"昭和39年、空の給料袋を盗んだ女" 第11話
の名
静の再審請求は、本の自、夫の証言、会社の被害申告という本の柱をつずつ崩す作業になった。資料は万円が引きされていないことを示し、テレビ裏の空封筒は現が入っていなかったという静の初期供述を裏づけた。茂は偽証を認め、元経理係の尾は帳簿のを証言した。
検察は、静が会社類を無断で持ちした点を問題にした。弘美も、母が何もしていないと主張するつもりはなかった。静自も法廷で「封筒を持ちし、隠した。それは私が選んだ為です」と述べた。そのうえで、しない現を盗んだという自は、娘の分を脅されてった虚偽だったと説した。
裁判所は再審始を認め、最終に現窃盗について無罪を言い渡した。会社類の持ちしは、当すでに処罰を受けた範囲となるうえ、公益目とい制状況が考慮された。判決は静を完全無欠の英雄にはしなかったが、万円を盗んだというの記録を確に否定した。
特殊属を吸収した会社は、旧経営陣の正を認め、事故者の遺族へ謝罪した。増し与の総額、補助の正受、全設備費の流用も公表された。効や関係者ので刑事責任を問えない部分はかったが、遺族との補償協議が始まり、史から削られていた第溶解炉事故の記録が復元された。
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相原は病気を理由に法廷へなかった。それでも録音された事聴取と残類により、裏、偽造、脅迫への関与が認定された。彼は最まで「を守った」と語った。だがとは建物でも煙突でもない。そこで働き、堂で飯をべ、へ料を持ち帰るのことだ。者の名を使い、遺族を追いした点で、彼が守ったのはではなく自分の位だった。
茂も公ので証言した。聞記者に、なぜ今になって妻を裏切った事実を話すのかと聞かれ、「娘に父親と呼ばれたいから黙った。今は、呼ばれなくても本当のことを言う責任がある」と答えた。派な言葉だったが、弘美はそれで過が清算されたとはわなかった。
父のは売却された。代から茂が実際に支払った宅費や活費を差し引き、止め料に相当する部分を基へ入れた。弘美は自分の相続権を利用して黒崎の旧資産を求することはしなかったが、偽造によって相原族へ移された株式利益については返還を求めた。
取り戻したで設けた基は、親の失踪、戸籍の問題、庭内暴力などにより学や就職が難しい若者を支援するものとした。名称に藤原も黒崎も使わなかった。《の名基》。実した、を作られた、そしてに定義され続けた自分自を忘れないためだった。
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弘美は澄子の方も調べた。寺の記録によれば、澄子はく富で縫製として働き、昭にくなっていた。結婚せず、子も持たなかった。遺品には弘美の写真はなかったが、毎にさな子どもを着買い、施設へ寄付していた記録が残っていた。
弘美は墓で「お母さん」とは呼ばなかった。産んだへの敬と、育てたへのは、同じ呼び名を奪いうものではないとったからだ。澄子が命を賭けて事から運びし、静がそののを引き受けた。どちらかだけを本物にする必はなかった。
静は退院も松本で暮らすことを選んだ。弘美は同居を提案しなかった。分をつ根ので急に埋めれば、互いに「母らしさ」「娘らしさ」を演じて疲れると分かっていた。代わりにに度会い、学ノートの空欄をつずつ埋めることにした。
最初の質問は《今、好きなべ物》。弘美は参とき、静は嘘だと笑った。が初めて笑いったあと、弘美は父について尋ねられた。「許したの」と静は言った。弘美は「許すかどうかを、まだ決めないことにした」と答えた。
決めない権利も、誰かに奪わせない。その答えに静は頷いた。
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