"ヤクザが凍りついた夜" 第1話
午11を回った京町の裏で、「はっちゃん堂」とかれた赤提灯が夜に刻みに揺れていた。
堂といっても、は7も座ればいっぱいになるさな居酒だった。使い込まれたのカウンターには無数の細かな傷があり、井からがる裸球の黄いが、おでん鍋からちる湯気をぼんやり照らしている。
をで切り盛りするのは、72歳の岡本初だった。
40以この所にち続けている初は、髪をろでつに束ね、今夜も腰に拭いを挟んでいた。夫をくしてから15、度はを畳むことも考えたが、常連たちの「ここがなくなると困る」という言葉に押され、結局今まで簾を守り続けてきた。
「誠さん、今はえますね」
初が声をかけると、カウンターの番奥に座っていた老が静かに顔をげた。
原誠、78歳。
濃いのセーターにな着をね、膝のにはきれいに畳まれたハンカチが置かれている。に数回しか来ない客なのに、初が彼の名を覚えているのは、初めてへ来た夜のことがく印象に残っていたからだった。
5、妻の葬儀を終えた翌の夜だった。
誠は簾をくぐると、番奥の席に座り、本酒と根を頼んだ。その夜はほとんど言も話さず、本目の徳利をみ終えると、丁寧にをげて帰っていった。
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それから季節の変わり目になると、ふらりとへ現れるようになった。
「えますね」
く答えた誠のに、初は刻みねぎを添えた奴を置いた。
「これはサービス」
「いつもすみません」
誠は軽くをげ、箸を取った。
78歳にしては、驚くほど背筋が伸びている。箸の持ち方も、徳利を傾ける仕も妙に丁寧で、事に肘をつくことは度もなかった。
初が以そのことをにすると、誠はし笑って答えた。
「妻にいつも言われていたんです。事のくらい、ちゃんと背筋を伸ばしなさいって」
妻の美代子とは40代の頃にりった。
子どもには恵まれなかったが、の暮らしは穏やかだったらしい。美代子が5に病気でくなってから、誠は世田の古い軒で暮らしをしていた。
朝は6に起き、仏壇に線をあげる。
「おはよう、美代子」
それからトーストと目玉焼きを作り、でコーヒーをむ。昼は買い物や散歩へかけ、夜になると本を読み、決まったに眠る。
所の々から見れば、規則正しく暮らす普通の活者だった。
ただ、誠の若い頃を詳しくる者はほとんどいない。
町で働いていた期があったことはられていたが、それ以に何をしていたのか本は話さなかった。何かの拍子に昔の仕事を尋ねられても、「昔のことですよ」
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と笑って話題を変えてしまう。
初もく聞かなかった。
このでは職歴も肩も関係ない。
会社社であろうと職であろうと無職であろうと、簾をくぐればただの客になる。それを誠が気に入っていることを、初は何となく理解していた。
今夜もカウンターには何かの常連がいた。
所ので働く50代の田は、作業着のままビールをんでいる。しれたところでは、定退職した佐藤夫妻が、翌の病院の予約について声で話していた。
端の席には独会社員の田が座り、焼き鳥を本ずつゆっくりべている。
誰も特別な話はしていない。
仕事の愚痴。
スーパーの値段。
腰の痛み。
の気。
そんな話をしながらの疲れを置いて帰る。それが、はっちゃん堂という所だった。
誠もまた、ここに来るだけは孤独をし忘れられた。
美代子をくした夜から、彼は何度も考えてきた。
いだから、でも丈夫。
妻が最に残したその言葉は、本当に正しかったのだろうか。
できられることと、で寂しくないことはまったく違う。
それでも誠は、で寂しさをにすることはなかった。
奴をべ、ゆっくり息を吐く。
吸って、止めて、吐く。
その呼吸は妙に定だった。
初は健康法だとっていた。
このにいる誰も、その呼吸法を誠が若い頃から何も繰り返してきた理由をらなかった。
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