"昭和20年、疎開列車から消えた弟の記録" 第8話
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千代と矢島は炭鉱の労務名簿を調べ、川昭という青へき着いた。齢とは曖昧だったが、指が曲がり、文字の癖も正の作文に似ていた。 そのにいた者の記憶はしずつ違っていたが、違いを消してつの話へわせることはしなかった。い違いそのものが、当誰かが裏を求めた痕跡になることもある。
川は採炭現ではなく、読みきのできない労働者のを代する係もしていた。料には、戸籍のない若者のために役との交渉へ付き添ったという。 彼女の胸にはりと期待が同に湧いた。それでも探している相のを、自分が望む結末へ押し込めてはいけないと何度も言い聞かせた。
炭鉱仲は彼が姉の話を度だけしたと証言した。京で針仕事をしており、自分は会う資格がないと言っていたが、理由までは話さなかった。 証拠は劇な告ではなく、古いの端と消印、配番号の連なりとして現れた。千代はつずつ照し、推測と確認できた事実を別の頁へ記した。
昭の落盤事故、川は退職した。犠牲者名簿に彼の名はなく、横浜方面へ向かったという記録だけが残り、の事実は確認されなかった。 正をる々も、自分の沈黙が責められることを恐れていた。
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千代は責任を軽くする約束をせず、見たことだけを話してほしいと頼んだ。
千代はの掛かりに堵しながらも、弟が自分をんだままきたをった。見つければ抱きしめられるという単純な再会ではなくなっていた。 当の子どもには、族や教師の決定へ異議を唱える所がなかった。その均衡を理解しても、選んだの責任まで消えるわけではなかった。
矢島は聞へ写真を掲載する案をしたが、千代は断った。別名で築いた活を公に暴けば、弟が守ったの戸籍や族まで傷つくおそれがあった。 千代は弟をれな子どものまま記憶していたが、資料のの正は自分で誰かを守ろうとしていた。らなかったが、しずつのとして形を持ち始めた。
炭鉱の宿舎台帳には、川昭が毎額を京の所へ送ろうとして取り消した記録があった。宛先は千代の縫製所だったが、送欄には《受取との関係》と赤くかれている。別名で働く正は、本名との関係を証できず、窓で続を断したらしい。
元同僚は、川が子どものいる庭へづかなかったと話した。自分が戸籍を持たず、族へ迷惑をかけることを恐れていたという。千代は弟が自由を選んで帰らなかったのではなく、名を失ったの制度が帰を狭め続けた能性を初めて理解した。
炭鉱町の共同墓にも川昭の碑はなかった。千代は墓がないことをの証拠にはせず、なくとも落盤事故でくなったという噂が誤りだと理した。希望と事実を同じ欄へかない習慣を、調査のににつけていた。
彼女は捜索を続けながら、正の現の名を奪わない方法を選んだ。見つけたい気持ちを理由に、またが本のを決めてはならなかった。
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