"軍艦島、命をつないだ白い飯" 第5話
息子が満そうな顔をする。
妻が笑いながら、ちゃぶ台へ皿を置いた。
今夜は魚ではなく肉がし入っていた。
島内の購買施設では料品から用品まで扱われ、会社の福利と結びついた販売の仕組みもあった。酒を買うには空き瓶を持ってき、そので量ってもらうような売り方もわれていた。
牛乳もに入る。
漬物も買える。
野菜もある。
魚も並ぶ。
さえ来れば、卓は決して貧しくなかった。
男は肉をへ運び、ゆっくり噛んだ。
「うまいな」
妻はし得そうな顔をした。
「かったんだから」
「いくらした」
妻が値段を言うと、男はわず眉をげた。
「すぎんか」
「自分は煙も酒も買うでしょう」
返す言葉がなかった。
稼ぎがよくても、妻の覚は堅実だった。
ただ、この島では本よりし等な品を選ぶことに躊躇しない庭もかったという。危険な仕事をしているのだから、べる物くらい良い物を、と考える者もいただろう。
の保証など誰にもない。
それを毎、坑ので見ている。
だから今べる。
今む。
今、子どもへ買ってやる。
そうした覚が、男たちの財布をかせたとしても議ではなかった。
、男は購買で量ってもらった酒をさなコップへ注いだ。
妻が言う。
「みすぎないでよ。もいんでしょう」
広告
「杯だけ」
「昨も言った」
「今は本当に杯」
男は笑った。
酒が喉を通る。
坑内ではめない。
煙も吸えない。
好きなにさえめるとは限らない。
だからへ戻ったの杯は、単なる嗜好品以のを持ったのかもしれない。
男は窓の向こうを見た。
夜なのに島の灯りは消えない。
これから仕事へ向かう者がいる。
今から帰ってくる者もいる。
24き続ける炭鉱では、誰かの夕が、別の誰かの朝だった。
夜に坑へがる勤務の、男はへまっすぐ帰らないことがあった。
社宅では妻と子どもが眠っている。狭い部で物音をてれば起こしてしまうし、何より坑内から戻った直の体は、すぐ眠れるほど静かではない。
そんな、堂の灯りはありがたかった。
島には福利の環として始まった堂があり、ちゃんぽんやうどんがされた。パンを焼く設備を持つもあり、い、島民に親しまれていたという。
男は浴をてから簾をくぐった。
「いらっしゃい」
には同じ交代を終えた坑夫が何かいた。
誰も炭まみれではない。
それでも顔を見るだけで、さっきまで同じ坑にいた者だと分かる。
「ちゃんぽん」
男が注文すると、湯気のつ丼が運ばれてきた。
野菜。
麺。
汁。
塩気。
すすっただけで、体の奥へが戻ってくる。
広告
汗を量に流しただからこそ、濃いがうまい。
向かいに座った独の若い坑夫が、うどんをすすりながら言った。
「料入ったら崎こうとっとるんですよ」
「またか」
「島じゃ、使い切れんですもん」
周囲が笑った。
冗談のようだが、半分は本気だった。
賃の負担はさい。
仕事によっては当も付く。
独寮で事まで用されれば、活費はさらに抑えられる。
それでも仕事は危険だった。
若い坑夫が丼を空にしながら言った。
「でも、次の料まできとらんとないですね」
笑い声がしだけさくなった。
男は何も言わず、ちゃんぽんをすすった。
坑夫同士では、こういう言葉が々落ちる。
い話をしようとったわけではない。
ただ、現実がからる。
昭39には、坑内でメタンガスにが入り、複数の坑内員が病院へ運ばれる事故が起きたとされる。さらに昭42には坑部で災が発し、消のため部を没させる措置まで取られたという。
事故は聞のだけにあるものではない。
同じ浴にいた男。
同じ堂で飯をった男。
昨まで隣の切羽で働いていた男。
そういう誰かに突然起こる。
だから堂の飯は、うまい。
今もでべている。
それだけで価値があった。
男は丼の汁を最までみ干した。
「おかわりするか」
の者に聞かれたが、首を振った。
「帰ったらまたわされます」
「よか嫁さんたい」
「わせすぎなんですよ」
をると、島は真夜だった。
広告
おすすめ作品
-
完結第25話
母との同居後、妻が倒れた――医師が私だけ呼んだ理由
父を亡くした春樹は、一人暮らしの母・節子を心配し、妻の夏美と三人で暮らし始める。家事も母の通院もこなす妻を見て、同居はうまくいっていると思っていた。ところがある朝、夏美が突然倒れ、救急搬送される。医師に一人だけ呼ばれた春樹は、妻の体に起きていた異変を知らされる。変更された婦人科の予約、開かれなかった白い封筒、妻に任せきりだった家の用事。自分は家族を守っているつもりだったのに、何を見落としていたのか。人生逆転|嫁姑|夫婦|親子関係3.1万字5 276 -
完結第16話
75万円を借りに来た私に、銀行が告げた65億円の秘密
十四年間、洋服直しの仕事を続けてきた石田牧は、自分の店を開くため、不足する75万円を借りに銀行を訪れた。ところが支店長から告げられたのは、自分に約65億円の信託財産があるという信じがたい事実だった。亡き母は大手物流会社の創業家の娘だったという。なぜ母は貧しい暮らしを選び、巨額の財産を隠し続けたのか。戸惑う牧の前に、初対面の叔父が現れ、21億円で株式を買い取ると申し出る。突然手にした財産の裏には、家族が長年隠してきた秘密と思惑があった。真実|第二の人生|親子関係|金銭問題2.3万字5 481 -
完結第15話
50万円で嫁がされた私、6年後に見た父の姿
昭和63年、教師になることを夢見ていた19歳の藤崎千春は、父が受け取った50万円の結納金と引き換えに、東北の山村へ嫁がされる。進学を諦め、過酷な農作業に追われる毎日。ところが、段ボールの底に隠していた受験参考書を義母に見つけられた日、千春の運命は思いがけない方向へ動き始める。夫と義父母の支えで夢を取り戻した千春は、6年後、教師となって実家へ帰る。しかし庭先で目にしたのは、かつて自分の進学を許さなかった父の、信じられない姿だった。第二の人生|親子関係|金銭問題2.4万字5 420 -
完結第17話
忘れたコートが教えてくれたこと
結婚式まであと3週間。高橋ゆいは婚約者・博人の実家に忘れたコートを取りに戻り、衝撃的な会話を耳にする。食卓に広げられていたのは、祖母から相続した自分のマンションを、博人の実家が営む会社の追加担保にする計画書だった。しかも本人への説明は「婚姻後1週間」の予定。14人の従業員を守るためだと訴える婚約者の母と、すべてを知りながら黙っていた博人。人生逆転|裡切られた|夫婦|真相|修羅場2.0万字5 394 -
完結第22話
「祖母が危篤」と10万円を求めた夫の大嘘
双子を出産してわずか3週間。看護師の雪乃は、夫の幸一から「祖母が危篤だから10万円ほしい」と頼まれる。ところが本人に電話すると、83歳の松江は畑仕事の真っ最中。「またあの子は私を死にかけにしたのかい」と呆れた声を上げた。夫の嘘をきっかけに、雪乃は生活費の口座から多額の貯金が消えていることに気づく。祖父母と孫|夫婦|第二の人生2.8万字5 621 -
完結第15話
3年眠った財閥社長を叩き起こした3歳の道士
3年間、意識不明のまま眠り続けていた財閥総帥・陸晏蕭。医師たちが命を諦めかけた瞬間、病室に飛び込んできたのは、峨眉山で修行した3歳の天才道士・沈兮兮だった。少女の強烈な平手打ちで奇跡的に目覚めた晏蕭は、彼女が自分の娘だと知って愕然とする。しかし兮兮は「パパなんていらない!」と完全拒絶。占いや不思議な術で周囲を驚かせる少女に、冷徹だった父親も少しずつ心を動かされていく。やがて3年前の事故に隠された陰謀と、少女が山を下りた本当の理由が浮かび上がり……。人生逆転|祖父母と孫2.1万字5 277 -
完結第12話
朝霧湯、最後の暖簾
昭和48年の暮れ。信州の小さな銭湯「朝霧湯」は、石油危機による灯油不足で休業の危機に追い込まれていた。主人の島田正一は、わずかに残った燃料と娘の進学費用を前に、店を閉める決断を迫られる。だが、風呂のない長屋に暮らす老人たちにとって、朝霧湯は欠かせない場所だった。妻の澄子や娘の千絵、商売敵だった銭湯の主人までが動き出すなか、正一は最後の一度だけ湯を沸かすことを考え始める。家族の暮らしを守るか、長年通い続けた客を迎えるか。昭和の町に生きた人々の葛藤と温もりを描く物語。時代|歴史|昭和|第二の人生|介護2.5万字5 161 -
完結第10話
手取り23万円の俺、旅館で妻が「お嬢様」と呼ばれた
手取り月23万円のトラック運転手・中村和也は、妻の彩佳と娘の結衣を何よりも大切にしていた。幼い頃、亡き父と交わした温泉旅行の約束を果たすため、毎月五千円を五年間積み立て、ようやく三十万円を貯める。結婚記念日に彩佳が選んだのは、山奥に佇む名門旅館「月影楼」。質素な暮らしの自分たちには場違いに思えたが、玄関に到着した途端、従業員が彩佳に深々と頭を下げた。「お嬢様、お帰りなさいませ」。妻が長年隠してきた過去とは何なのか。家族への愛と、思いがけない運命の再会を描く物語。人生逆転|夫婦|第二の人生|親子関係2.4万字5 1735 -
完結第20話
五歳で売られた天才少女、悪意を嗅ぎ分け父を救う
母を亡くした五歳の少女・ゆえんは、祖母に五百元で売られそうになり、父・陸長風を探すため村を脱出する。悪意を異臭として感じ取り、難解な数式や医学の知識まで理解する不思議な力を持つ少女は、旅の途中で国防研究所の主任を救い、省都の名門・陸家へたどり着く。しかし、父は極秘任務のあと消息を絶っており、母が遺した銀の首飾りには国家機密に関わる秘密が隠されていた。迫りくる敵の魔の手、そして謎に包まれた父の行方。小さな天才少女が、その知恵と勇気で運命を切り開いていく。因果応報|人生逆転|祖父母と孫2.2万字5 742