"「名前を書くな」公害病の申請を止めた父と、娘の「息がしたいだけ」" 第11話
「これも捨てなかったんだ」
「捨てようとったことはある」
「どうして残したの?」
忠雄はし考えた。
「忘れたら、昔の俺に戻る気がしたからかな」
「昔のお父さん?」
「分からないことを、分からないまま見ないふりしてた頃の俺」
忠雄は帳を閉じた。
「あのの設備と、おの発作が関係あったかは今でも分からん。たぶん分からん。でも、分からないなら何もしなくていいってことにはならない。それだけはから分かった」
美紀は父の横顔を見た。
昭49。
申請をに。
父は娘へ言った。
「名をくな」
あの。
美紀は。
父が自分より会社を選んだ。
そうった。
けれど。
本当は。
忠雄自。
どちらかを選べと言われたようにじていたのだ。
族を養った。
息を苦しそうにする娘。
仕事への誇り。
活への。
会社への恩。
設備を止めなかった記憶。
班になれば。
もっといいところへめるという希望。
どれかつだけなら。
簡単だった。
でも。
全部が。
同に。
本当だった。
公害という問題のには。
と民。
加害と被害。
という言葉だけでは。
簡単に分けられないたちもいた。
昼はで働き。
夜は咳をする子どもの背をさする父親。
町の空気を配しながら。
その町のから料を受け取る族。
会社に謝しながら。
会社へ改善を求めなければならない作業員。
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忠雄も。
そのだった。
だからこそ。
申請への署名は。
会社を捨てるためのものではなかった。
娘の苦しさを。
会社への恩義より。
さく扱わないためのものだった。
美紀は古い申請を箱へ戻した。
そのは父と母と。
昔話をしながら夕をべた。
帰り際。
玄関で靴を履いていると。
忠雄が聞いた。
「最、ぜん息はどうだ」
「だいぶいいよ」
「苦しいは?」
「薬あるから丈夫」
「するなよ」
美紀は振り返った。
学の頃。
何度も。
聞きたかった言葉だった。
でも。
今は。
笑って答えられる。
「分かってる」
昭499、公害健康被害補償制度の本格な運用が始まり、気汚染の著しい指定域では、定の件を満たした気管支ぜん息などの患者が認定・補償の対象となっていった。こうした制度は患者の治療や活を支える方、公害と産業の狭で暮らしていた族に、それまで言葉にできなかった矛盾を突きつけるものでもあった。
は。
町を支えていた。
同に。
町の空気について。
問われるでもあった。
そこに勤めるは。
単純な悪ではない。
病気になったも。
を憎みたいわけではない。
井にとって。
枚の申請が変えたのは。
空のではなかった。
美紀の病気が。
突然治ったわけでもない。
忠雄が。
を辞めたわけでもない。
ただ。
族ので。
つだけ。
変わった。
苦しいが。
「苦しい」
と言った。
その声を。
ほかの事より先に。
聞くようになった。
それだけだった。
けれど美紀にとっては。
それこそが。
あの。
父に名をいてほしかった。
本当の理由だった。
※本作は、昭49(1974)当の公害健康被害に対する認定・補償制度や、臨業帯周辺で暮らした々の社会状況を背景として構成した創作です。登物・企業名・庭内の来事は創作です。
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