"集団就職で東京へ出た姉は、名前を奪われた" 第4話
んだのは誰だったのか
診断が正しいなら、は失踪からか、子としてんだことになる。だが記録では、その直から岸子が別ので働き始めていた。者の名をが使ったという最初の推測は逆転し、き残った子がの指紋を利用した能性が浮かんだ。
子は田区役所で葬許証を調べた。者の確認者は総務課の久保田、診断した医師は会社診療所の嘱託医だった。遺体を族へ見せず、会社関係者だけで本確認と葬を済ませている。写真も歯科記録もなく、岸子と断定した根拠は社員証だけだった。
当の葬職員を探すと、代の男性が記録簿を残していた。会社ので運ばれた棺は釘を打たれ、染症の恐れがあるからけないよう言われたという。付き添いは久保田と嘱託医だけで、読経も献もなく、葬の骨は係員に拾わせた。若い女性がくなったにしては、あまりに急いだ続きだった。
診療所の嘱託医はすでにくなっていたが、息子が机から古い帳を見つけた。事故のの欄には《M・T、溶剤。会社指示でCO扱い》とかれていた。煤气毒とする診断は最初から虚偽であり、医師もそれを理解して署名していた。会社は名だけでなく、因まで別のものへ置き換えていた。
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しかし、その社員証の顔写真には子が写っていた。本の指がある女の写真と、示指欠損という記録が同じ類に並んでいる。誰かが別の体特徴をき加えたのか。それとも写真だけを差し替えたのか。子には、会社がの者を分の記録で覆ったように見えた。
から再び連絡が来た。彼女は族に止められ、最初の約束へけなかったと謝った。子が診断を見せると、は「浴でんだのは子さんでもさんでもない」と答えた。名は森本タキ、戸籍のないままへ連れてこられた歳の女だった。
タキは野の飯でまれ、届がされていなかった。職業紹介所を通せないため、会社は退職者の社員証を使わせ、臨として洗浄へ入れていた。の指はすべて揃っていたが、溶剤による皮膚炎で指紋がく、本確認に利用できる資料はほとんどなかった。
、タキは寮の浴で倒れていた。因は煤气ではなく、洗浄液に使われていたトリクロロエチレンによる毒だった。換気の悪い部で働き、寮へ戻ってから識を失った。会社は無戸籍の未成を違法に働かせた事実と、職業病を同に隠す必があった。
そこで久保田は、すでに退職扱いにした子の名を者へ与えた。
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体特徴にはのプレス事故記録を転記し、の資料を混ぜた。どの族が調べても部がい違い、誰の遺体か断定できないようにしたのである。
は、が万円を持ちしていないことも証言した。は貯蓄会の印鑑箱をけ、分の通帳を並べただけだった。全額引きしの類は翌、久保田が作成した。会社の庫には、女たちの積に見う現も預も残っていなかった。
つの疑問は解けた。は自分の貯を盗んで逃げたのではない。女たちのは、彼女が消えるから会社に抜き取られていた。退職届と万円の受領は、告発者を私奔した横領犯へ変えるための偽造だった。
だが、よりきな疑問が残った。が裏から逃がしたなら、そののをっているはずだった。子が迫ると、は昭の夜、へ送煤業者の着と子を渡し、ボイラーの搬入からしたと話した。
「子さんも緒だったんですか」
は首を振った。子は久保田に捕まり、寮の医務へ閉じ込められていた。はで逃げ、片桐が証拠を預けた組ではなく、阪の縫製へ向かった。は宛ての紹介状と、夜列の切符を持たせた。
「じゃあ姉はきていたんですね」
「ええ。なくとも、昭までは」
は、から届いた分の賀状を取りした。差名は毎異なったが、跡は同じだった。最の枚には、阪成区の縫製の所と、《父がくなったら子に会いにく》という言葉が残っていた。
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