"配給米を隠す母の秘密" 第3話
町れへと向かう線沿いの。 赤錆びた鉄を渡り、辿り着いたのは、町の誰もがづきたがらない【駅裏の仮設収容所】だった。
空襲でを焼かれた引揚者や、寄りを失った戦災孤児、そして傷痍軍たちが、廃材と駐軍の残飯の缶詰のトタンを継ぎわせて作った、違法なバラック集落。 濘んだ面には汚の異臭がち込め、破れた筵(むしろ)の隙から、濁ったランプのが漏れている。
母は、その番奥、線のにへばりつくように建つ、坪ほどの粗末なのでを止めた。 窓すらない、ただの箱のような掘って。
母は周囲をもう度油断なく見回すと、板切れを打ち付けただけの粗末な戸を、指先でコン、コンと度叩いた。 そして、かすれた、けれど慈しむような声で呼びかけたのだ。
「……あなた。静です。持ってきましたよ」
あなた――?
物に隠れていた私の全から、瞬にして血の気が引いた。 母が「あなた」と呼ぶなど、この世にしかいないはずだった。
ギィィ……と、錆びた蝶番が鳴をげ、粗末な板戸が内側から細くいた。
漏れしてきたのは、油煙の混ざった古い植物油ランプの、頼りないの。 そして、を突く烈な消毒薬の臭気と、乾いたの匂いだった。
母はその隙から、滑り込むようにしてのへと入っていった。
広告
戸は再び閉ざされたが、完全に閉まり切らず、数センチの隙が残されていた。
私は濘に膝をつき、息を殺してその隙へと擦り寄った。 たい隙が、私の頬を容赦なく切り裂く。 だが、の内部に灯る景を界に捉えた瞬、寒さなど完全に吹きんでいた。
に筵を敷いただけの。 そのに、汚れた軍用の毛布にくるまり、壁に背を預けて座り込んでいるの男がいた。
伸び放題の無精髭。 頬は骨の形がわになるほど痩せこけ、目の周りは黒く窪んでいる。 着ているのは、階級章を剥ぎ取られた、ボロボロの帝国陸軍の用軍だった。 のズボンの裾は膝ので固く縛られ、そのから覗くは――自然に内側へ折れ曲がり、に変した皮膚が引きつれていた。
「すまないね……静。いつも、すまない……」
男がをいた。 く、かすれた、けれどの奥底にこびりついてれなかった、あの懐かしい声。 征するの朝、駅のホームで「母さんと弟たちを頼むぞ」と私の肩をく抱きしめてくれた、あの男の声だった。
「父……さん……?」
私の唇から、声にならない呻きが漏れた。 を見ているのかとった。 ので何度も見た、方のジャングルで爆撃に倒れたはずの父。 役所の戸籍係が「消息、の望みなし」と断定したはずの父が、なぜ、自宅から歩いて分もかからない、この汚れた駅裏のバラックにきているのか。
広告
ので、母は持参した呂敷包みを解いていた。 から現れたのは、あの麻袋に入ったの米だった。
「いいんですよ、あなた。しだけど、米がに入ったの。……の具はどうですか? 痛みますか?」 母は慣れたつきで、男のの包帯を解き始めた。 布の隙から覗く、銃創の跡。化膿した浸液が、黄く布を汚していた。
男――清は、痛みに顔を歪めながらも、首を横に振った。 「の痛みなんざ、どうでもいい。……それより、子どもたちはどうだ。正は……達也は、腹を空かせていないか」
「正は、派にで働いてくれていますよ。あの子が料を入れてくれるから、なんとか達也も学へ通えています」 母の言葉に、清は両で顔を覆い、ボロボロと粒の涙を零した。
「正に……のあの子に、を被らせているのか……。父親の俺が、こんな無様な体で隠れて、息子の稼ぎの米を掠め取ってきている……! こんなことなら、シベリアの収容所で野垂れんだ方が、よっぽどあいつらのためだった……!」
清の拳が、筵ののを激しく叩いた。 その慟哭をで聞きながら、私の脳裏を、りと混乱が猛烈な嵐となって吹き荒れた。
きていた。 父は、きて帰ってきたのだ。 それなのに――なぜ、堂々とに帰ってこないのか。 なぜ、族が待つがの敷居を跨がず、こんな豚のような所で、母から盗みされた米を啜って隠れんでいるのか。
広告
おすすめ作品
-
完結第18話
消えた写真屋の父が残した一本のビデオ
昭和62年の運動会の日、写真館を営む信吾が姿を消した。店から商店街の預かり金200万円もなくなり、家族を捨てて逃げたと疑われる。8年後、娘の由美は運動会のビデオの続きに、失踪したはずの父が午後4時過ぎ、道路計画をめぐって時計店主と口論する姿を見つけた。 由美が調べると、道路の調査資料は書き換えられ、父はそれを示す写真を守ろうとしていたことが分かる。一方で信吾は生きており、家族に連絡できる時期になっても帰らなかった。母の千鶴も、子どもを守るつもりで映像と自分が受け取った金のことを隠していた。 真相が明らかになっても、失われた8年は戻らない。由美と千鶴は新しい写真の店を開き、信吾とは時間をかけて会い直す。由美は今の家族をそれぞれの居場所で撮り、自分の写った一枚も店の棚に置いた。昭和|ミステリー|真相2.7万字5 0 -
完結第11話
昭和三十九年、父の止めた記事が暴いた新聞記者親子の真実
オリンピック開幕を控えた昭和39年。新人記者の達也は、少女工員たちの過酷な労働を告発する記事を書いた。だが、記者である父・誠一は「この記事は落とせ」と命じる。達也には、父が弱い人々を見捨てたように思えた。 父には、かつて事実だけを報じ、その背後にあった家族の事情を知る前に一家の暮らしを壊してしまった悔いがあった。達也も取材を重ね、工場が倒れれば故郷へ仕送りする工員たちが職を失うこと、社長も元請けの厳しい条件に追い詰められていることを知る。 それでも少女たちの苦しみは消えない。達也は父とともに、工場だけを責める原稿を書き改める。少女たちの声と工場の実情、元請けの責任を伝えるため、締め切りまでの四時間、再びペンを走らせた。時代|歴史|昭和1.7万字5 4 -
完結第14話
「お前には継がせない」と言った父が、最後まで守り続けたもの
昭和31年、佐々木商店を継ぐため東京での就職を断った長男・一郎に、父の源三は「店は健二に渡す」と告げた。理由を聞けないまま一郎は家を出て、父と距離を置く。 数年後、客足の減った店に戻った一郎は、父が商店街の先行きを案じ、自分を家業に縛らないために送り出したと知る。しかし、父の判断を理解しても、弟だけに店の重荷を負わせたことは見過ごせなかった。 一郎は東京で学んだ工夫を持ち込み、昔からの客に向けた電話注文と配達を始める。店のやり方をめぐって父とぶつかりながらも、源三が築いた信頼を次の時代へつなごうとする。時代|歴史|昭和2.1万字5 22 -
完結第13話
毎月7000円を隠していた夫の20年の秘密
昭和48年、給料が銀行振込に変わった日、文子は夫・昭雄の給料が、毎月受け取っていた額より7000円多いことに気づく。家計簿を遡ると、その差は十年以上も続いていた。 やがて夫の上着から見つかったのは、静岡に住む「山本和子」への振込控え。昭雄は、その女性へ約20年間送金していたことを認めるが、理由を話そうとしない。 夫婦で築いてきた暮らしの裏に、何があったのか。文子は昭雄の言葉を待つのをやめ、和子に直接会いに行くことを決める。時代|歴史|昭和|金銭問題1.9万字5 5