"集団就職で東京へ出た姉は、名前を奪われた" 第3話
会社が預かった名
子は、昭の寮名簿をずつ追った。のうち、所を確認できたのはだけだった。結婚で姓が変わった者、故郷へ戻った者、へ渡った者もいる。だがなくともは、退寮との資格喪失が以ずれていた。
名簿の所へをすと、半数くが宛先で戻った。話帳をめくり、同姓のへ軒ずつ話をかける作業は、裁を閉めた夜に続けた。突然、半世紀の寮活を尋ねられ、受話器を切る女性もいた。夫や子どもに、料を奪われていた過を話していないもかった。
それでも、目に連絡がついた女性は話で泣いた。自分だけ計算ができず額を勘違いしたとい、ずっと恥じていたという。子は、あなたの勘違いではないかもしれないと伝えた。その言が、別々に黙っていた女たちをしずつつなぎ始めた。
会社は女が辞めたあとも、その名義で保険料と寮費を計していた。与を実際に支したように帳簿へ記し、貯蓄会へ積みてた形にして、別の座へ移す。本は通帳も印鑑も持たされていないため、自分の名が退職も使われているとることができなかった。
子は、千葉にむ元寮の佐々苗を訪ねた。
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苗は歳のとき腎臓を悪くして退職し、故郷へ戻った。ところが記録では、退職からまで朝音響で働いたことになっていた。その期の賃について税務署から問いわせを受けたが、父親が「京の会社は分からない」と放置したという。
「ちゃんは、みんなの細を集めて計算してた。自分の分だけなら、あんなに危ないことはしなかったよ」
苗は、が堂のナプキンへ数字をき続けていた姿を覚えていた。基本、来、寮費、貯蓄額。分を並べると、毎ほぼ同じ割のが消えていた。会社は《女たちの将来のため》という名目で、数百万円を自由にかしていた。
失踪、は巡回映画の映会で映写技師の片桐修に接触した。当、の慰事では公民館や堂へ映写を運び、映画を映することがかった。映写隊のトラックなら、寮ので荷物検査を受けずに入りできた。は賃台帳の写しと録音テープを、空のフィルム缶へ隠した。
片桐は阪へ逃げた恋ではなかった。子が京都で見つけた彼は、歳になっていた。片桐はと度しか話していないと言い、預かったフィルム缶を京の労働組事務所へ届けたことを認めた。しかし組の担当者は会社側と話しうと言ったまま、証拠を返さなかった。
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「翌週、朝音響のが来た。女を誘惑したと警察へ訴える、仕事先にも回状をすと言われた。私は怖くなって京をれた。それがで逃げた証拠にされた」
片桐は、と子を最に見たのは午ごろだと証言した。はくの組事務所へ向かって歩いていた。は赤いマフラーを巻き、子は何度も咳をしていた。途で会社の型バスが止まり、総務課の久保田と寮母のがりてきた。
翌朝、は消え、子はで寝込んでいると説された。か、子も田へ帰ったことになった。だが苗は、子の柳李が寮の物置に半以残っていたのを見ていた。肺病で帰郷した者の荷物を、会社が送らないのは自然だった。
子は田の岸を訪ねた。子の両親はすでにくなり、弟がを継いでいた。弟は、姉がから帰ってきたことは度もないと断言した。会社から《療養に》という通と遺骨箱が届いたが、箱のに入っていたのはい砂だけだった。
岸の仏壇には、昭没と記された位牌があった。届の写しには、京都田区の浴で煤气毒によりとかれている。会社は族に、染症の疑いがあるため京で葬したと説していた。
子は診断の体特徴欄を読み、息が止まった。
《示指、第関節より欠損》
の差し指を欠いていたのは子ではない。昭、プレスの事故で指先を失っただった。
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