"集団就職で東京へ出た姉は、名前を奪われた" 第2話
万円の退職届
の失踪は、族から正式に届けられなかった。会社は源蔵に、娘が自分ので退職した以、警察へ相談すれば貯蓄会の横領について告訴すると告げた。源蔵は、残された妹たちの縁談に響くと言ってを閉ざし、母のミサエも夫に逆らえなかった。
子は卒業、元の縫製で働いた。姉とくはずだった裁をで始めたのは歳のときだった。板には自分の名だけを掲げ、の名は使わなかった。父がきている、失踪した姉は藤にしない者として扱われた。
母はの誕になると、仏壇ではなく空の箪笥へ林檎をつ置いた。んだと決めれば墓参りができるが、きているとえば帰る所を空けなければならない。どちらも選べない母は、姉の布団と茶碗を放さず、父に見つかるたび「子の嫁入り具だ」と嘘をついた。子はその嘘を助けながら、度も母へ最の話の内容を話せなかった。
源蔵がくなったとらされたあと、子は警察へ姉の相談にった。しかし成女性の自発な失踪で、以のことだとして、正式な捜索にはならなかった。退職届と会社の説がある以、事件性はいとも言われた。子は姉の焼け残ったをせずに持ち帰り、自分までの沈黙へ加わったことを悔やんだ。
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平成、歳になった子のもとへ、京の社会保険事務所から照会状が届いた。岸子という故の記録について、旧姓藤との関係を尋ねる内容だった。添付された職歴には、昭から平成元まで、京、横浜、阪の・縫製を転々とした記録が並んでいた。
岸子は田県で、と同じ寮にいた女だった。子は姉ので名を覚えていた。《子さんは肺がいけれど、が》《仕事が遅いは私が伝う》。会社の説では、子はが消えたかに肺病で帰郷し、ほどなくくなったはずだった。
ところが、記録へ添付された昭の採用票には、が朝音響へ入社した際に押した指紋と同じものが使われていた。担当者は、古いの照なので断定できないが、特徴点のくが致すると説した。もし同物なら、は失踪、岸子として働いたことになる。
子は京へ向かった。かつてのあった所には分譲マンションが建ち、女子寮だけが倉庫として残されていた。朝音響は別会社へ吸収され、旧資料は郊の保管庫へ移されていた。子は社会保険事務所の照会を示し、の貯蓄会台帳と退職類を閲覧した。
台帳では、の積額は万千百円。
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失踪当の午、全額が払い戻されていた。受領欄には藤の名と丸印がある。だが子は、姉が実へのに押していた楕円形の印を覚えていた。丸印は女子寮で全員分をまとめて保管する認め印だった。
署名もの字ではなかった。は《》の側をきくく癖があったが、取付の字は教科のようにっている。退職届と受領は同じ物がいたように見えた。会社は本確認をしたと主張していたが、窓担当者の印は総務課・久保田のものだった。
さらに子は、寮費控除の覧に奇妙な点を見つけた。の失踪も、か、彼女の座から費と寝具代が引かれていた。全額を払い戻した座から控除が続くことはあり得ない。帳簿の万円は、実際の預ではなく、会社内部だけでく数字だった能性があった。
当の経理係だった男性は、面会を拒んだ。しかし子が保管庫からたところで、髪の女性が待っていた。名を田と名乗った。、女たちの料袋と印鑑を管理していた寮母だった。
「さんは、おを持って逃げたんじゃありません」
はそう言い、古い鍵を差しした。真鍮の札に《貯蓄会印鑑箱》と刻まれている。「私があの子を裏から逃がしました」
と続けたが、子が理由を尋ねると、周囲を気にしてを閉ざした。
その夜、は待ちわせ所へ現れなかった。代わりに旅館へ通の封筒が届き、には昭分の女子寮貯蓄覧が入っていた。名のうち名の残が、本の与細と致していない。
覧の裏にはの字で、く記されていた。
《さんより先に、名を消された子がいます。岸子ではありません》
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