"昭和39年、空の給料袋を盗んだ女" 第8話
父が買った
弘美は、自分が黒崎の相続かもしれないという話にをかされなかった。欲しかったのは会社の株でも、失われた名でもない。母へ「会いたかった」と言う会だった。だが相原がに仕組んだの流れを解しなければ、静の罪記録は変えられない。
特殊属の旧株主名簿を調べると、昭、黒崎源郎の保株の部が匿名組へ移されていた。その受益者欄には藤原弘美の名が度記され、週に抹消されている。代わりに相原の妻名義が入り、の企業併できな利益を得ていた。
抹消続きの添付類には、弘美が黒崎との関係を放棄するという同があった。署名は歳の弘美、法定代理は藤原茂。弘美はもちろん署名した覚えがない。跡は、学の連絡帳から写し取られていた。茂は百万円と引き換えに、その類へ実印を押していた。
「戸籍を守るためだけじゃなかったのね」
弘美の声に、茂は俯いた。相原から、同へ押印すれば静の刑を軽くし、弘美を黒崎から守ると持ちかけられた。拒めば違法な届を告発し、娘を施設へ戻す。茂は妻と相談せず押印した。百万円は止め料であると同に、相続権を奪う代価だった。
父は「が欲しかったわけじゃない」
広告
と繰り返した。だが弘美は、欲望にはそのもの以の形もあるとっていた。派なにみ、娘をへ通わせ、所から普通の父親に見られたい。その活を失いたくないという欲望が、母から送られた通のを引きしへ閉じ込めた。
弘美は、自分が育ったを売ると告げた。茂は初めて声を荒らげた。「あのはおのために買った」と机を叩いた。弘美は「だから私が決める」と答えた。、歳の娘には何も決めさせなかった父へ、それ以の説はしなかった。
方、県警は元労務主任の相原が静岡の老施設できていることを突き止めた。歳の相原は記憶障害を装ったが、枚の与細を見せられると、「静が隠した所をやっと見つけたか」とを滑らせた。彼は当初、茂が封筒を回収したとっていたため、テレビを廃棄しようとはしなかったのだ。
相原は、増し与は会社を守るためだったと主張した。国製の全装置を入れれば操業が止まり、何百も職を失う。裏で監督官を黙らせ、をかしたから社宅の族はべられた。事故者の名を使ったのも、彼らがのために最まで働いたことにしただけだ、と言った。
「んだは文句を言わないとったんですね」
弘美が尋ねると、相原は笑った。
広告
「きているだって、族を押さえれば文句は言わない。おの母親が証した」
弘美は鳴らなかった。静が堂の付け払い帳に残した記録、森フサの返送通、の伝票を順に置いた。相原が説するたび、別の資料がその嘘を塞いだ。最に偽造された相続放棄を示すと、相原は茂へ責任を押しつけた。
「藤原が妻を売ったんだ。私は値段を聞かれたから払っただけだ」
その言葉は茂を庇う余を奪ったが、同に相原自の罪もらかにした。会社が静を告発した目は、架空与の発覚を防ぐことだけでなく、弘美の相続権を横取りすることだった。万円の架空窃盗と百万円の振込は、続きの取引だったのである。
事聴取のあと、相原は弘美へ「静を探しても無駄だ」と言った。彼女は所、会社から毎を受け取っていた。無実を訴えず、娘にづかない条件で暮らしていたのだから、被害者の顔をする資格はないという。
弘美の胸に、別の痛みがまれた。父だけでなく、母もを受け取っていたのか。調べると、静名義の座へ昭から、毎万円が振り込まれていた。振込は特殊属会。摘欄には《活援助》とある。
しかし座の残は、度も引きされていなかった。
分のは、昭の同じに全額、つの座へ振り分けられていた。名義は、第溶解炉事故でくなったの子どもたちだった。
広告
おすすめ作品
-
完結第13話
集団就職で東京へ出た姉は、名前を奪われた
「明日、全部話す。冬子たちは絶対にこの工場へ来ちゃ駄目」 昭和45年12月、東京の部品工場で働く姉・春江は、そう電話をかけてきた。 翌朝、姉は女子寮から姿を消した。 作業服も保険証も残したまま、編みかけの赤いマフラーには針が刺さっていた。 会社は、姉が貯蓄会の四十二万円を持ち出し、映写技師の男と逃げたと発表した。 父は姉から届いた手紙をすべて焼き、警察にも届けなかった。 冬子が灰の中から拾えたのは、最後の一行だけ。 《会社は、私たちの給料だけでなく、名前まで預かっている》 それから二十六年後、社会保険事務所から一通の照会状が届く。 亡くなった別の女性の年金記録に、姉と同じ指紋が使われていたのだ。 さらに死亡診断書には、その女性にはなかった身体的特徴が記されていた。 《右手人差し指、第一関節より欠損》 その傷を持っていたのは、失踪前の事故で指先を失った春江だった。時代|歴史|昭和2.3万字5 0 -
完結第14話
旅館に残された姉
「修平の合格通知は、お父さんに見せてはいけない」 昭和43年、母は長男の大学合格を三日間隠し、私に命じた。 「あなたが弟を連れて、入学手続きを済ませてきて」 父に逆らってでも弟の未来を守ろうとする母を、私は初めて頼もしいと思った。 けれど、その夜。 母が父へ放った一言で、私の喜びは消えた。 「芳子が残れば、旅館は何とかなります」 私は十五歳から五年間、厨房、掃除、配膳、帳場まで無給で働いてきた。 それでも両親にとっては、すべてただの「家の手伝い」。 弟には外へ出る道を作り、私にはその穴を埋めさせるつもりだった。 私は自分が担ってきた仕事と、代わりの人を雇った場合の人件費を一枚の紙へ書き出した。 「家族だからって、私の仕事がただになるの?」 父はその紙を丸めて捨てた。 一か月後、私は旅館を出た。そして数年後、経営に行き詰まった父が私を迎えに来た時、同じ紙をもう一度差し出した。時代|歴史|昭和2.1万字5 0 -
完結第11話
名門野球部で、僕らは声を失った
「3年は神、2年は平民、1年は虫けらだ」 昭和60年、甲子園を夢見て名門野球部へ入った15歳の実は、入寮初日にそう告げられた。 笑顔も私語も禁止。 練習中に水を飲むことさえ許されない。 喉の渇きに耐えきれず、実は便所に置かれた清掃用の泥水をすすった。 それでも辞めなかった。 ここで耐え抜けば、甲子園へ行けると信じていたからだ。 ところがある深夜、食堂から一本のマヨネーズが見つかり、1年生全員が呼び出された。 犯人として名乗り出た同期の胸元から、一枚の手紙が落ちる。 そこには、寮内で繰り返されてきた暴力と、密かに処理された負傷者たちの名前が記されていた。 少年はその夜、「反省室」へ連れていかれた。 そして翌朝、学校は彼の退学を発表したが――部屋に残された履物だけは、誰の手にも触れられていなかった。時代|歴史|昭和1.7万字5 0 -
完結第13話
昭和天皇がマッカーサーに告げた「責任」
「天皇は、自分の命を助けてほしいと頼みに来る」 昭和20年9月、マッカーサーはそう確信していた。 敗戦国の元首が、処刑を免れるために勝者へ頭を下げる。 その“命乞い”を聞くつもりで、赤坂の公邸へ昭和天皇を呼びつけたのだ。 だが会見が始まり、天皇が口にしたのは、自らの処遇についてではなかった。 「すべての責任は、私一人にあります」 さらに続いた言葉を通訳が英語へ訳した瞬間、マッカーサーの手から煙草の灰が落ちた。 予定された会見時間は十五分。 しかし扉が開いたのは、三十五分後だった。 入室前には「ヒロヒトさん」と呼んでいたマッカーサーが、帰り際には自ら車の扉を開け、「陛下」と呼んで見送ったという。 ところがその直後、二人の会話を記録したはずの公式文書が、GHQの保管庫から忽然と消えていた。 そこには、敗戦後の日本の運命を変えかねない“ある発言”が記されていた。時代|歴史|昭和2.0万字5 0