"昭和39年、空の給料袋を盗んだ女" 第6話
母がいた理由
弘美は何度読んでも、その文のを受け止められなかった。静が自分を産んだのなら、なぜ戸籍はか遅れ、乳児院から引き取るという形を取ったのか。なぜ父は、実子ではないと言ったのか。写真の赤ん坊の顔は傷と包帯でよく見えず、本当に弘美かどうかさえ確かめられなかった。
茂は桐箱のを初めて見たと言った。写真は相原から渡され、静へ見せるよう命じられただけだった。裏にが貼られていることには気づかなかったという。弘美は父の言葉をすぐには信じなかったが、の糊は古く、何度も剥がした痕はなかった。
静の産記録を探すと、昭、彼女が肺炎として週仕事を休んだ記録が見つかった。診療所の帳簿は害で失われていたが、堂仲だった女性は、静がそのころ急に太り、休みけには痩せて戻ったことを覚えていた。社宅では、結婚目にも子ができない夫婦だとわれていたため、妊娠をる者はいなかった。
なぜ隠したのか。その答えは、静が育った奉公先にあった。戦もないころ、代の静は黒崎で女として働き、同いの澄子と部を分けっていた。黒崎源郎の男はへ暴力を振るい、澄子が妊娠した。黒崎は体面を守るため、澄子を郷里へ帰したことにし、子を産ませて放す計画をてた。
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静は澄子を逃がし、自分も黒崎を辞めた。その数、静が妊娠した。父親は夫の茂だったが、黒崎は、静が澄子の子を隠して育てていると疑った。ちょうど茂が結核療養所へ入っていた期で、夫婦は婚姻関係を続けながら別居していた。黒崎はその隙につけ込み、まれた子を奪えば澄子の居所が分かると考えた。
静は産院の医師と乳児院の協力を得て、産記録を伏せた。赤ん坊をに恵寮へ預け、別の元児として夫婦が引き取る形にすれば、黒崎から追跡されにくい。澄子が事の夜に現れたのは、自分のために静の子まで危険にさらしたとり、助けに来たからだった。
事は事故ではなかった。相原は黒崎の命令で寄付台帳を回収しようとし、油ランプを倒した。澄子と静は裏から乳児を救いしたが、混乱のでがくなった。黒崎は相原を守り、澄子を扱いにし、静には度と事を語らないよう迫った。
弘美は護婦の証言だけでは真実と断定できないと考え、当の血液型資料を探した。静はA型、茂はO型、弘美はA型で矛盾しない。平成には親子鑑定も能だったが、静の所が分からない。茂との鑑定をうと、物学父子関係を否定する結果がた。
茂は結果を見て、子からちがれなくなった。
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彼は静が妊娠した期、自分は療養所にいたとっていた。だが面会記録には、昭、静が泊の保証となった記録があった。受胎期と致する。鑑定結果が正しいなら、病院で別の検体が使われたか、弘美が写真の赤ん坊とは別か、静の記述に嘘がある。
弘美は背の傷痕を見た。子どものころ、母はそれを「あなたがきててきた印」と言った。度も「乳児院の事」とは言わなかった。静は娘を産んだ母でありながら、を隠すため、の子として引き取った。しかし、その子が本当に同じ赤ん坊だった保証はない。
乳児院の者名簿を調べると、事でくなったの乳児のうち、は遺体の損傷が激しく元確認されていなかった。さらに救者の退所先には、件だけき換えの跡があった。《藤原》のから《黒崎関係者》という文字が消されている。
弘美は、の赤ん坊が事の夜に入れ替わった能性へき着いた。静が産んだ子と、澄子が産んだ黒崎の子。どちらかがくなり、どちらかが藤原弘美としてきている。静は真相を確かめられないまま、目ので助かった子を自分の娘として育てたのではないか。
そのとき護婦が、写真を撮った聞記者の名をいした。
記者は事のあと会社から圧力を受け、方支局へばされたが、取材ノートを娘へ残していた。ノートの最終頁には、包帯の女・澄子の逃先と、彼女が預けた封筒について記されていた。
《静の子は。裏に青い痣。黒崎の子は背に傷。を取り違えてはならない》
弘美の裏に痣はなかった。背には、事の夜についた傷だけが残っていた。
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