"尋ね人が呼んだ母の旧姓" 第9話
清は正面を向いたままだった。
「13も1で抱え込むことじゃなかっただろ」
文子は目を伏せた。
「自分でも、どう話せばいいのか分からなかったのよ」
「娘がいると言えば隠し子だとわれる。娘じゃないと言えば、あの子とのことを否定するみたいになる」
文子は苦笑した。
「何て言えばいいとう?」
清もし笑った。
「確かに説は難しいな」
それで、い2のに残っていたものがし軽くなった。
夫は隣の席から、その会話を聞いていた。
父も完全に何もじなくなったわけではないのだろう。
母が13黙っていたことへの寂しさは残っている。
それでも、今は恵子を拒む気持ちはなかった。
式が終わった。
恵子は文子たちのところへ来た。
「来てくれてありがとう」
文子は首を振った。
「こちらこそ呼んでくれてありがとう」
瞬だけ言葉が止まった。
それから文子は言った。
「子さんにも見せたかったね」
恵子は静かに頷いた。
「見てくれているといます」
2とも、それ以は言わなかった。
戸籍がき換えられることはなかった。
恵子が岡田の正式な娘になることもなかった。
古い引き揚げ記録についても、無理に訂正することはしなかった。
そこには今も、
「母 文子」
「子 恵子」
と残っている。
事実だけを見れば、正しくない記録だった。
しかし文子にとっても恵子にとっても、その文字は単なる違いではなかった。
広告
き延びるために必だった言。
混乱ので1の子どもを守るためについた嘘。
そして数かだけした、2の親子関係を残す記録でもあった。
昭33。
まだテレビがすべての庭にある代ではなかった。
夜になると族が1台のラジオを囲み、ニュースを聞き、を聞き、くの来事をった。
そのさな箱から、にはを変える名が流れてきた。
戦争が終わって13。
世のはしずつ落ち着きを取り戻し、々はしい庭を作り、しい仕事を始めていた。
子どもたちは戦争をらない世代として育ち始めていた。
夫もそうだった。
自分がまれるに母がどんな暮らしをしていたのか、ほとんど考えたことがなかった。
母は最初から母だった。
父は最初から父だった。
族は、自分がまれるずっとから今と同じ形でしていたような気がしていた。
しかし、本当は違った。
文子にも「岡田文子」になるのがあった。
文子という名でき、戦争の終わりを旧満州で迎え、何も分からない混乱のを歩いた。
そこで1組の母娘と会った。
子。
そして恵子。
誰かに命じられたわけではない。
自分にも余裕があったわけではない。
それでも文子は、さな恵子のをさなかった。
「この子は、私の娘です」
あの言葉は嘘だった。
広告
戸籍の事実でも、血のつながりでもなかった。
だが、その嘘がなければ、恵子は文子から引きされていたかもしれない。
その、無事に本まで戻れたかどうかも分からない。
方で、その嘘は文子を13苦しめた。
恵子とればなれになり、探しきれなかった。
しい庭ができても、忘れられなかった。
話そうとしても言葉にできなかった。
「昔、母親になったことがある」
そう言うには、あまりにも複雑だった。
「自分の子ではなかった」
そう説すれば、恵子とのを否定するようにじた。
だから文子は黙った。
が過ぎるほど、沈黙はくなった。
その扉をいたのが、ラジオだった。
「旧姓・文子さんを探しています」
たった度、全国へ流れたその名が、埼玉のさなの茶のへ届いた。
もし、その夜ラジオをつけていなかったら。
もし別の番組を聞いていたら。
もし文子が台所にいて名を聞き逃していたら。
恵子と再会するは、もっと先になっていたかもしれない。
あるいは永に訪れなかったかもしれない。
夫はになってからも、あの夜のことをよく覚えていた。
鉢。
鉄瓶。
畳のの靴。
母のからかなくなった針。
父がゆっくりろした聞。
そして突然切られたラジオ。
当15歳だった夫にとって、それは初めて「族にも自分のらない過がある」
とった夜だった。
それまでは、秘密があること自体が怖かった。
広告
おすすめ作品
-
完結第23話
白線の先の女たち
昭和三十九年、女子競輪が終わりを迎えようとしていた。三十四歳の佐伯久美子は、最後の地元決勝で優勝する。しかし彼女が真っ先に求めたのは、花束でも拍手でもなく、次の出走表だった。返ってきたのは、もう走る場所はないという答え。そんな久美子の前で、十九歳の新人・夏子は「私は来年も勝ちたい」と訴える。仕事、家族、怪我、そして失われた競走の舞台。走ることを諦められない女たちは、それぞれの暮らしを背負いながら、新しい一歩を探し始める。時代|歴史|昭和|ミステリー3.0万字5 104 -
完結第15話
姉の身代わりで嫁いだら、冷酷当主の本命でした
家族に冷遇され、姉の身代わりとして“冷酷な当主”のもとへ嫁がされた澄乃。しかし初対面で、偽りの花嫁だと見抜かれてしまう。 追い返される覚悟をした澄乃に、静は「お前で構わない」と告げる。さらに帳簿を読む彼女の才能と、恐れながらも嘘をつかなかった誠実さを認めていく。歴史|昭和|ミステリー|夫婦|第二の人生2.0万字5 533 -
完結第22話
一等くじの切れ目
昭和三十五年の暮れ。五人の子を育てる田村和子は、商店街の福引で念願の電気洗濯機を引き当てた。冬の冷たい水で毎日洗濯をする彼女にとって、夢のような幸運だった。ところが、くじの角に不自然な切れ目を見つけた和子は、景品を受け取らず抽選箱の確認を求める。その日から町には悪い噂が広まり、夫の仕事にまで影響が及び始めた。さらに、姿を消した文具店の少年が深夜に現れ、娘の美津に関わる秘密を告げる。時代|歴史|昭和2.8万字5 2 -
完結第22話
大正11年、幕開けの土下座から始まった女優の再起
大正11年、北陸の港町。旅回りの朝霧一座が芝居の幕を上げた瞬間、十五人の役者が客席に向かって土下座した。前売りの金は一座に届かず、衣装まで劇場に差し押さえられていたのだ。若い女優・志乃は、失われた金の行方を追い始める。やがて浮かび上がったのは、興行師の隠された借金と劇場主の不自然な勘定。さらに再起を懸けた公演を前に、看板役者が台本を持って姿を消してしまう。芝居も仲間も失いかけた志乃は、自分たちの手で新しい幕を開けようと決意する。時代|歴史|昭和2.8万字5 123 -
完結第21話
昭和29年、棟梁が祝いの柱を割った理由
昭和二十九年、上棟式の朝。棟梁・源吉は、自ら建てた家の柱に異変を感じ、祝いの客の前で斧を振り下ろす。内部から現れたのは、黒く傷んだ木だった。 仕事も信用も失いかける中、娘が見つけた不自然な印と、材木置場の青年の証言から、粗悪材の印を改ざんして売る仕組みが明らかになる。しかし源吉自身も、十分に検品せず判を押していた。時代|歴史|昭和2.7万字5 758 -
完結第20話
桑の音が消えた村
昭和三十五年、信州の養蚕村で、蚕が一夜にして全滅する。唯一無事だったのは、昔ながらの方法にこだわり、村人から笑われていた七十八歳のトヨの蚕室だった。 疑いを向けられた祖母だったが、原因は共同散布された新しい薬剤にあった。しかも農事組合を率いる息子・慎造は、事前に危険性を知らされていた。時代|歴史|昭和2.5万字5 1908 -
完結第20話
金色の髪を隠して嫁いだ私と、無口な写真師の約束
昭和四十二年。英国人の父から受け継いだ金色の髪を「家の恥」とされ、黒く染め続けてきた月子は、写真師・湊のもとへ嫁がされる。 雨で黒い煤が流れ、秘密が露わになっても、湊は彼女を拒まなかった。月子は写真館で働きながら、母の手紙や父の存在、叔母が隠してきた過去と向き合っていく。 見世物のように利用しようとする町の男にも屈せず、「何を見せるかは自分で決める」と声を上げる月子。隠された少女が、自分の姿と人生を取り戻す物語。時代|歴史|昭和2.9万字5 380 -
完結第18話
昭和38年、つなぐなと言われた救急電話
昭和38年、山間の電話交換所で働く澄子は、診療所から県立病院への緊急電話を受ける。重傷の17歳を救うための連絡だったが、主任は「その電話だけは絶対につなぐな」と命じた。 少年が亡くなった後、澄子の判断ミスとして処理されようとする。しかし記録を調べると、救急回線が止められていた時間にも、工事会社と本社、町役場の間では電話がつながっていた。時代|歴史|昭和|ミステリー2.3万字5 373 -
完結第20話
昭和34年、上野駅で名前を奪われた少女
昭和34年、青森から集団就職列車で上京した15歳の澄子。しかし迎えの男は、「佐藤澄子は昨日から働いている」と告げ、十二人のうち彼女だけを駅に置き去りにする。 工場では、石川鈴という少女が澄子の名前と勤務番号を与えられていた。さらに偽造された退職届、説明のない給与控除、未発送の手紙など、少女たちを名前と番号で管理する不正が次々と明らかになる。時代|歴史|昭和2.8万字5 1242 -
完結第16話
昭和53年、棟梁が俺を毎晩残した理由
十五歳で大工に弟子入りした直人は、一年間、掃除と雑用ばかりの日々を送っていた。ところが昭和五十三年の春、厳格な棟梁・源造から突然、「今日から毎晩残れ」と命じられる。 鉋、墨付け、仕口、図面。三年かけて覚えるはずの技を急いで教え込まれる一方、棟梁の体は日に日に弱っていく。やがて直人は、夜の稽古が自分を酷使するためではなく、残された時間で技術を託すためだったと知る。 師のいない現場で家を完成させた直人に遺されたのは、「半人前」と書かれた道具箱。しかし、その紙の下には、棟梁が生涯口にしなかった本当の言葉が隠されていた。時代|歴史|昭和2.6万字5 310