"300億円の恩返し" 第1話
「まあ、お兄さんとで、の丈にあったお相を探してくださいね」
品にえられた猫なで声が、たい控の空気に染み渡った。 園部(そのべ)正子――亜央代表取締役会の妻は、に汚れた汚物でも払い落とすかのように、の指先を宙でさく払って見せた。 その隣には、仕ての良いモーニングを着た夫の園部周会と、嘲笑を隠そうともしない男の克彦常務が並んでいる。
、午。 比ロイヤルホテルの階、郎控。 本来であれば、盛なファンファーレとともにチャペルへと入しているはずのその刻、内には異様な静寂だけが横たわっていた。
部の央、鏡を背にして置かれたパイプ子に、純のタキシードを着た兄・柏琢磨(歳)が、たったで腰をろしていた。 両を膝のにきちんと揃え、線は方の壁の点を見つめたまま微だにしない。 ただ、その目尻だけが、耐え忍ぶように真っ赤に充血していた。
「お兄ちゃん……」
私が息を切らして控の扉をけた、兄はかすかに元をかした。 「……ミレイ、来たのか」 声は砂を噛んだように掠れていた。 「えりさんは……? 式はどうなったの?」
私の問いかけに、兄は泣きしそうな子供のような顔で、の端だけを歪めて笑おうとした。
広告
「来ないってさ。……式も、披宴も、結婚そのものも……最初から全部、『ドッキリ』だったんだと」
「……は?」 私の全の血液が、音をてて逆流した。
ドッキリ? に度の結婚式を、が集まるれの台を、そんな劣極まりないお遊びで踏みにじったというのか?
「そうですよ、妹さん」 腕を組んで扉のにっていた園部周会が、を鳴らしてせせら笑った。 「の程をるというのは、こういう勉を言うんだ。堅建材の冴えない平社員が、代続く創業の婿になれると本気でっていたのかね? あまりに滑稽だから、親族同でちょっとしたお灸を据えてやったのさ」
周会の線が、私の物のビジネススーツを瞥し、蔑むように細められた。 「でネイルだかエステだかの商売紛いの仕事をしている妹のあなたも、わざわざ恥をかきにんできたわけだ。ご苦労なことだね」
私は鳴らなかった。泣き叫ぶことも、掴みかかることもしなかった。 ただ、静かに呼吸をし、兄のいタキシードの袖から覗く、節くれだったきなを見つめた。 そのの甲には、にわたり建材倉庫のたい鉄パイプや材を担ぎ続け、私を学まで卒業させてくれた証である、無数の細かな古傷が刻まれていた。
私はバッグからスマートフォンを取りした。
広告
そして、周会の目をまっすぐに見据え、く澄んだ声で問いかけた。
「……確か、あなたのは【亜央】でしたよね?」
「ああ。私が代表取締役会の園部周だ。それが何かね?」 周会は、誇らしげに顎を突きした。
私は画面のロックを解除し、シンガポール本社の財務担当直通回線を呼びした。 このれな選民の塊たちは、まだ何つらなかった。 彼らが今、蹴にして嘲笑ったこの男こそが――自分たちのに眠る【百億円】という途方もない預が、過にわたって置かれ続けていた「唯の理由」であったということを。
「もしもし、宇野(うの)さん?」 コールが鳴って秒、私は窓辺へと歩歩み寄り、受話器に告げた。
『はい、グループ財務統括の宇野です。会、お式はいかがでしたか?』 本との差があるシンガポール本社から、いつも通り沈着静な声が返ってきた。
「式は始まらなかったわ。……それより、今すぐ亜央に預けてあるグループ全体の資を照会して」
『元の端末で確認します。……普通預、定期預、決済用当座、ならびに法運用資をわせて、現【百億千万円】です。社内報告では約百億円として管理しております』
「分かった。……今すぐ、全額解約の続きに入って」
話の向こうで、宇野が瞬だけ息を呑んだ。
だが、余計な私を挟まないプロフェッショナルとして、すぐに淡々と実務の確認を返してきた。
広告
おすすめ作品
-
完結第15話
15年無給で働いた若女将を追い出した老舗旅館の末路
老舗温泉旅館「鶴の湯」に嫁いで15年。若女将の美里は一度も給料を受け取らず、料理から接客まで休む間もなく働いてきた。ところがある日、義母と夫はSNSで人気を集める若い女性を新しい若女将に迎え、美里を「時代遅れ」と追い出してしまう。長年守ってきた味も、常連客との約束も、彼らには何の価値もなかった。しかし、美里が去った翌朝から、旅館では思わぬ問題が次々と起こり始める。15年間、あの宿を本当に支えていたのは誰だったのか。職場逆転|人生逆転|嫁姑|第二の人生2.2万字5 27 -
完結第15話
正月、娘を家政婦扱いした義実家――私が下した決断
43歳のゆり子は、13歳の娘・美咲を連れて再婚した。しかし、結婚前は優しかった夫の賢二は、家事を押しつけ、娘の食事まで平気で奪うようになる。 迎えた初めての正月。夫の実家へ帰省した母娘を待っていたのは、休む間もない家事と姑からの冷たい仕打ちだった。さらに元旦、親戚の子どもたちがお年玉をもらう中、美咲だけが「他人だから」と仲間外れにされてしまう。人生逆転|嫁姑|夫婦|第二の人生|絶縁|親子関係1.9万字5 269 -
完結第15話
義母の老人ホーム代120万円を勝手に約束した夫
医療機器メーカーで働く結衣は、結婚以来、夫の翔太と義母の幸子に頼まれるまま、家電の買い替えや旅行代を負担してきた。月7万円の仕送りも、半分出すと約束した夫は一円も払わない。それでも家庭を壊したくない一心で我慢していたが、義母はついに結衣の勤務先へ送金を催促する電話をかけてくる。さらに夫は、義母が希望する高級老人ホームの入居金120万円まで、結衣に無断で支払う約束をしていた。夫のスマホに届いた一通のLINEをきっかけに、結衣は自分の人生を取り戻す決意をする。人生逆転|嫁姑|夫婦|絶縁|介護|金銭問題2.7万字5 1169 -
完結第15話
「柿の木だけは切るな」――庭から出た四人の遺骨
2024年、東京・品川の古い屋敷で、樹齢70年の柿の木が引き抜かれた。その根元から見つかったのは、大人一人と子ども三人の遺骨。20年前、この屋敷では住み込みの家政婦と三人の娘が姿を消し、家主である元校長は「金を盗んで夜逃げした」と説明していた。なぜ彼は、柿の木だけは絶対に切るなと家族に言い残していたのか。捜査を進める刑事・渡辺は、町の人々から尊敬されてきた元校長の過去と、20年間隠されてきた母娘の失踪の真相を追い始める。ミステリー|真実|真相1.7万字5 17 -
完結第12話
昭和35年、上野駅に現れた二人の「ハルコ」
昭和35年春。集団就職列車を迎えに上野駅へ来た食堂の主人は、「山本春子」と呼ばれた少女が二人同時に手を挙げたことに戸惑う。一人は店で働くために上京した春子。もう一人の晴子は、三年前に東京へ出た姉を捜していた。姉は故郷へ帰ったことになっているのに、家族は誰も会っていない。不審に思った主人が古い雇用通知書を調べると、晴子の帰郷を証明する書類に、自分の署名が残されていた。誰が少女たちの名前を使い、何を隠していたのか。集団就職の時代を背景に、書類一枚に翻弄された若者たちの人生を描く物語。時代|歴史|昭和|真相2.3万字5 0 -
完結第15話
夫の出張中に義両親が居座った――電話で判明した正体
夫の海外出張中、蒼井の家に突然やってきたのは、十年ぶりに顔を合わせる義両親だった。「息子から同居の許可をもらった」と言い張る二人は、家の料理を食べ尽くし、蒼井や娘のメイの服まで勝手に着て破いてしまう。追い出そうとしても、二人は居座るばかり。頼みの夫は電波の届かない場所にいて、連絡も取れない。そんな中、ようやく夫から電話がかかってくる。ところが、蒼井の訴えを聞いた夫は、思いもよらないことを口にした。厚かましい訪問者に振り回された母娘の、騒がしくも痛快な逆転劇。嫁姑|夫婦|絶縁|修羅場1.4万字5 176 -
完結第15話
「このおばあちゃん、危ない」六歳の孫が見たもの
六十八歳の静子は、夫を亡くしてから一人暮らしをしている。近所の蛇田さんは、毎日のようにお菓子を配って歩く親切なおばあさん。ところが、六歳の孫・小春だけは、なぜか彼女を避けていた。 ある日、三人でスーパーへ出かけると、小春が突然、静子の手を引いて言った。 「ばあば、このおばあちゃん、あぶない」 その直後、店員に呼び止められた蛇田さん。小春はいったい何に気づいたのか。お菓子に隠された秘密と、一人暮らしの老人たちが抱える寂しさを描く物語。人生逆転|祖父母と孫|真実|真相1.6万字5 65 -
完結第15話
二十通の辞表
祖父の跡を継ぎ、老舗料亭「綾瀬楼」の若女将となった28歳の蒼井。しかし総料理長の黒岩は、彼女を「高卒の小娘」と見下し、仕入れや経営への口出しを一切認めなかった。さらに創業100周年の記念宴会を翌日に控え、板前20人を引き連れて退職届を突きつけてくる。150人の客を迎える大切な宴席を前に、料理人が一斉に去るという絶体絶命の危機。ところが、土下座を迫られた蒼井は慌てるどころか、静かに微笑んだ。祖父が彼女を後継者に選んだ、本当の理由とは。職場逆転|因果応報|人生逆転|金銭問題2.2万字5 976 -
完結第15話
高齢女性を後回しにした受付――絵を替える女性の正体
町の内科クリニックに長年通う68歳の静子は、知人の山田さんが何度も診察の順番を飛ばされていることに気づく。受付の沼田は、特定の患者ばかりを優先し、理由を尋ねる山田さんには冷たい態度を取っていた。やがて山田さんは、受診することさえ怖くなってしまう。心配した静子が付き添った日、山田さんの顔色が急に悪くなるが、受付は取り合おうとしない。そんなとき、待合室で絵を掛け替えていた一人の女性が口を開く。その何気ない一言から、長年見過ごされてきた受付の問題が明らかになり始める。人生逆転|介護|金銭問題1.4万字5 137