"昭和29年、夫を亡くした私から船が奪われた" 第4話
を取り返すために見つけたはずのが、今度は志津へ別の問いを突きつけていた。
徳蔵は、いったい正にいくら貸し、そのはどこまで返されていたのか。
志津は翌朝、吉松から借りた領収控えの写しを持って徳蔵のへった。徳蔵は網の錘を直していたが、を見るとを止めた。否定するとっていた志津に対し、徳蔵は「そうだ。俺が3万円した」とあっさり認めた。
「なら、最初からそう言えばよかったでしょう」
「言ったらおは、はいそうですかとを渡したか」
「借りた分なら返します」
徳蔵は笑わなかった。
「3万円だけだとっとるのか」
徳蔵が奥から持ってきたのは、古い学ノートだった。そこには正へ渡したというがごとに並び、代3万円のほか、昭27の網代1万2000円、の発修理代8000円などがかれていた。返済の記載もあるが、徳蔵の計算ではまだ1万8400円残っているという。
志津には初めて聞く額ばかりだった。ただ、網をしくしたも発を修理したも覚えている。正が「今は揚げから引かれるから苦しい」と言っていたことまでいした。
「揚げから引かれていた分は?」
徳蔵の表がわずかに変わった。
「何の話だ」
「発を直したあと、毎引かれていました。正がそう言ってました」
「組へ払うと俺への借は別だ」
広告
その言葉を聞いた瞬、志津はちがった。徳蔵の帳面を奪うことはせず、かれていると額だけ自分のへ写した。「別なら別で、確かめます」と言うと、徳蔵は初めて声を荒らげた。
「どこへく気だ」
「漁協です」
「志津、余計なことをするな」
その「余計なこと」という言葉で、志津はむしろくべき所が決まった。
漁協の帳では井が骨に嫌な顔をした。志津が正の過3分の揚げ精算を見せてほしいと言うと、「古いものまで何に使う」と聞き返し、すぐには帳面をそうとしなかった。
「夫の借を調べます」
「徳蔵との兄弟の貸し借りなら組は関係ない」
「関係ないなら、見せても困らないでしょう」
押し問答の末、若い帳係が倉庫から綴りを運んできた。志津は枚ずつ数字を追い、昭276の欄で指を止めた。
《揚 万千百円》《組数料》《油代》《漁具代》そして最に、《徳蔵替分 百円》
翌にも同じ項目があった。その次のは500円、さらに翌は300円。網代を借りたという期よりから、正の揚げから「徳蔵替分」が引かれていた。
志津はから持ってきた鉛で、つずつ計した。昭26から残っている控えだけでも1万6200円。徳蔵の帳面に記された返済額より、らかにい。
「これは徳蔵さんへ渡ったんですか」
井は答えなかった。
広告
「組が引いたなら、記録がありますよね」
「昔の細かいことまで俺はらん」
「今朝は兄弟の貸し借りだから組は関係ないと言いましたよね」
周囲の帳係がを止めた。
井はようやく「正が頼んだんだろう」と言ったが、志津が「なら頼んだを見せてください」と返すと、また黙った。
そのの夕方まで調べて分かったのは、徳蔵が代をしたこと自体は事実だということだった。だが同に、志津がらないところで正の揚げから徳蔵名義のが何も引かれていたことも事実だった。
つまり徳蔵には「貸した理由」がある。
けれど「まだ返していない」という話は、そのまま信じられない。
志津が帳をようとした、井が呼び止めた。
「志津。の話は、その3万円だけじゃないぞ」
井は鍵のかかった引きしから、つ折りのをした。
「これを見てから、自分のだと言え」
そこには正の名と印があった。
の表題は《漁使用に関する承諾》だった。昭289、発をきく修理した直の付で、正が操業できなくなった、徳蔵を優先しての使用者とすること、未清算の替があるはを勝に処分しないことがかれている。
正の印は見覚えのあるものだった。役へすにも、子どもの学の類にも使っていた崎の丸印である。
志津はを何度も読み返したが、夫からそんな約束を聞いた記憶は度もなかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第14話
母の葬儀から戻ると、私の寝台はもうなかった
母の葬儀を終え、約束より1日遅れて工場へ戻った18歳の女工・春江。だが門前には私物の入った段ボール箱が置かれ、寮母は冷たく告げた。 「あなたの寝台は、もう別の子に渡しました」 無断欠勤を理由に自己都合退職を迫られ、給料まで大幅に差し引かれた春江。しかし明細には、故郷にいたはずの3日間、彼女が残業した記録が残っていた。 さらに、春江の寝台を与えられた15歳の少女は、彼女と同じ勤務番号で働かされていた。時代|歴史|昭和2.1万字5 78 -
完結第13話
父が開けた祝儀袋
昭和35年、結婚披露宴の最中、恭子は父が祝儀袋を次々と開けている姿を目撃する。豪華な宴も嫁入り道具も、すべて借金で用意されていたのだ。しかも婚家からは、「あなたの結婚のための借金」と返済まで迫られてしまう。 誰が望み、誰が支払うべき金だったのか。恭子が費用を一つずつ調べると、借入額には披露宴だけでは説明できない差額が見つかる。やがて明らかになったのは、父が娘の結婚と祝儀を利用して隠そうとした、もう一つの借金だった。 「家族のため」という言葉の陰で、誰かの人生や金を勝手に使ってよいのか。見栄と古い家族観に抗い、自分たちの暮らしを取り戻そうとする一人の女性の物語。時代|歴史|昭和|親子関係1.9万字5 181 -
完結第10話
昭和51年、閉山した炭鉱町から消えた父
昭和51年、炭鉱が閉山した3日後、保安係だった父・修一が姿を消した。玄関には泥のついた長靴と作業帽が残され、母は「探さなくていい」と口を閉ざす。だが娘が父の作業着から見つけた紙片には、閉鎖された坑道の名と、謎の時刻が記されていた。 調べるほどに浮かび上がる、改ざんされた保安記録、帳簿から消された作業員、そして会社が隠そうとする閉山直前の事故。やがて坑道に残された録音から、父が誰かを救おうとしていた事実が明らかになる。しかし数十年後に届いた父の名札には、さらに不可解な言葉が刻まれていた。 「北の出口から出た。家へは戻れない」 父はなぜ、生きて坑内を出ながら家族のもとへ帰らなかったのか――。時代|歴史|昭和|ミステリー|真相1.5万字5 217 -
完結第14話
震災から半年ぶりに帰った家には、知らない家族が住んでいた
昭和45年、母は20年以上もの間、同じ古い着物を大切に着続けていた。 娘の美紀は、母がただ節約のために我慢しているだけだと思っていた。正月の日も、特別な日も、新しい服を選ばず、何度も繕われた一枚の着物を身につける母の姿を、少し寂しく感じていた。 しかし、母が亡くなった後、その古い着物の中から見つかった小さな刺繍が、美紀の知らなかった母の過去を呼び起こす。 戦後の苦しい時代を生き抜いた一人の女性が、なぜその着物だけを手放さなかったのか。 長い年月の中に隠されていた家族の記憶と、母が守り続けた想いが、少しずつ明らかになっていく――。時代|歴史|昭和2.1万字5 215