みかん小説
本棚

"昭和40年、15歳で東京へ出た少年" 第7話

そのの夕暮れ、ミノルは寮の暗い部の机に向かい、故郷の母へ宛てて便箋をらせました。 げさな言葉はきませんでした。 『今械の仕事をしだけ任されました。社さんに褒められました。私は元気にやっています』 たったそれだけのい文章でしたが、ペンを握るの平には、初めて「の労働者」として認められた誇らしさが、じんわりとく宿っていました。

が来ると、獄のような灼の坩堝と化しました。 波板スレートの根は真の太陽に焼かれてを放ち、何台ものモーターと摩擦温をくまで押しげました。窓をけ放っても、が吹き込むばかり。汗が目に入り、塩分を失った腕の筋肉が痙攣しそうになる員たちは首に巻いた拭いで汗を拭いながら、鉄を削り続けました。 になれば転して、隙が吹き抜ける極寒の作業となりました。 凍てついた鉄の触は皮膚にへばりつくほどたく、指先はあかぎれで赤く裂け、切削油が染みるたびに鋭い痛みがりました。

それでも、ミノルは度も音を吐きませんでした。 隣の旋盤で作業する先輩が、あるの煙を吐きしながら言った言葉が、ミノルの胸にく刺さっていたからです。 「ミノル、の仕事はな、最初の半番辛いんだ。

広告

けれどな、鉄は嘘をつかねえぞ。は裏切ることもあるが、鉄はこっちがをかけた分だけ、必ず正確に応えてくれる。慣れちまえば、自分の腕本できていける、いい商売よ」 季節が巡るたびに、ミノルのの平には固い角質が何層もなり、の柔らかかった皮膚は、油と鉄の匂いを吸い込んだ「職」へと確実に変わり始めていました。

ミノルが活の拠点としたのは、の裏に建つ造モルタル階建ての粗末な寮でした。 に、万の敷かれた布団が領。そこに、見らぬ方から集められたたちが肩を寄せって暮らしていました。

の仲たちは、見事なまでにバラバラの故郷を持っていました。 州・熊本の農男坊で、名を吉といいました。 もう陸・富の漁からやってきた寡黙な佐々。 そしてもうは、ミノルと同じの、青森からやってきた成田というでした。

最初は、言葉の壁にぶち当たりました。 吉の激しい州弁は、ミノルには半分も理解できませんでした。 「なんば言いよっとか、向に分からん!」 「おの喋り方こそ、ズーズー言うて何言ってるか分からねえよ!」 最初の数週は、方言の違いや活習慣のズレから、畳ので取っ組みいの喧嘩になりかけたこともありました。

広告

けれど、族から切りされ、見らぬ巨の片隅で孤独に震えているという点において、彼らはまったく同じ傷を抱えた同胞でした。 ひとも経つと、自然とお互いの言葉を真似しい、吉の「ばってん」やミノルの「だべ」が部び交うようになり、それが々の労働を終えたの、何よりの笑いの種へと変わっていきました。

寮の活には、厳格な決まり事がありました。 洗濯は共同の洗いわなければならず、たい井戸を浸しながら、固形鹸を擦り付けて作業の頑固な油汚れを揉み落とすのは、骨の折れる労働でした。 呂は、歩いて分ほどの所にある銭湯「松の湯」へ、で連れって通いました。

ミノルは、京の銭湯の壮さに度肝を抜かれました。 く吹き抜けた青い井、男湯と女湯の境の壁に堂々と描かれた見事な富士のペンキ絵。そして、底が見えるほど透き通った、刺すように湯。 さに鳴をげながら湯舟に浸かり、仲たちと湯煙ので交わすのない会話が、で唯、張り詰めた神経を緩めることのできる至福のでした。

「今の昼飯のコロッケ、さかったよな」 「吉、おまた旋盤のバイト欠けさせただろ。主任がってたぞ」 「うるさか! 次はちゃんと研ぎ直すたい!」

「……うちの田舎じゃ、今頃、田植えの真っ盛りだなあ」

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: