"配給米を隠す母の秘密" 第2話
に含めば、喉を削るようにザラリとした触が広がる。 昨夜、母が押し入れの奥に隠したの米の姿が、鮮に脳裏をよぎった。
「……母さん」 私のい声に、すいとんの鍋を覗き込んでいた母のが微かに張った。
「なんで、達也の茶碗だけ米なんだ?」
母は顔をげず、菜箸をかしたまま言った。 「……達也は先週から邪気だったろう。それに、あの子はまだ歳だからね。胃の腑がくて、麦ばかりじゃ消化が追いつかないのよ」
「俺だって、毎麦飯ってんだぞ」 私の声が、苛ちを孕んでくなった。 「俺は朝から夕方まで、のい炉ので鉄屑を運んでるんだ。汗流して、油まみれになって、に料を入れてるのは俺だろ? なんで働いてる俺が麦飯で、遊んでる弟がい米なんだよ!」
ちゃぶ台の空気が、瞬にして凍りついた。 達也がビクッと肩を震わせ、箸を止めて私と母の顔を交互に見つめた。 キヨがそうに母の着物の胸元に顔を埋める。
「正、きな声をすんじゃないよ。所に聞こえるだろう」 母は静かに、けれど頑なに線を伏せたまま言った。 「おにはすまないとっているよ。でもね、達也はまだ子どもなんだから」
『達也はまだ子どもなんだから』。
その言が、私の胸の柔らかな部分を鋭利な刃物のように抉り抜いた。
広告
自分だって、歳だ。 本当なら、旧制学の制を着て、友と野球の話や学の話をしていたはずの齢だ。 誰も私を「子ども」として扱ってはくれない。 父がいなくなった瞬から、私はこのの「稼ぎ」であり、「代わりの父親」であることを当然のように求められてきた。 それなのに、べる飯のさひとつ取っても、私は「」としてをいられ、庇護の枠から叩きされている。
「……もういい」
私は麦飯を喉へ無理やり流し込むと、茶碗をガタリとちゃぶ台に置き、ちがった。 「正、おかわりは……」 「いらない」
にり、井戸で顔を洗う。 たいが、照った頬を突き刺すようにやしていく。 母は嘘をついている。 達也の消化のためだけに、あのの米を隠したのではない。 今朝、押し入れの隙を確かめた、あの麻袋はも形もなくなっていたのだ。 達也の茶碗に入った米など、のうちのほんの握りに過ぎない。
残りの米は、体どこへ消えたのか。
その夜、私は煎餅布団ので、識を研ぎ澄ませたまま、暗の井を見つめ続けていた。 計の針が、午を回った頃。 隣の部で、微かに擦れの音がした。
ギシ……ギシ……。
古い造の廊が、棒でも忍び込ませないような慎な取りで軋んだ。 私は息を殺し、毛布の隙から目を凝らした。
広告
障子の向こうを、黒いが横切っていく。 母だった。 になぬぐいをく被り、胸元には呂敷に包まれたさな塊を、赤子でも抱くように両でしっかりと抱え込んでいた。 その包みの角張った形状――違いなく、あの米袋だった。
ガラリ、と玄関の引き戸が、音をてないようミリ単位の速度でけ放たれる。 え切ったの夜気が、を通って私の布団の元へと流れ込んできた。
(くんだ……誰かのところへ)
臓が鐘のように打ち鳴らされた。 に米を売りにくのか。 それとも、所の男に目を使って、米と引き換えに何かを受け取っているのか。 戦の混乱期、きるためにを窶す母親たちの噂は、の控えでも嫌というほどにしていた。 もし、自分の母親がそんな真似をしていたら――。 恥辱とりで目のが真っ赤に染まりそうになるのを必に抑え、私は素に袋を突っ込み、音もなくへと滑りりた。
は、のいに覆われていた。 灯などつもない。 くで野犬が吠えをげ、焼け野原のバラックを揺らすが、柱のトタン根をカタカタと鳴らしていた。
メートルほど先を、ぬぐい姿の母が、急ぎで歩いていく。 折、ろを振り返るような素振りを見せるたび、私は壊れた塀のや、放置された米軍のドラム缶のにを隠した。
母の取りは迷いがなかった。何度も、何度も通い慣れたであることはだった。
広告
おすすめ作品
-
完結第18話
消えた写真屋の父が残した一本のビデオ
昭和62年の運動会の日、写真館を営む信吾が姿を消した。店から商店街の預かり金200万円もなくなり、家族を捨てて逃げたと疑われる。8年後、娘の由美は運動会のビデオの続きに、失踪したはずの父が午後4時過ぎ、道路計画をめぐって時計店主と口論する姿を見つけた。 由美が調べると、道路の調査資料は書き換えられ、父はそれを示す写真を守ろうとしていたことが分かる。一方で信吾は生きており、家族に連絡できる時期になっても帰らなかった。母の千鶴も、子どもを守るつもりで映像と自分が受け取った金のことを隠していた。 真相が明らかになっても、失われた8年は戻らない。由美と千鶴は新しい写真の店を開き、信吾とは時間をかけて会い直す。由美は今の家族をそれぞれの居場所で撮り、自分の写った一枚も店の棚に置いた。昭和|ミステリー|真相2.7万字5 0 -
完結第11話
昭和三十九年、父の止めた記事が暴いた新聞記者親子の真実
オリンピック開幕を控えた昭和39年。新人記者の達也は、少女工員たちの過酷な労働を告発する記事を書いた。だが、記者である父・誠一は「この記事は落とせ」と命じる。達也には、父が弱い人々を見捨てたように思えた。 父には、かつて事実だけを報じ、その背後にあった家族の事情を知る前に一家の暮らしを壊してしまった悔いがあった。達也も取材を重ね、工場が倒れれば故郷へ仕送りする工員たちが職を失うこと、社長も元請けの厳しい条件に追い詰められていることを知る。 それでも少女たちの苦しみは消えない。達也は父とともに、工場だけを責める原稿を書き改める。少女たちの声と工場の実情、元請けの責任を伝えるため、締め切りまでの四時間、再びペンを走らせた。時代|歴史|昭和1.7万字5 4 -
完結第14話
「お前には継がせない」と言った父が、最後まで守り続けたもの
昭和31年、佐々木商店を継ぐため東京での就職を断った長男・一郎に、父の源三は「店は健二に渡す」と告げた。理由を聞けないまま一郎は家を出て、父と距離を置く。 数年後、客足の減った店に戻った一郎は、父が商店街の先行きを案じ、自分を家業に縛らないために送り出したと知る。しかし、父の判断を理解しても、弟だけに店の重荷を負わせたことは見過ごせなかった。 一郎は東京で学んだ工夫を持ち込み、昔からの客に向けた電話注文と配達を始める。店のやり方をめぐって父とぶつかりながらも、源三が築いた信頼を次の時代へつなごうとする。時代|歴史|昭和2.1万字5 22 -
完結第13話
毎月7000円を隠していた夫の20年の秘密
昭和48年、給料が銀行振込に変わった日、文子は夫・昭雄の給料が、毎月受け取っていた額より7000円多いことに気づく。家計簿を遡ると、その差は十年以上も続いていた。 やがて夫の上着から見つかったのは、静岡に住む「山本和子」への振込控え。昭雄は、その女性へ約20年間送金していたことを認めるが、理由を話そうとしない。 夫婦で築いてきた暮らしの裏に、何があったのか。文子は昭雄の言葉を待つのをやめ、和子に直接会いに行くことを決める。時代|歴史|昭和|金銭問題1.9万字5 5