"昭和20年、疎開列車から消えた弟の記録" 第11話
き換えられた失踪記録
教育委員会と警察は資料を再検討し、正の失踪記録を訂正した。野駅で自発に隊したという記載は、教師と実父の関与で疎先かられたへ変わった。 正をる々も、自分の沈黙が責められることを恐れていた。千代は責任を軽くする約束をせず、見たことだけを話してほしいと頼んだ。
沢製糸の主はすでにくなっており、刑事責任を問うことはできなかった。それでも児童労働と授受の事実は域史へ記録された。 当の子どもには、族や教師の決定へ異議を唱える所がなかった。その均衡を理解しても、選んだの責任まで消えるわけではなかった。
は自分の族へ本名を打ちけた。妻と子どもは戸惑ったが、彼が歩んだまで偽物になるわけではないと受け止め、川姓を今も使うことを選んだ。 千代は弟をれな子どものまま記憶していたが、資料のの正は自分で誰かを守ろうとしていた。らなかったが、しずつのとして形を持ち始めた。
千代は正の名を返してほしいとは言わなかった。弟自がき延びるために渡した名であり、が盗んだものではなかったからだ。 千代はすぐに結論をさず、その言葉と付を帳へき留めた。
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戦の混乱を理由にすれば何もかも曖昧にできるからこそ、確かな事実だけを残す必があった。
父吉の墓には、奉公受領の事実を記したさなを供えた。千代は墓を壊さず、許したとも言わず、父の嘘を自分だけの胸へ閉じ込めることをやめた。 そのにいた者の記憶はしずつ違っていたが、違いを消してつの話へわせることはしなかった。い違いそのものが、当誰かが裏を求めた痕跡になることもある。
聞記者は正がした能性を尋ねたが、千代は証拠のない結論を拒んだ。きていると決めつけることも、んだ物語へえることも本のを奪う。 彼女の胸にはりと期待が同に湧いた。それでも探している相のを、自分が望む結末へ押し込めてはいけないと何度も言い聞かせた。
記録訂正の会議では、担当者が《本ので逃した能性》という文言を残そうとした。千代は、歳の子が違法から逃げたことを自発失踪と呼べば、送り込んだの為が再び隠れると反対した。最終文は、父と教師の関与、からの逃、そのの所を分けて記載した。
の戸籍問題にはがかかったが、政は活実績と族関係を確認し、今の分を直ちに失わせない方法を選んだ。
真実をらかにすることが、別の老から仕事、、族を度に奪う結果になってはならない。その調もまた、事件の解決に必だった。
訂正文を受け取った、千代は最初の捜索願の控えを隣へ並べた。質も印字も違ったが、同じについてかれている。かけて変わったのは正のではなく、たちがそれを記す言葉だった。
公記録の最には《そのの所は未確認》と記された。という言葉が、初めて嘘ではなく正直な記録として残った。
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