"靴磨きの少年と会長の時計" 第1話
第1話 聞こえないはずの音
「会、その計には盗聴器が仕掛けられています。反応しないでください」
折り畳んだメモを受け取った田健は、ほんの瞬だけ目を細めた。
それでも、都ホールディングスを40く率いてきた男の表は崩れなかった。健は何事もなかったようにを組み直し、靴を磨いているへ線を落とした。
楽町の架にある「森本靴磨」は、製の台が2つ並ぶだけのさなだった。周囲にはの音やのクラクション、仕事帰りの々の音が絶えず響いている。
その雑音ので、佐藤蓮は健の腕計から漏れる微かな子音を聞き分けていた。
蓮は18歳。の休みを利用して、週5このにっていた。児童養護施設で育ち、3から主の森本清に靴磨きと革製品の修理を教わっている。
まれつき、よりも拾える音域が広かった。革の乾き具はブラシの音で分かり、靴底の減り方は歩いてくる音で見当がつく。械のに異物が混じれば、目で見るより先にが気づいた。
便利なことばかりではない。教では子を引く音がに刺さり、満員ではいくつもの音が度に押し寄せる。幼い頃は理解されず、「神経質な子」「扱いにくい子」と言われた。
だが、森本だけは違った。
「聞こえすぎるなら、聞き分ける技術をにつけろ」
広告
そう言って、音を仕事に変える方法を教えてくれた。
健が初めてを訪れたのは3かだった。価な革靴を履いていたが、秘も警護も連れていなかった。以来、週に2度ほど現れ、聞を読みながら黙って靴を預けるようになった。
蓮が相の肩きをったのは、常連客が声で教えてくれただ。それでも対応は変えなかった。どれほど価な靴でも、するべき作業は同じだった。
今も靴はいつもと変わらない。違ったのは、健の首だった。
械式計の規則正しい駆音に、い子音がなっている。定の隔で発信を繰り返す、細く障りな音だった。
健は磨き台に置かれた伝票の裏へ、ゆっくりといた。
『確かなのか』
蓮は頷き、続けていた。
『計本体ではなく、表の留め具から聞こえます。発信です』
健の指先が止まった。
『せるか』
蓮はの奥にいる森本へ目を向けた。森本は客の鞄を修理しながら、会話に気づかないふりをしている。しかし蓮と目がうと、わずかに頷いた。
蓮は属製の具箱から細いばね棒しを取りした。
「ベルトの調をいたします」
盗聴されていることを識し、普段と変わらない声で告げた。健も無言で計をし、作業台に置いた。
計は古いスイス製の械式だった。蓮は文字盤や裏蓋には触れず、革ベルトと留め具をつなぐばね棒だけをした。
広告
属の内側に、自然なみがあった。い板で隠された空へ、米粒ほどの黒い部品が埋め込まれている。そこから、先ほどよりはっきりと子音が聞こえた。
蓮はピンセットで部品を抜き取り、使い終えたワックスの属缶へ入れた。蓋を閉めると、に刺さっていた音が消えた。
「ベルトの緩みは直りました」
そう言って計を返すと、健は首にはめ直した。磨き終えた靴にもを通し、代を台のに置いた。
「し歩こう」
い声には、断れないみがあった。
2は通りのい通りまで移した。森本がに残り、属缶だけを預かっている。周囲の雑音に紛れる所を選んだのだろう。
「あの部品は、本当に盗聴器なのか」
「断定はできません。でも型の送信です。械式計のベルトから、あんな子音がすることはありません」
「なぜ分かった」
「聞こえたからです」
健は冗談を疑うような目を向けたが、蓮は逸らさなかった。
「僕には、のが気づかないい音が聞こえることがあります。森本さんにも確認してもらえば、具を入れるから僕が異常を指摘していたと証言してくれます」
「証言まで考えていたのか」
「勝に会の計を壊したとわれたくありませんから」
健の元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「怖くはなかったのか」
「怖かったです。でも、らせない方が悔するといました」
広告
おすすめ作品
-
完結第23話
山に捨てられた妻は立ち上がる
建築会社の社長・鈴木佳奈は、工事現場から転落し、体を動かせないまま入院生活を送っていた。献身的に支える夫・健二は、周囲から理想の夫と称賛されている。だが夜になると、彼は佳奈の実印を持ち出し、署名を偽造し、愛人と会社や不動産を奪う計画を進めていた。さらに佳奈は、真夏の山中へ自分を置き去りにする相談まで耳にする。誰にも意思を伝えられないと思われていた彼女は、密かに回復しながら証拠を集め始める。夫婦22年の信頼を利用した計画の奥には、最初の転落事故へつながる秘密も隠されていた。因果応報|人生逆転|夫婦3.4万字5 229 -
完結第12話
留守番を命じられた妻
父が遺した築43年の家で、夫・浩司と義母・和子に尽くしてきた52歳の由美子。和子の喜寿を祝う2泊3日の温泉旅行を予約し、32万円を用意したのも彼女だった。ところが出発直前、「車が狭いから留守番ね」と置き去りにされる。後部座席の見知らぬ鞄、妊婦向けプランに変えられた予約、消えた実印。夫と義母は、妊娠した若い愛人を迎え、由美子の父の家まで奪おうとしていた。しかし2人を笑顔で見送った由美子は、すでに登記事項証明書と偽造書類を揃え、静かな反撃を始めていた。人生逆転|嫁姑|不倫1.8万字5 709 -
完結第12話
「中卒は留守番してろ」と空港に置き去りにされた私――数時間後、高級旅館の女将が上司だけを追い返した
中卒ながら独学で資格を取り、旅行会社に中途入社した22歳の天野澪。現場経験を生かして難航していた企画を救っても、学歴を嘲る竹内部長に成果を奪われ続けていた。やがて澪は、予約困難な老舗旅館・天祥館の視察枠を獲得する。ところが出発前夜、竹内は部下を脅し、澪の航空券だけを密かに取り消した。羽田空港に1人残された澪へ届いたのは、「中卒は留守番してろ」というLINE。事情を知らず天祥館へ着いた同僚たちを待っていたのは、チェックインを認めない女将だった。なぜ女将は、不在の新人を待つのか。そして澪が保存した操作履歴と録音は、竹内の嘘をどこまで暴くのか。人生逆転1.8万字5 927 -
完結第10話
子どもを救って、僕は処分された
交差点で飛び出しかけた子どもを避けるため、市営バス運転士の北川蓮はとっさに急ブレーキを踏んだ。 子どもとの接触は避けられた。しかし車内では、降車しようとして立ち上がった高齢女性が転倒し、右手首を骨折してしまう。 翌朝、会社が蓮に差し出したのは「前方確認不足による危険運転」を認める謝罪文だった。 信号は見落としていない。子どもは確かに車道へ出かけていた。けれど、乗客を傷つけたこともまた事実だった。 会社は早く責任を運転士ひとりに押しつけようとし、世間は記事の見出しだけで蓮を責める。そんな中、蓮のもとに差出人不明の一通の手紙が届く。 そこには、事故の日に誰も語らなかった“もう一つの真実”が書かれていた。 守った命と、傷つけてしまった人生。 正しさだけでは割り切れない事故の先で、若い運転士が本当の責任と向き合っていく物語。因果応報|人生逆転1.5万字5 173 -
完結第12話
娘の結婚式で夫は愛人を新しい妻と紹介した
52歳の由美は、27年間連れ添った夫・剣一との夫婦関係がすでに壊れていることを知りながら、一人娘・美穂の結婚式までは何も起こさないと決めていた。ところが披露宴の最中、剣一は180人の招待客を前に、34歳の愛人・理香を「これからの妻になる人です」と紹介する。会場が凍りつき、娘が青ざめる中、由美は怒鳴りも泣きもせず、静かに立ち上がって拍手した。「あなたの本性を、私が説明する手間が省けました」。すると突然、新郎の父・誠が由美の前まで歩み寄り、深く頭を下げる。「これまで、本当によく耐えてこられました」。そして彼が口にした「準備はできています」という一言に、夫の表情が変わった――。人生逆転|不倫|熟年離婚1.8万字5 1649 -
完結第10話
ブラックカードを止めた10分後
結婚5年目、38歳の小百合は夫・拓也から離婚を突きつけられた。拓也が選んだのは、35歳の女医・玲子。「5年間も専業主婦で楽できたんだから十分だ」「これからは自分で稼げ」と笑う夫と義家族は、小百合を“1円も稼げない女”だと思い込んでいた。離婚届に判を押したその日、拓也は玲子を連れて両親との祝いの席へ向かう。小百合は何も言い返さず、玄関が閉まってから10分後、カード会社へ1本の電話をかけた。「家族カード3枚、すべて利用停止にしてください」。その夜、高級レストランで45万8000円の会計を前に、拓也一家が初めて知ることになる。自分たちが当然のように使っていた“豊かな生活”は、いったい誰のお金で成り立っていたのか――。人生逆転|夫婦|不倫1.5万字5 2283 -
完結第10話
清掃員が書いた設計図
倒産寸前の小さな町工場に、1人の若い清掃員がいた。 佐藤ゆい、21歳。学歴は中卒。従業員たちからは名前で呼ばれることもなく、ただ雑用係として扱われていた。 そんなある日、大企業から依頼された精密部品がすべて不良品となり、工場は2000万円の違約金を突きつけられる。誰もが技術不足だと責められ、工場長の竹夫も廃業を覚悟しかけていた。 その時、ずっと黙っていたゆいが静かに口を開く。 「設計が間違っています」 中卒の清掃員が、大企業の研究所の図面に誤りがあると言い出した――。 誰も信じなかったその言葉が、やがて町工場の運命を大きく変えていく。履歴書には書けなかった彼女の本当の力とは。人生逆転|真相1.4万字5 357 -
完結第12話
花嫁が僕を犯人にした朝
結婚式まで、あと1時間20分。 ホテルの支度室で、花嫁・白石奈緒は切り裂かれたウェディングドレスを前に、衣装修復担当の朝倉湊を指さした。 「ドレスを切ったのは、この人です」 しかし湊には分かっていた。昨夜、保管室で彼が見た時、ドレスはすでに切られていた。そして奈緒は、震える声で「明日の式を止めてほしい」と頼んでいたのだ。 なぜ花嫁は、自分を助けようとした男を犯人に仕立てたのか。 やがて、ドレスの内側に縫い込まれていたはずの封筒、消えた書類、三浦家の融資計画、そして花嫁本人の不可解な沈黙が、結婚式の裏に隠された別の真実を浮かび上がらせていく。 切られたのは、ドレスだけではなかった。 守るべき秘密と、押しつけられた罪。その境目に立たされた一人の修復師が、自分の人生を取り戻していく物語。人生逆転|真実|修羅場1.7万字5 2 -
完結第10話
「無職の父」と呼ばれた6年間
「無職のあなたに、病気のある子どもを育てられると思う?」 妻・美咲からそう言われた佐伯公平は、言葉を失った。10歳の息子・悠人は、4歳の頃から1型糖尿病と向き合っている。血糖値の確認、食事管理、通院、学校との連絡――そのすべてを6年間支えてきたのは、公平だった。 しかし妻は、安定した収入を理由に息子を連れて出ていこうとしていた。さらに、悠人にはすでに新しい部屋や転校の話まで伝えられていた。 父親として過ごしてきた時間は、「無職」という一言で消されてしまうのか。 公平は、6年間の連絡帳と医療記録を手に取る。そこには、誰にも見えなかった父と息子の日々が残されていた。 親権をめぐる争いの中で明らかになる、夫婦のすれ違い、息子の本当の気持ち、そして“家族”の形。 これは、父親として生きてきた時間を取り戻すための、静かな戦いの物語。人生逆転|夫婦|親子関係1.5万字5 313 -
完結第10話
米寿の席で外された嫁
米寿祝いの席で、義母は親族の前で突然言った。 「秋子さんには、明日から店へ来てもらわなくて結構です」 33年間、朝早くから和菓子店《松月堂》を支えてきた秋子。餡を練り、注文を管理し、繁忙期には夜まで働いてきた日々は、義母の一言で“家族の手伝い”として片づけられた。 しかも店から外された秋子に、今度は義母の通院や世話を任せるつもりだった。 何も言わず席を立ったその夜、秋子は古い段ボール箱の中から、亡き義父が残した一通の封筒を見つける。 そこに入っていたのは、秋子を守るための遺言ではなかった。 店の帳簿に隠されていた不自然な金の流れ、説明されていない借金、そして義父が最後まで言えなかった家族の秘密。 「家族だから」という言葉の下で、誰が何を背負わされていたのか。 33年間奪われてきた時間と仕事の価値を、秋子が静かに取り戻していく物語。人生逆転|嫁姑|親子関係1.5万字5 1869