"昭和39年、空の給料袋を盗んだ女" 第1話
輪の夜に消えた料袋
昭、京では青い空へつの輪が描かれていた。川崎の臨部にある特殊属川崎でも、社宅堂に台しかない黒テレビのへ、夜勤に入る者まで集まっていた。画面ので選団が国競技へ入するたび、子どもたちは畳をたたき、たちは本もここまで来たのだと笑った。堂の窓のでは、の煙突が夕焼けを汚し、酸洗いから流れてくる属臭が祝いのにも消えなかった。
堂で働く藤原静は、歓声の背をき来しながら、湯みに番茶を注いでいた。歳、背はく、髪はいつもろで固く結んでいた。歳の娘・弘美がテレビの番に座っているのを見つけると、静は「目を悪くするよ」と肩を引いた。弘美は満そうに振り返ったが、母のエプロンの胸に付いた麦を指で払って笑った。
そのはの料でもあった。当、賃は振込ではなく、細と現を入れた茶封筒で渡されていた。経理係が百分の封筒を運び、各職の班が印鑑と引き換えに受け取る。夜勤者や欠勤者の分は翌朝まで堂奥の鋼製戸棚に保管する決まりだった。会式が終わるころ、受け渡しの済んでいない分が戸棚に残った。
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鍵を持つのは労務主任と組会計、それに堂責任者のだけだった。静は責任者が帰ったあと、洗いの確認を任されていたため、予備鍵をエプロンの内ポケットへ入れていた。夫の茂は労働組の会計係で、受け渡し表に数字をき込んでいた。弘美にとって、父が鉛をに挟んで働く姿は、テレビのの選よりしだけ派に見えた。
午分、突然、堂の照が落ちた。テレビのい点も本の線になって消え、子どもたちが鳴をげた。では械を守るため社宅側だけをさせることが々あり、誰も最初は事件だとわなかった。静はマッチで蝋燭にをつけ、弘美へ「ここをかないで」と言い残して奥へ向かった。
気が戻ったのは分だった。堂のには子が倒れ、戸棚の扉が半分いていた。に積まれていた個の料袋は消えていた。労務主任の相原が顔を変え、すぐに入を閉めさせた。誰かが「予備鍵は」と叫び、静がエプロンを探ると、内ポケットは糸を切られたように裂け、鍵がなくなっていた。
警察が来るまで、社宅のは堂からることを許されなかった。茂は弘美を膝に抱きながら、妻とは度も目をわせなかった。やがて堂裏の物置から静の買い物籠が見つかり、その底には予備鍵と、週の付の質札が入っていた。
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質に入れられていたのは静の母の形見の簪で、額は万円だった。
「借があったんですか」と刑事が尋ねた。静は唇を震わせ、簪を質に入れたことだけは認めた。だが、それは弘美の学学費を用するためで、夫にも言えなかったのだと説した。戸棚をけたことも、料袋を持ちしたことも否定した。ところが相原は、なくなった現は総額万円に及ぶと告げた。当の員の収にい額だった。
夜、静は任同を求められた。コートを取りに帰ることさえ許されず、いカーディガンのまま警察両へ乗せられた。弘美が追いすがると、静は窓越しにをかした。「テレビの裏を――」と見えたが、エンジン音に消され、続きは聞こえなかった。
翌朝、茂は警察に呼ばれた。彼は、妻が最「この社宅からたい」と漏らし、計簿にも説のつかない万円があったと証言した。さらに、に静が料袋ほどの包みを抱えて裏へ向かう姿を見た、と話した。その証言が聞に載ると、事件はほとんど解決したものとして扱われた。
裁判で静は、途から全面に罪を認めた。の方だけは最まで説せず、万円は発見されなかった。懲役。判決の、傍聴席にいた弘美へ、静は度も顔を向けなかった。
社宅の子どもたちは翌から弘美を「棒の娘」と呼び、茂は半にを辞めて、娘を連れて横浜のれへ移った。
それからが過ぎた。平成、跡の再発に伴い、古い社宅は取り壊されることになった。歳になった弘美は、役所の活相談員として、退する齢者の続きを伝うため、度と戻らないと決めた所へを踏み入れた。
堂は集会所として残っていた。作業員が、粗ごみにす黒テレビを壁から引きしたとき、背板の隙から油の包みが落ちた。には枚の与細と、空になった個の封筒が入っていた。弘美が震える指で名を追うと、そのうちには赤鉛で同じ文字が記されていた。
《昭、第溶解炉事故・》
料袋が盗まれた昭には、にんだへ、まだ料が支払われていた。
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