"旅館に残された姉" 第12話
芳子は帳に座る源蔵のにった。
源蔵はで煙の煙を吹きし、傲に言い放った。 「建設会社の役員連だぞ! 菜や川魚なんぞの貧臭い料理をせるか! エビフライにマグロの刺、カニの酢の物を用しろと俺が魚に注文したんだ。おの料理はすぎて、酒の席には向かん!」
「……養殖の岩魚は、どうしたんですか」
「断りの話を入れておいたわ! あんない川魚、仕入れてられるか!」
芳子の瞳から、温度が完全に消えった。 彼女は何も言わず、踵を返して厨へ戻った。 そして――のボタンをつひとつし、丁寧に畳んで調理台のに置いた。 掛けをし、包丁を鞘に収め、トランクへとしまい込んだ。
「芳子……? 何をしてるんだい」 勝から入ってきた千代がおろおろと尋ねる。
「本の営業は、私はりさせていただきます」
「な……何だと!?」 異変を察してび込んできた源蔵が鳴り声をげた。 「の宴会客が来るんだぞ! 料理のおが仕事を放りす気か!」
芳子は平のワンピースの襟を正し、静かに源蔵を見据えた。
「契約をお読みになりましたか、宿主。第条『献の決定権は料理責任者に帰属する』。それを方に破棄したのはお父さんです。決定権を奪われたに、料理の責任を取ることは能です」
「客に迷惑がかかるだろうが! 親を困らせる気か!」
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「困らせているのはお父さんです」 芳子の声は、微だにしなかった。
「凍エビとマグロをおしになりたいのでしたら、どうぞご自で揚げて、刺を引いてください。私は切伝いません。……契約が履されないのであれば、私は今こので阪へ戻ります」
「き、貴様ぁぁっ!」 源蔵が拳を振りげた。 だが、芳子は瞬きつせず、徹な目でその拳を見つめ返した。 殴れば、契約破棄。娘は度と戻らない。 それを悟った源蔵の拳が、空で屈辱に震え、やがて力なくろされた。
「……ええい、勝にしろ! おなんぞのを借りんでも、俺で宴会料理くらい作ってやるわ!」
源蔵は掛けを引っ繰り、厨のコンロへと向かった。 芳子は無言で会釈し、自へと引きげていった。
午。 建設会社の宴会が始まった瞬から、藤乃の厨は獄と化した。
「おい、刺がまだないぞ!」「ビールばっかりませる気か!」「ぷらが油でベチャベチャだ!」 広から、酔した客たちの号が響き渡る。
厨のでは、を過ぎた源蔵が、油のねる揚げ鍋のでパニックに陥っていた。 ぷらのはドロドロに溶け、解凍がにわなかったマグロはが凍ったまま包丁で潰され、無惨な切れ端と化している。 「千代! 茶碗蒸しの加減はどうなってる!」「す、巣がってしまって、固まりません!」
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注文の順番は狂い、吸い物はめ、酒の燗付けすら追いつかない。 わずかで、宴席は最悪の空気に包まれ、客の専務が帳に鳴り込んできた。 「藤乃! 度と使うかこんな宿! は払うが、度と顔も見たくないわ!」 叩きつけられた売をに、源蔵は膝から崩れ落ち、脂汗を流して震えていた。
客たちが嵐のようにった夜。 静まり返った厨に、芳子が音もなくりてきた。 荒れ果てた調理台。焦げ付いた鍋、に散らばったネギの屑、え切った油の臭気。
芳子は無言で掛けを締めると、黙々と散らばった皿を洗い始めた。 そこへ、腰をさすりながら千代が入ってきた。 娘の背を見つめ、千代はそのに正座し、畳に両をついた。
「……ごめんね、芳子」
蛇から流れるの音だけが響く。芳子はを止めなかった。 「何がですか」
「……修平を、へしてやりたかったの」 千代の震える声。 「あなたなら、残っても丈夫だとってた。体が丈夫で、くて、音を吐かないから……あなたなら、この宿の犠牲になっても耐えられると……そうってしまったの」
芳子の洗うが、ピタリと止まった。 につかった指先が、微かに張る。
「……嫌われていたわけじゃなかったのね」 芳子は振り向かずに呟いた。 「価値がないとわれていたわけでもなかった。……ただ、『芳子ならできる』と、都よく踏み台にされただけだったのね」
その言葉が、番痛かった。
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