"集団就職で東京へ出た姉は、名前を奪われた" 第1話
野きの就職列
昭、青森県津軽方のさな駅に、まだが残っていた。ホームには《祝 集団就職》とかれた横断幕が張られ、と学の先、見送りの族が、歳の子どもたちを囲んでいた。京へ向かう夜列の窓にはい息が曇り、母親たちは煮卵や握り飯を包んだ呂敷を、何度も持ち直していた。
藤も、その列に乗るだった。紺の学に、母が縫った茶のコートをね、元にはさな柳李しかなかった。父の源蔵は「京で働けば、妹もへける」と言い、泣くことを許さないような顔で娘の肩を叩いた。歳の子だけが、窓のをりながら、姉の名を呼び続けた。
は田区にある朝音響部品の蒲田へ就職した。ではラジオや型テレビに使う抵抗器を作り、方から集められた女たちは《の卵》と呼ばれた。会社の広報写真では、い作業の女たちが笑顔で並び、《の本を支える若い力》という文字が添えられていた。
野駅へ着いた、女たちは会社名をいた旗のろへ並ばされ、観バスのようなでへ運ばれた。京タワーも座も見えず、窓のに続いたのは煤けた町と、洗濯物を渡した細いだった。寮へ着くと私へ番号を縫いつけるよう命じられ、のコートには《蒲》の布札が付いた。
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名より先に部と寝の番号で呼ばれる暮らしが、そのから始まった。
寮では郷里の言葉を使うと先輩に笑われたため、は夜ごとラジオのアナウンサーを真似て標準語を練習した。子へのだけは津軽弁のままで、京では言えない音もそこへいた。ホームシックで泣くの女には、から届いた干し餅を分け、自分はだけで眠った夜もあった。
現実の仕事は細かく、速く、息苦しかった。は朝半からベルトコンベヤーのに座り、米粒ほどの部品を何千個も選別した。溶剤の匂いでが痛くなっても、来表の赤線を回れば班に子を蹴られた。夜は部の女子寮へ戻り、の消灯までに洗濯と翌の支度を済ませた。
料は茶封筒で支されたが、女たちはを自由に使えなかった。寮母の田が封筒を度集め、費、寝具代、制代を差し引き、残りを会社の《従業員貯蓄会》へ預けた。本の元へ渡るのは千円ほどで、通帳も印鑑も寮の鉄庫に保管された。
「都会で無駄遣いをしないよう、会社が親代わりになります」
入寮式で総務課の久保田はそう説した。親たちもし、異議を唱える者はいなかった。歳の女が映画を本見て、クリームソーダをめば、週分の遣いが消えた。
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それでもは毎、郵便為替で故郷へを送り、子には便箋いっぱいのをいた。
《働いたら帰る。そのころには裁も覚えているから、駅にさなをそう。子は帳面をつけてね》
は曜になると、の夜教で裁を習った。最初に縫ったブラウスはの袖のさが違ったが、子は送られてきたそれを学の事に着ていった。の子に笑われても、京で働く姉が作っただと胸を張った。
目の昭、のは変わり始めた。来や都会の話より、与細の数字についてくことが増えた。《貯蓄会の残が計算とわない》《辞めた子の印鑑が鉄庫に残っている》《病気で帰ったはずのの名で、今も寮費が引かれている》。だが父は、会社へ逆らえば仕事を失うと返事をした。
、末賞与の。は夕方、蒲田駅の赤い公衆話からへ話をかけた。話のある雑貨まで子が呼びされると、受話器の向こうでとの声が混じっていた。
「子、私が送ったお、ちゃんと全部届いてる?」
子は、父から言われた通りに答えた。「半、届いてないよ。お父さんが、姉ちゃんは京で遊んでるんだろうって」。はく黙った。そのあと、息をえるようにして言った。
「会社に取られていたとった。
でも違うのかもしれない。、全部話す。子たちは、絶対にこのへ来ちゃ駄目」
それが姉の最の声になった。翌朝、の布団はきちんと畳まれ、作業と健康保険証は枕元に置かれていた。編みかけの赤いマフラーには針が刺さったままで、柳李のには着もも残っていた。
会社は、が貯蓄会から万円を引きし、巡回映画の映写技師と阪へ逃げたと発表した。退職届には《男のと暮らします》とかれていた。源蔵はの々のでをげ、娘から届いたを庭で燃やした。
子だけは、のから枚を拾った。端は焼けていたが、姉がいた最のだけは残っていた。
《会社は、私たちの料だけでなく、名まで預かっている》
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