"預かったままの革靴" 第5話
布で埃を払い、革の状態を確かめる。
傷んだかかとは、自分の技術ががるたびにしずつ直した。
最初はぎこちなかった補修も、をねるほど自然になった。
のつま先にあるい傷だけは消さなかった。
そこまで直してしまうと、あのの靴ではなくなるような気がした。
昭40代に入る頃には、健はのでもの職になっていた。
難しい修理を頼まれることも増えた。
「これ、ので断られたんだけど」
そう言って持ち込まれた靴を、をかけて直す。
客が受け取りに来て、嬉しそうに履いて帰っていく。
その背を見るのが好きだった。
ある晩、を閉めた、主が健に言った。
「なあ」
「はい」
「そろそろ自分のを持ったらどうだ」
健はを止めた。
「俺が?」
「おならできる」
「まだいですよ」
「35まで待つつもりか」
健は笑った。
「もうすぐ35ですよ」
「だからだ」
主は真面目な顔になった。
「いつまでもので働くのも悪くない。でも、おの腕なら、自分の板で客を取れる」
健はすぐには答えなかった。
を持つことなど、9歳で駅に座っていた頃には考えたこともなかった。
ただ今をべる。
今夜寝る。
次のも働く。
それだけだった。
その自分が、自分のを持つところまで来た。
帰宅した夜、健は古い革靴を箱からした。
「か」
誰もいない部で、さく言った。
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黒い革靴は何も答えなかった。
昭43。
35歳になった健は、駅からしれた商にさな靴修理をいた。
広いではなかった。
入りから奥の作業台まで数歩しかない。壁には革や紐、かかと用の部材が並び、預かった靴を置く棚も作りだった。
それでも健にとっては、自分のだった。
板をした朝、のにってしばらく眺めた。
子どもの頃、箱つで仕事を始めた。
がれば濡れ、が吹けば震えた。
今は根がある。
作業台もある。
具も揃っている。
、健は最につだけへ持ち込んだ。
古い黒い革靴だった。
のつま先にはい傷。
のかかとは、昔よりずっときれいに直されている。
健は棚の番を空けた。
そこへ革靴を並べた。
隣には品の見本靴もあったが、健にとって番切なのは、何度も修理されたそのだった。
午から客が何か来た。
以のから健をっているもいた。
「独したんだって?」
「はい」
「じゃあ、これからはここへ持ってくるよ」
そんな言葉が嬉しかった。
昼を過ぎると内がし静かになった。
健は作業台で革を切っていた。
午、の扉がいた。
「すみません」
配の男の声だった。
健は顔をげた。
の老がっていた。
髪はくなっていたが、背筋は比較まっすぐだった。
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は60歳に見えた。
「いらっしゃいませ」
老は履いていた靴を示した。
「かかとを直してもらいたいんだが」
「見せてください」
健は子を勧めた。
老が靴を脱ぐ。
健はかかとの減り方を確認した。
「これなら直せます。しおいただきますが」
「急がないよ」
老は子へ座った。
健は作業を始めた。
のには、具が触れるさな音だけが響いた。
しばらくして、老が壁や棚を眺め始めた。
革。
糸。
修理済みの靴。
古い写真。
そして線が棚の番へ移った。
その瞬だった。
老の顔から、さっきまでの穏やかな表が消えた。
じっと見ている。
健は最初、それに気づかなかった。
老はゆっくりちがった。
「あの靴……」
健のが止まった。
老は棚へづいた。
黒い革靴を見げる。
「どうしました?」
健が聞くと、老は答えず、さらに歩づいた。
のつま先。
そこに残るい傷を目で追った。
次にのかかとへ線を移した。
老のがわずかにいた。
「まだ……」
声が震えた。
「まだ持っていたのか」
健はちがった。
臓が度、きく鳴った。
その言葉を聞いた瞬、忘れていたはずの景がのに広がった。
たい。
駅。
箱。
履を履いてっていく痩せた男。
「かくなった頃かな」
18の声だった。
健は老の顔を見た。
頬はふっくらしている。
髪もい。
装も、あのとは違う。
それでも目元に、記憶のの面があった。
「……おじさん?」
老は健を見た。
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