"帰国した父が「家族を忘れた」と言った日" 第4話
なぜ、父はここまで頑なに「忘れたふり」をするのか。
その滑稽なまでの拒絶の裏に、何か得体のれない暗がをけているのを、健次は直し始めていた。
11に入ると、父の「異変」はさらに骨な形で庭を蝕み始めた。
父の配属先は、事業部の形ポストではなく、の本社ビル館のにある「総務部資材管理課」の調査役という、実権のない閑職だった。世として凱旋したはずの男が、なぜ毎類の理ばかりをしているのか。母がそれとなく尋ねても、父は「次のビッグ・プロジェクト(規模計画)へのスタンバイ(待)だ」と胸を張るだけだった。
しかし、健次は見ていた。
朝、勤していく父の背が、を追うごとに丸まり、駅へ向かう取りが引きずるようにくなっていくのを。そして夜、居で聞をく父の指先が、経済面の活字を追うたびに、刻みに痙攣しているのを。
決定だったのは、ある曜の午だった。
父が定期券を紛失したと言って警察署へかけ、母が所へ買いしにていた留守、健次は引き寄せられるように両親の寝へとを踏み入れた。
タンスの脇に置かれた、あの巨なサムソナイトのトランク。デュッセルドルフから送り返されてきた航空貨物の荷札が、今も剥がされずにぶらがっている。
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健次は膝をつき、トランクの留めにをかけた。鍵はかかっていなかった。
蓋をけると、には糊の効いたワイシャツの予備や、ドイツ語の分い業規格便覧が並んでいた。それらを慎に持ちげ、底板のクッションをめくった瞬、健次の指先に、くしゃくしゃになったの束が触れた。
取りしてみると、それはドイツ語と英語で印字された、無数の公な類の束だった。
『Konkursverfahren(破産続き始通)』 『通信業・欧州販売法 清算結報告』 『債務弁済命令』
ドイツ語の法な専用語は読めなかったが、赤インクで無慈に押されたスタンプと、英語で記された『LIQUIDATION(清算)』『TOTAL LOSS(全損)』の文字が、の目にも酷な事実を突きつけていた。
さらにそのから、枚の本語でかれた報の片が現れた。
昭4512付。本社総務部から父宛てに打された極秘報。
『現法再建断 全資産差押ヘ 野課補佐ニハ残務処理ノ 待命ヲ命ズ』
健次は息を止めた。
父がちげたはずのドイツの法は、成功を収めるどころか、現の競社との特許紛争と放漫経営によって、赴任からわずかで事実の倒産に追い込まれていたのだ。
類の束の隙から、何枚もの領収が零れ落ちた。
ライン川沿いの宿の宿泊証、現の職業定所(アルバイツアムト)の相談票、そして、デュッセルドルフ内の精神神経科クリニックが発した、父の診断。
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病名欄には、ドイツ語のタイプ文字でこう打たれていた。
『Reaktive Depression(反応性うつ病)/Sprachverwirrung(言語錯乱・因性拒絶)』
健次のので、すべての点と点が、残酷な本の線となって繋がった。
父は、世界を相に戦って勝った英雄などではなかった。
異国のたい法廷で敗し、部や同僚たちが次々と会社をっていく、残されて始末という名のをすすり、精神を病んで帰国した、ただの敗残兵だったのだ。
「……健次」
背で、たい氷のような声がした。
健次が息を呑んで振り返ると、部の入りに、父がっていた。
コートを着たまま、には傘を握りしめ、濡れた瞳でに散らばった類を見つめている。
縁の鏡が、のを反射して青くっていた。その唇から、あのわざとらしい英語交じりの喋り方は、完全に消えっていた。
「……見たのか」
父の声は、の記憶ので聞いたことのないほど、く、掠れ、今にも崩れ落ちそうに震えていた。
暗い寝に、のがく差し込んでいた。
畳のに散らばった破産宣告と領収の束を挟んで、父と息子は、息をするのも忘れたようにち尽くしていた。
「お父さん……これ……」
健次の声は震えていた。
父は持っていた傘を壁にてかけ、ゆっくりと歩み寄ると、に崩れ落ちるように正座した。仕ての良い背広の肩が、目に見えてさくんでいく。
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