"昭和39年、空の給料袋を盗んだ女" 第9話
届かなかった通
静は会社のを受け取っていたのではない。毎振り込ませ、をつけずに積みて、事故遺児へ返していた。つの座には同額ではなく、それぞれが成するまでに必な学費を計算したような差があった。森フサの男は、そので夜学へ通ったことを覚えていたが、送り主は匿名の関係者だとっていた。
静は刑務所をたあと、富のさな児童養護施設で炊事婦として働いていた。元保証になったのは、弘美の証拠を預かった寺の職だった。施設は平成に閉鎖され、職員のくは散り散りになっていた。元保育士の話では、静は子どもにべ物を残させず、しかし無理にべさせることもしなかったという。
「迎えに来ない親を悪く言わないでした。でも、必ず来るとも言わなかった。待つことを子どもへ命令してはいけない、と」
静は昭まで施設に勤め、その、岡内の堂へ移った。昭、つの座へ送した直に退職している。所はそこで途切れていた。相原が活援助を止めた期とも致する。静が会社との沈黙の取引を終え、別の所へ移った能性がかった。
弘美は通のを元保育士に見せた。彼女は、静が毎のように娘へいていたことを覚えていた。
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返事が来ない夜は、堂の隅で便箋を破り、また最初からき直していたという。茂は通も届いていないと静へ伝え、弘美が受け取りを拒否しているとわせた。
しかし、最のだけは茂を経由していなかった。成した弘美宛てに、静は直接、横浜のへ留で送っている。郵便記録には《本受領》と残っていた。弘美は受け取っていない。受領印を確認すると、自分の名が稚拙に刻まれた印鑑で押されていた。それは父が相続放棄を偽造するために作った印と同じだった。
茂は娘の成の、玄関先で郵便配達員から受け取り、静へ返事をいた。《弘美は結婚を控えている。過をられたくないので、度と連絡しないでほしい》。弘美は当、結婚の予定などなかった。静はそのを信じ、以、娘へ直接連絡するのをやめた。
「あなたが番守りたかったのは何だったの」
弘美に問われ、茂はく黙った。やがて「おに父親と呼ばれることだ」と答えた。静が戻れば、の秘密も自分の裏切りもらかになる。娘がをていくとった。だから母を悪者のままにし、自分だけが苦労して育てた父親であろうとした。
その告には、言い訳より醜い正直さがあった。弘美は父を殴りたいとったが、かないと老いた背を見て、拳をろした。
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ったを許すことと、罰しないことは同じではない。彼女は通のと偽造印、振込控えを警察へ提した。
茂は印私文偽造や証拠隠滅について自ら供述した。くは効を迎えていたが、供述は静の再審請求と企業正の調査にだった。彼は聞記者のでも、自分が妻の鍵を盗み、虚偽の目撃証言をし、娘のを隠したと話した。
記事がると、弘美の職へ取材が押しかけた。「棒の娘」だった彼女は、今度は「創業者族の隠し子」「劇の相続」と呼ばれた。名は変わっても、がでを決める構造は同じだった。弘美は記者会見をき、相続について語らず、の名をずつ読みげた。
「は事故でくなったあとも、会社の帳簿ので働かされました。は最初からせず、しないをに換えられました。そして藤原静は、しない現を盗んだ女にされました。問題は私が誰の血を引くかではありません。会社がの名を、本の許しなく具にしたことです」
会見、の老女が弘美を待っていた。彼女は澄子ではなく、かつて岡の堂で静と働いた女性だった。静は昭にへ移り、その度だけ賀状を送ってきたという。葉にはい炭鉱町の写真と、しい勤め先がかれていた。
弘美は裏返した葉の付を見た。昭。静が最のをしてからだった。文面の最には、《弘美が幸せなら、私は母親だったと名乗らない》とかれていた。
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