"集団就職で東京へ出た姉は、名前を奪われた" 第5話
姉の指紋で働いた女
が阪へ逃げた昭、歳の女が元証なしで正式な職を得るのは難しかった。民票も健康保険証も会社に押さえられ、父は娘を族から除いた。のが経営する縫製は、雇いにい形でみ込みの女性を雇い、賃を現で渡していた。
賀状には、がミシンを覚え、紳士の裏を縫っていることがかれていた。《子とをす約束は覚えている。でも、今の名で帰れば父さんが会社へらせる》《もうしだけ待つ》。最初の数、彼女は本気で帰るを考えていた。
阪でが暮らしたのは、縫製所の根裏に仕切られた畳の部だった。来払いで、縫い損じた布代は賃から引かれたが、通帳と印鑑を取りげられることはなかった。初めて自分の料袋を自分でけた夜、はへ《なくても、これは私のおです》といている。京では万円を貯めたはずなのに、自分の指で度も数えたことがなかった。
休には夜の裁学へ通い、偽名をくたび胸が痛んだ。講師が修証へ載せる本名を尋ねても、は答えられなかった。技術をにつけるほど、それを誰のとして積みねるのか分からなくなる。彼女は子のために子どもの型を保し、再会のだけは藤へ戻れると信じていた。
広告
方、子は会社の医務から別の系列へ送られた。久保田は、子が告発に協力したことを族へらせると脅し、岸子の届を提した。戸籍んだ彼女は自分の保険証を使えず、会社から渡されたしい労働者帳で働くしかなかった。
その帳には岸子の名がありながら、指紋欄にはの入社票から複写した指紋が貼られていた。会社は、子本であることを証する資料と、別であることを示す資料を冊に混ぜた。逃げても元を説できず、訴えれば者がきていると疑われる仕組みだった。
子は記録をたどり、平成元まで働いた《岸子》の最の所へ向かった。横浜の古いアパートは取り壊されていたが、元主は、子と名乗る女性がく暮らしていたことを覚えていた。柄で、咳がく、の指はすべて揃っていたという。
平成元、女性は退職を受け取れないまま姿を消した。会社から、した物の名で働いたことが発覚すれば警察へ届けると言われたらしい。主は彼女が残した裁縫箱を保管していた。にはから子へ宛てたが通入っていた。
は失踪も連絡を取っていた。は阪、子は京郊。には互いの健康や仕事だけでなく、森本タキのを証する方法がかれていた。
広告
は会社から持ちした与細を、子は浴の作業と診療記録を、それぞれ別の所へ隠していた。
昭、父・源蔵がくなると、は子へ会う決をした。《父さんがいなくなれば、もう会社へ連れ戻されない。に青森へく》。子へ送ったには、汽の刻と、子のの所まで記されていた。
しかし、は子のへ来なかった。翌、阪の縫製で災が起き、無届のみ込み女が方になった。聞は者、方と報じたが、会社の雇用名簿にはの名がなかった。
子は、姉がその災でくなったのだとった。ところが裁縫箱の底から、昭の消印がある封筒が見つかった。災の、はきていたことになる。
封筒のにはではなく、青森駅の入券と枚の写真が入っていた。写真には、幼い娘のを引いて駅を歩く子が写っている。裏にはの字で、《会いにった。でも、声をかけなかった》とかれていた。
さらに写真の端には、子の父・源蔵が写っていた。昭にんだはずの父が、昭の青森駅でと向きっていた。
広告
おすすめ作品
-
完結第14話
旅館に残された姉
「修平の合格通知は、お父さんに見せてはいけない」 昭和43年、母は長男の大学合格を三日間隠し、私に命じた。 「あなたが弟を連れて、入学手続きを済ませてきて」 父に逆らってでも弟の未来を守ろうとする母を、私は初めて頼もしいと思った。 けれど、その夜。 母が父へ放った一言で、私の喜びは消えた。 「芳子が残れば、旅館は何とかなります」 私は十五歳から五年間、厨房、掃除、配膳、帳場まで無給で働いてきた。 それでも両親にとっては、すべてただの「家の手伝い」。 弟には外へ出る道を作り、私にはその穴を埋めさせるつもりだった。 私は自分が担ってきた仕事と、代わりの人を雇った場合の人件費を一枚の紙へ書き出した。 「家族だからって、私の仕事がただになるの?」 父はその紙を丸めて捨てた。 一か月後、私は旅館を出た。そして数年後、経営に行き詰まった父が私を迎えに来た時、同じ紙をもう一度差し出した。時代|歴史|昭和2.1万字5 48 -
完結第13話
昭和39年、空の給料袋を盗んだ女
「テレビの裏を――」 警察車両に乗せられる直前、母は窓越しにそう口を動かした。 昭和39年、東京五輪の開会式で社宅食堂が沸く中、停電が発生。 そのわずか十二分間に、工員二十四人分の給料袋が消えた。 予備鍵を持っていた母・静江は逮捕され、途中から犯行を認めた。 しかし、総額七十四万円は一円も見つからなかった。 娘の弘美は「泥棒の娘」と呼ばれ、母と離されたまま三十一年を生きる。 そして平成7年、取り壊される社宅の白黒テレビの裏から、油紙の包みが落ちた。 中にあったのは、空の給料袋二十四枚と、同じ人数分の給与明細。 そのうち七人は、事件の二年前に工場事故で亡くなっていた。 なぜ会社は、亡くなった工員へ給料を払い続けていたのか。 明細を見せられた父は青ざめ、弘美にこう告げた。 「これ以上調べたら、お前まで戸籍を失う」時代|歴史|昭和2.3万字5 2 -
完結第11話
名門野球部で、僕らは声を失った
「3年は神、2年は平民、1年は虫けらだ」 昭和60年、甲子園を夢見て名門野球部へ入った15歳の実は、入寮初日にそう告げられた。 笑顔も私語も禁止。 練習中に水を飲むことさえ許されない。 喉の渇きに耐えきれず、実は便所に置かれた清掃用の泥水をすすった。 それでも辞めなかった。 ここで耐え抜けば、甲子園へ行けると信じていたからだ。 ところがある深夜、食堂から一本のマヨネーズが見つかり、1年生全員が呼び出された。 犯人として名乗り出た同期の胸元から、一枚の手紙が落ちる。 そこには、寮内で繰り返されてきた暴力と、密かに処理された負傷者たちの名前が記されていた。 少年はその夜、「反省室」へ連れていかれた。 そして翌朝、学校は彼の退学を発表したが――部屋に残された履物だけは、誰の手にも触れられていなかった。時代|歴史|昭和1.7万字5 0 -
完結第13話
昭和天皇がマッカーサーに告げた「責任」
「天皇は、自分の命を助けてほしいと頼みに来る」 昭和20年9月、マッカーサーはそう確信していた。 敗戦国の元首が、処刑を免れるために勝者へ頭を下げる。 その“命乞い”を聞くつもりで、赤坂の公邸へ昭和天皇を呼びつけたのだ。 だが会見が始まり、天皇が口にしたのは、自らの処遇についてではなかった。 「すべての責任は、私一人にあります」 さらに続いた言葉を通訳が英語へ訳した瞬間、マッカーサーの手から煙草の灰が落ちた。 予定された会見時間は十五分。 しかし扉が開いたのは、三十五分後だった。 入室前には「ヒロヒトさん」と呼んでいたマッカーサーが、帰り際には自ら車の扉を開け、「陛下」と呼んで見送ったという。 ところがその直後、二人の会話を記録したはずの公式文書が、GHQの保管庫から忽然と消えていた。 そこには、敗戦後の日本の運命を変えかねない“ある発言”が記されていた。時代|歴史|昭和2.0万字5 0