"毎月7000円を隠していた夫の20年の秘密" 第7話
「母さん、誰かいらしたのか」
奥の障子がき、の男が姿を現した。
に焼けた無骨な顔ち。昭雄と同じように、眉にい縦皺が刻まれている。男は半に褪せた襟シャツを着ていたが、半を見て文子は息を止めた。
には普通の袋を履いていたが、の膝からは、頑丈な革バンドとの鉄パイプで組まれた、無質な義だった。男は壁にてかけてあった作りの樫の松葉杖を脇に挟み、ぎこちない取りでへとみてきた。
男の鋭い線が、文子のにある受領証の束に止まった。
男はすべてを理解したように、しげに目を細めた。
「……奥さんですね。昭雄の、奥さんですね」
男の声は、驚くほど太く、落ち着いていた。
「私は本清司と申します。……、隠し通せるはずがなかったんだ。あいつの馬鹿正直な送が、いつか奥さんを傷つけるが来ると、ずっと恐れていました」
清司は松葉杖を突き直すと、文子に向かって々とをげた。
「どうぞ、がってください。埃っぽいですが……昭の、あのの夜に何があったのか、すべてをお話しいたします」
井川の堤防を吹き抜けるが、駄菓子の軒先のガラス瓶をカチャリと鳴らした。
文子は震えるで、暗いがり框へとを踏み入れた。
広告
の暗の扉が、今、ゆっくりとかれようとしていた。
茶箪笥のの神棚には、煤けた油煙の匂いが染みついていた。
文子が通された畳は、駄菓子の表の喧騒から切りされたようにひっそりとしていた。壁際には、解体された柱計や目覚まし計の真鍮製の歯が、油のに然と並べられている。清司は義を横に投げすようにして畳に座り、母親の子が差しした湯の湯呑みを文子のへ押しやった。
「奥さん、昭雄は昔ののことを、何か話していましたか」
清司の静かな問いに、文子は膝のでハンドバッグのを握りしめたまま首を横に振った。
「いいえ……精に入る、区の川にあったさな鉄所にほどいたとだけ聞いております。そこでし体を壊して、しばらく職を探していた期があったと」
「体を壊したんじゃない」清司は自嘲するようにく息を吐いた。「あいつの体は無傷だった。壊れたのは、俺の体と……あいつのだったんだ」
昭28の、京の町はまだ戦争の焼け跡の匂いが完全には消えていなかった。川の運沿いにあった「川作所」は、トタン葺きのバラック同然の建に、古の旋盤やフライス盤を数台詰め込んだだけの吹けばぶような零細だった。
広告
当25歳の昭雄と清司は、同じ旋盤の組に入っていた。潟の貧農から単てきた昭雄と、静岡から母を養うために京してきた清司。どちらも学歴はなく、着古した軍用の作業をボロボロになるまで繕いながら、油煙ので朝から晩まで鉄を削っていた。
「あいつは昔から無でね。をけば『おふくろに仕送りしなきゃならん』『くの職になりたい』ばかりだった。俺たちは歳も同じで、境遇も似ていたから、よくの裏の運で酒を本買って分けったもんです」
運命が狂ったのは、昭281222の夜だった。
京は記録な寒波に見われ、夕方から霙交じりの激しいがり始めていた。朝鮮戦争の特需景気がになり、の町が次々と倒産していた期だった。川作所にも形決済の期が迫っており、親方は「今夜にこの鉄板を削り終えなければ、からは渡りをして全員に迷うぞ」と、員たちに徹夜の突貫作業を命じた。
「削っていたのは、さミリ、直径がメートルもある型の円形鋼板でした。本来なら、がかりで型クレーンを使って据え付けるべき量物です。だが、うちのにはそんな設備はなかった。昭雄が材料の芯しをして主軸にボルトで締め付け、俺が送り刃を操作して荒削りを担当することになっていた」
のは凍えるように寒く、員たちの吐く息はく凍りついた。
広告
おすすめ作品
-
完結第18話
昭和五十一年、消えた父の声を十八年後に聞いた
昭和51年、深夜番組の途中で言葉を止めたアナウンサー・孝一が、そのまま姿を消した。局から消えた200万円を持ち逃げしたと疑われ、家族には盗人という噂だけが残る。18年後、娘の奈津美は放送局の壁から、当夜の未放送音声を記録したテープを発見する。 調査の末、孝一はダム建設に伴う戸籍偽装と土地補償の不正を知り、死亡したことにされた女性の娘を守ろうとして町を離れたと判明する。200万円の受領書も局幹部による偽装だった。しかし危険が去った後も、孝一は家族に拒絶されることを恐れ、自ら帰らない年月を重ねていた。 奈津美たちは父と再会するが、すぐに昔の家族へ戻ろうとはしない。父の潔白だけでなく、その後の沈黙も記録に残し、それぞれの距離で関係を築き直す。資料館では途切れた放送と地域の声が保存され、孝一は新たな記録に《今度は、返事がなくても、自分から確かめる》と書き残した。昭和|ミステリー|真相|行方不明2.7万字5 0 -
完結第16話
廃線駅に殘された最後の切符
昭和43年、廃線となった白沢駅で、老駅長・源吉は毎年3月12日になると、昭和25年の日付が入った東京行きの切符を机に置いていた。若い駅員の修一が調べると、その日は14歳の少年・健一が故郷を離れた日だった。 健一は別の少年を助けるために名前を貸し、故郷では東京へ就職したことになっていた。しかし本人は別の土地で働き、母へ送った手紙も届かないまま、帰る場所を失っていた。源吉は、東京へ行きたくない健一を時代の流れに任せて送り出したことを、長年悔やんでいた。 源吉の死後、白沢駅へ戻った健一に、修一は最後の切符を渡す。それは旅立ちを促すためではなく、「いつでも帰ってきてよい」と伝えるために残された一枚だった。健一は草に覆われた廃線跡を歩き、置き去りにした故郷との時間に向き合う。歴史|昭和|ミステリー2.4万字5 14 -
完結第19話
廃線の駅で待ち続けた父
昭和37年、源吉は毎週金曜日、15年前に列車が来なくなった青谷駅のベンチで誰かを待っていた。駅員の中村が古い記録を調べると、源吉の息子・修一は終戦後の列車事故で消息を絶っていた。 しかし修一は、事故の直前に戦災孤児の健一を助けるため列車を降りていた。源吉が本当に待っていたのは息子ではなく、「修一さんに助けられた。いつか会いに行く」と手紙を送った健一だった。 中村は30歳になった健一を探し出す。修一の家族を苦しめることを恐れ、15年間会いに行けなかった健一は、最後の金曜日に青谷駅を訪れる。源吉はその顔へ震える手を伸ばし、「修一に似ている」と静かに告げた。歴史|昭和|ミステリー2.9万字5 18 -
完結第11話
帰国した父が「家族を忘れた」と言った日
5年間の海外赴任を終え、昭和47年に帰国した隆夫。しかし家族の思い出を避け、海外での仕事ばかり語る父に、息子の修一は「家族を忘れてしまった」と感じ、親子の距離は広がっていく。 ある日、修一は父の鞄から、家族へ送られなかった大量の手紙を見つける。隆夫は家族を忘れたのではなく、自分が父親として忘れられることを恐れていた。帰国後も、5年間不在だった自分と向き合えず、海外で成功した会社員として振る舞い続けていたのだ。 再び海外赴任と昇進を提示された隆夫は、初めて会社ではなく家族を選ぶ。数年後、社会人になる修一へ「仕事は大事だ。でも、帰る場所をなくすな」と伝える。本当の意味で家族のもとへ帰るまでの、父と子の再生の物語。時代|歴史|昭和1.7万字5 11 -
完結第12話
消えた姉と18年後の手紙
昭和39年、19歳の佐和子は東京の洋裁店へ働きに出るため、柳行李を上野駅へ送った。しかし本人は店に現れず、上野に届いた荷物からは財布、印鑑、戸籍関係の書類だけが消えていた。家族は、佐和子の帰りを待ち続ける。 18年後、弟の浩二は父の遺品から、姉が乗るはずだった夜行列車とは別方向の列車に印を付けた時刻表と、失踪から2か月後に届いた姉の手紙を見つける。父は、佐和子が生きていることも、自ら家を離れたことも知りながら、家族へ隠していた。 横浜で姉を見つけた浩二は、佐和子が家族のために決められた人生から逃れ、自分の道を選んだと知る。やがて佐和子は弟と列車に乗り、母の墓がある故郷へ向かう。今度は誰かに決められた旅ではなく、自分の意思で選んだ帰郷だった。時代|歴史|昭和|ミステリー1.7万字5 24