"旅館に残された姉" 第9話
その表に、驚きはあっても揺はなかった。 ぶりの親子の再会。しかし、芳子の瞳は、どこまでも澄み渡り、静まり返っていた。
「こんなところでち話もできません。……着替えてきますから、表の通りで待っていて」
を抜け、御堂筋をへった頓堀くの名曲喫茶。 クラシックのレコードがに流れる暗いボックス席に、は向かいって座っていた。
運ばれてきた湯気のつ珈琲に、千代はをつけようともしなかった。 テーブルのに両を置き、屈みになって娘にすがる。
「芳子、は読んでくれたね? 藤乃はもう駄目なんだよ。修平は京へって度と顔を見せないし、お父さんは臓を悪くして、板さんもていってしまった。……このままじゃ、先祖代々の宿を畳まなきゃならない」
千代の目から、ボロボロと粒の涙がこぼれ落ちる。 「お願いだから戻っておくれ。おが戻ってくれれば、厨も帳も何とかなる。族みんなで、もう度やり直そう」
芳子は運ばれてきた角砂糖をつ、カップのに静かに落とした。 のスプーンが陶器に触れるカチャリというい音が、静かな内に響く。
「お母さん」 芳子の声は、ひどく静かだった。 「にもいたけれど、私はもう、ただの『の伝い』としてあそこへ戻る気はありません」
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「伝いなんて言わないよ! 族じゃないか!」 千代が声を荒らげる。 「お父さんも反省してるんだよ。おがってから、どれだけ宿が変だったか骨に沁みてる。だから、娘のあんたが戻って、親を助けておくれよ!」
芳子はスプーンを置き、まっすぐに千代の目を射抜いた。 その線の鋭さに、千代はわず言葉を詰まらせた。
「私は今、千成で万千円をもらっています。煮方を任され、輩の指導も任されている。ここには、私の仕事に対する正当な評価があるわ」
芳子はを乗りし、静かに問いかけた。
「お母さん。私に、どちらので帰ってきてほしいの?」 「え……?」
「『娘』として? それとも、『働く』として?」
千代は息を呑み、答えに窮した。 「な、何を言ってるんだい……娘であり、働くじゃないか……」
「違います」 芳子はきっぱりと首を横に振った。
「娘として戻れば、また『族の助けい』という言葉で誤魔化されて、朝から夜まで無で働かされる。休みもなければ、自分ので献を決める権利もない。……もしそのつもりなら、私は今すぐこの席をちます。度と野のを踏むことはありません」
千代は青ざめた顔で唇を震わせた。 「じゃあ……どうすれば、戻ってくれるんだい」
芳子は鞄から、丁寧につ折りにされた枚の便箋を取りした。 あらかじめ万で几帳面に清された、か条の箇条き。
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それは、族という甘えを切排除した、徹な「雇用条件」だった。
千代の震えるのひらに置かれた便箋には、墨黒のインクでこう記されていた。
【藤乃復帰に関する就労条件】 、料理部の全責任者として正式に雇用すること。 、毎、末に万千円の賃を現にて支払うこと。 、献の決定権ならびに材の仕入れ先選定の裁量は、すべて料理責任者に帰属すること。 、「娘だから」という理由による、業務範囲の無償労働(客清掃・番業務等)を切しないこと。
「さ、万千円……!?」 千代は便箋の数字を見て、目を剥いた。 「芳子、いくらなんでもこれは……今の藤乃に、そんなを毎払う余裕なんて……」
「阪の相より万円く設定してあります」 芳子はを交えずに答えた。 「板をしく部から雇えば、み込みで万円はりません。しかも今の藤乃の評判では、腕のある料理など誰も来てくれないはずです。私が戻れば、調理だけでなく原価管理も徹底して、無駄な仕入れを削ってみせます。万千円は、宿にとっても決してい額ではありません」
芳子は千代の目を真っ直ぐに見つめ直した。
「これに、お父さんが署名と実印を押してください。それが戻るための絶対条件です」
千代はを抱え、掠れた声で嘆いた。
「お父さんが……こんな切れに判を押すはずがないよ。『娘が気に契約なんぞ持ちしおって』と、り狂うに決まってる……」
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