腹を我慢する子供たち。 過去に大切な友人を救えなかった後悔を抱えていた優太は、思わず声をかける。 「よかったら……うちで鍋しませんか」 一杯の鍋をきっかけに、孤独だった男と傷ついた母子の人生が少しずつ変わり始める。 しかし、温かな時間の裏には、母親が隠していた過去と、子供たちを取り戻そうとする元夫の存在があった。 誰かを救おうとした優太が、実は自分自身も救われていた――。 小さな優しさから始まった、再生と家族の物語。人生逆転|第二の人生|親子関係2.2萬字5 446