"昭和天皇がマッカーサーに告げた「責任」" 第12話
昭()、未。 ラジオから、世界を揺るがすニュースが流れた。 『トルーマン統領、マッカーサー最司令官を全任務から即解任』
解任のらせを聞いた、マッカーサーは第命館の執務で、パイプを見つめていた。 傲と栄に満ちた半。フィリピン、太平、そして本を統治した。 その幕引きは、あまりにも唐突で、酷なものだった。
発をに控えた、午。 皇居・吹御所から、台のがアメリカ使館へと向かった。 昭皇が、解任されたマッカーサーを自ら見送るため、最の私会見を申し入れたのだ。
公邸の玄関で迎えたマッカーサーは、軍を着ていなかった。 ネクタイを締め、どこか疲れ果てたの老兵の姿だった。
「陛……わざわざお越しいただく必はなかったのです。私はすでに、何の権限も持たない失脚した軍に過ぎません」 マッカーサーが自嘲気に微笑むと、皇は静かに首を横に振った。
「閣。私は、本国民を代表して、からの謝を伝えに参りました」 皇はマッカーサーの両を固く握りしめた。 「敗戦の混乱の、が国民を餓から救い、平と民主主義へのを共に歩んでくださった貴方の尽力を、本国民は永に忘れることはありません」
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マッカーサーの青い瞳から、涙が溢れた。 かつて征者としてりった男が、今、被征者であったはずの男の温もりに触れ、肩を震わせて泣いていた。
「……陛。貴方のような気い魂を持つ指導者に仕えることができたことは、私の涯において、最も誇るべき名誉でした」
が交わした最の握。 それは、戦争という劇を乗り越えたつの魂が、真の友によって結ばれた瞬だった。
昭()。 アメリカ・サンフランシスコのオペラハウスにおいて、本を含むカ国による『サンフランシスコ平条約』が調印された。
全権委員として壇にった首相・吉田茂は、誇りく万をらせた。 に及ぶ連国軍の占領統治の終結。 本帝国は滅び、平と自由を掲げる主権国・本が、国際社会へと復帰を遂げた瞬だった。
調印式の継を、昭皇は吹御所のテレビ受像ので、淳皇后と共に静かに見届けていた。 画面ので、旭旗ではなく、しく制定された平憲法のもとで掲げられるの丸を見つめながら、皇は々とを垂れ、皇祖皇宗の神霊に対して主権回復の報告をった。
その夜、皇は首のを詠まれた。
『国のと今こそはなれに 耐へこし民のの芽ちて』
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厳しいのに耐え抜いた国民が、今、若の芽のように青々とちがろうとしている――。 自らの苦難には切触れず、ひたすらに国民の忍耐と努力を讃えるだった。
翌、昭()、条約の発効に伴い、GHQは完全に解体された。 第命館のに掲げられていた条旗がろされ、代わって本の国旗が青空く翻った。
この、皇居広には数万の国民が自発に集まり、に向かって万歳を唱した。 占領軍の戦も、憲兵のジープも、もうそこにはいなかった。 ただ、自らのでちがった国民と、その国民と共に焼け野原を歩き続けたの元首の姿があるだけだった。
しかし、皇の旅は、まだ終わっていなかった。 全国巡幸の最の目――炭鉱と過酷な引揚者たちが待つ、極の・への旅が残されていたのである。
昭()。 皇の全国巡幸は、最のであるへと達していた。
昭の川崎から始まったこの旅は、実に半の歳をしていた。 訪れた都府県は、沖縄を除く全都府県。 総移距は、万千キロ――球をほぼ周するさに達していた。 拝謁した国民の数は、延べ千万を超えると推計されていた。
釧の湿原、夕張の炭鉱、オホーツクを望む寒。
皇のオーバーコートは褪せ、靴の底はすり減り、幾度も修理がねられていた。
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