"帰れなかった実家" 第10話
子はタミの背を、優しく、何度もさすり続けた。
では、くの寺の夕鐘がゴーンとく響き渡り、茜の夕が信州のあいを静かに包み込んでいった。
昭53、初。
タミは78歳で、眠るように静かに息を引き取った。
枕元には、正雄と子、そして男の浩と、歳になる赤ん坊を抱いた恵子が寄り添っていた。臨終の際、タミはく目をけ、枕元に座る子のをかすかに握り返した。言葉はなかったが、その穏やかな目元の皺には、点の曇りも残っていなかった。
葬儀の夜、の広には、親戚やの々が集まり、静かな通夜が営まれた。
昔のように「嫁がどうだ」「本がどうだ」と威張り散らす老の姿はもうどこにもなかった。参列者たちは、の歴史をき抜いたの気丈な女性のを、ただ温かく悼んでいた。
線の番を交代した夜、子はで台所の勝にち、え切ったの夜空を見げた。
満のが、凍てつく信州の稜線のに瞬いていた。
あの昭30のから、23の歳が流れていた。
法律が変わっても、社会の制度が変わっても、ののに巣う「掟」や「血の呪縛」を解き放つには、のの分にいが必だった。
タミは決して、まれながらの残酷な姑ではなかった。
過酷な父制の犠牲となり、自らの痛みを正当化するために、同じ痛みを次の世代へ渡そうとしてしまった、くしいの女だった。
そして子自もまた、ただ耐え忍ぶだけのれな被害者では終わらなかった。
憎しみを抱えながらも、同じ理尽を次の世代へ連鎖させることを断固として拒み、踏みとどまった。その静かな、しかし靭な抵抗こそが、というつのさな社会の歴史を、根底から塗り替えたのだ。
勝の脇の竈から、朝の湯を沸かす煙が、静かにちり始めた。
真っな煙は、のりた瓦根を越え、の澄み切った青空へと、どこまでも真っ直ぐに昇っていく。
「お父さん……見ていてくれましたか」
子は胸のでそっとをわせた。
のひらのに、いあの、炭の匂いのした父の確かな温もりが、消えることのないとなって、静かに息づいていた。
広告
おすすめ作品
-
完結第12話
昭和35年、上野駅に現れた二人の「ハルコ」
昭和35年春。集団就職列車を迎えに上野駅へ来た食堂の主人は、「山本春子」と呼ばれた少女が二人同時に手を挙げたことに戸惑う。一人は店で働くために上京した春子。もう一人の晴子は、三年前に東京へ出た姉を捜していた。姉は故郷へ帰ったことになっているのに、家族は誰も会っていない。不審に思った主人が古い雇用通知書を調べると、晴子の帰郷を証明する書類に、自分の署名が残されていた。誰が少女たちの名前を使い、何を隠していたのか。集団就職の時代を背景に、書類一枚に翻弄された若者たちの人生を描く物語。時代|歴史|昭和|真相2.3万字5 82 -
完結第12話
卒業写真の空いた席
昭和40年、秋田県の山あいにある中学校。成績優秀な佐伯澄江は、家計を支えるため、高校進学を諦めて東京の縫製工場へ就職することになった。ところが卒業写真を撮る日、澄江は突然学校へ来なくなる。担任の女性教師が見つけたのは、少女が残した一枚の紙だった。そこには、紹介状に書かれた就職先と、母親が指定した送金先の住所が違うと記されていた。さらに、東京で結婚したはずの姉にも不可解な事情があるらしい。卒業証書を手に上京した教師は、少女たちの知られざる働き方と、家族の間に隠された事情を知っていく。時代|歴史|昭和2.3万字5 542 -
完結第12話
最後の伝書鳩
昭和19年、南方の山地。撤退を命じられた部隊は、谷に残された九人の兵士と連絡が取れなくなっていた。 通信兵の関谷清一伍長は、彼らが「未帰還」の一言で片づけられることに納得できない。しかし、無線は故障し、残された伝書鳩は最後の一羽だけ。報告書が敵の手に渡れば、百人以上の仲間まで危険にさらされる。 命令を守るか、九人の居場所を知らせるか。関谷は報告書の裏に、九人の名前と谷の場所を書き込んだ。 戦場で一枚の報告書と一羽の鳩に、九人の命を託した通信兵の物語。時代|歴史|昭和|真実2.3万字5 131 -
完結第15話
母ちゃんへの三千円
昭和39年春。十五歳の坂本吉雄は、母と幼いきょうだいたちの暮らしを支えるため、青森から集団就職列車に乗って東京へ向かった。大田区の小さな町工場で待っていたのは、厳しい親方と油まみれの仕事、六畳一間の共同生活。それでも先輩やおかみさんに励まされ、少しずつ仕事を覚えていく。やがて初めての給料を受け取った吉雄は、その大半を故郷の母へ送った。ところがその夜、青森から一通の電報が届く。東京オリンピックに沸く昭和の街で、十五歳の少年を待ち受けていた思いがけない知らせとは。時代|歴史|昭和2.2万字5 100