"昭和24年、帰還した夫の家に別の夫がいた" 第2話
「僕の父ちゃんは、この」
その夜、清太は駅の宿へ入った。
い布団へ横になったものの、眠れなかった。戦の砲声も、シベリアの凍ったも浮かばなかった。代わりに繰り返しいしたのは、の玄関だった。
文子の腹はまだ目っていなかった。
「駅まで送る」
そう言った妻へ、清太は笑って答えた。
「来るな。泣かれると困る」
冗談だった。
文子は笑わず、
「帰ってきて」
と言った。
「当たりだ」
清太はそう返した。
当たりではなかった。
自分は帰ってきた。
ただし、も遅れて。
翌朝番の列へ乗り、そこからバスへ乗り換えた。舗装されていないをさらにく歩き、昼過ぎになってようやく初枝の嫁ぎ先が見えた。
畑の向こうの藁葺き根。
庭先で男が薪を割っている。
初枝の夫、吉だった。
清太を見るなり、吉は斧をろした。
「……清太さん?」
「ご無汰しています」
のから初枝がてきた。
清太を見た瞬、元を両で押さえた。
「きてたの……」
「はい」
それ以の挨拶はしなかった。
「浩に会わせてください」
初枝の表が変わった。
「今、学なの」
「待ちます」
「清太さん」
「お願いします」
清太はの端へ座った。
初枝がお茶を置いた。
吉は黙ってへ戻った。
ほどして、子どもたちの声がから聞こえた。
清太はった。
のが坂をってくる。
広告
細い体。
に焼けた頬。
しきすぎる着。
ランドセル。
そして眉のにさな傷がある。
清太にも同じ所に傷があった。
「……浩」
がを止めた。
初枝が玄関へた。
「おかえり」
「ただいま」
浩は庭につ見らぬ男を見る。
「誰?」
その文字で、清太のにあった分の言葉がすべて消えた。
抱きげるつもりだった。
を撫でるつもりだった。
「きくなったな」と言うつもりだった。
何つできない。
「浩」
もう度呼んだ。
は警戒するように初枝のそばへ寄った。
清太は唾をみ込んだ。
「父ちゃんだ」
ようやく言えた。
浩は笑わなかった。
「違うよ」
清太の呼吸が止まった。
浩はへ入った。
しして、枚の写真を持って戻ってくる。
吉。
初枝。
浩。
畑のでが並んでいる。
は吉を指した。
「僕のお父さんは、この」
「浩」
初枝が止める。
だが浩は続けた。
「伯父さんじゃないよ。父ちゃんだよ」
清太は写真から目をせなかった。
「おの本当の父ちゃんは……」
そこまで言い、やめた。
血のつながりを言えば勝てる。
そうってしまった自分が、急に恥ずかしくなった。
浩が清太をじっと見る。
「戦争から帰ってこなかったでしょう」
「帰ってきた」
「今でしょう」
歳の子どもの言葉だった。
しかし、清太には何も返せなかった。
「父ちゃんがいないって言われるたびに、母ちゃん泣いてたって」
広告
浩が言った。
「誰から聞いた」
「みんな」
「俺は帰りたくなかったわけじゃない」
「でもいなかったじゃん」
清太は黙った。
浩は線を逸らした。
そして、最にもうつ言った。
「僕を置いていったのも、父ちゃんでしょう」
清太が顔をげる。
「誰がそんなことを言った」
浩の表が固くなった。
「誰でもいい」
「俺はおを置いていってない」
「じゃあ、なんでいなかったの」
それで会話は終わった。
清太は初めて会った息子を抱くことも、肩に触れることもできなかった。
夕方。
畑の端で、吉とになった。
吉が煙を本差しした。
清太は首を振った。
「浩を育てていただいて……ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない」
「父ちゃんと呼ばれている」
吉はしばらく黙っていた。
「最初は伯父さんだった」
「いつから変わったんです」
「の」
「直さなかったんですか」
「直したさ」
吉は煙を吐いた。
「でも、途でやめた」
「なぜ」
吉は清太を見る。
「父親がいないって言われるたび、あいつが学で喧嘩して帰ってくるからだ」
清太の眉がいた。
「度、喧嘩になった。相の子が“母親にも捨てられた”って言ったらしい」
「捨てられた?」
「子どもは残酷だ」
「文子はっていたんですか」
「ってる」
「それでも浩をここへ?」
吉は答えなかった。
沈黙が答えだった。
清太はちがった。
「浩を連れて帰ります」
吉の目が細くなる。
「どこへ?」
「町へ」
「は?」
清太は黙った。
「仕事は?」
「探す」
「今帰ってきたばかりでしょう」
「俺の息子だ」
吉もった。
「それだけで連れていけるとうのか」
清太のの何かが反発した。
「俺は父親です」
「なら聞く」
吉は静かだった。
「浩の好きなべ物は?」
答えられない。
「学で得なのは何だ」
答えられない。
「夜になると布団を蹴る癖、ってるか」
清太の拳が固くなる。
「俺がいなかったかららないんだ」
「そうだ」
吉は頷いた。
「だから今からればいい」
清太が顔をげた。
「帰った瞬から、の続きを始められるとうな」
吉は煙をへ押しつけた。
「浩にとっては、あなたは今初めて会った男なんだ」
清太の拳から、しずつ力が抜けた。
---
広告
おすすめ作品
-
完結第16話
昭和53年、棟梁が俺を毎晩残した理由
十五歳で大工に弟子入りした直人は、一年間、掃除と雑用ばかりの日々を送っていた。ところが昭和五十三年の春、厳格な棟梁・源造から突然、「今日から毎晩残れ」と命じられる。 鉋、墨付け、仕口、図面。三年かけて覚えるはずの技を急いで教え込まれる一方、棟梁の体は日に日に弱っていく。やがて直人は、夜の稽古が自分を酷使するためではなく、残された時間で技術を託すためだったと知る。 師のいない現場で家を完成させた直人に遺されたのは、「半人前」と書かれた道具箱。しかし、その紙の下には、棟梁が生涯口にしなかった本当の言葉が隠されていた。時代|歴史|昭和2.6万字5 10 -
完結第14話
昭和29年、夫を亡くした私から船が奪われた
夫を海難事故で失った翌朝、志津は3人の子どもを養うため、残された船で海へ出ようとした。だが漁協は鍵を取り上げ、義兄は告げる。 「船を使いたければ、長男をうちへ寄こせ」 女には魚を売らせない。船も網も夫名義。さらに借りた伝馬船まで奪われた志津は、自ら町を歩き、獲れた魚を一軒ずつ売り始める。 やがて見つかった古い領収控えには、船の手付金を払った志津の名前があった。しかし同時に、義兄が残金を貸していた事実も判明する。 船をめぐる権利と借金、そして11歳の息子の人生。何も持たないと見下された志津は、海ではなく「魚を売る場所」から、自分たちの暮らしを取り戻していく。時代|歴史|昭和2.1万字5 193 -
完結第14話
母の葬儀から戻ると、私の寝台はもうなかった
母の葬儀を終え、約束より1日遅れて工場へ戻った18歳の女工・春江。だが門前には私物の入った段ボール箱が置かれ、寮母は冷たく告げた。 「あなたの寝台は、もう別の子に渡しました」 無断欠勤を理由に自己都合退職を迫られ、給料まで大幅に差し引かれた春江。しかし明細には、故郷にいたはずの3日間、彼女が残業した記録が残っていた。 さらに、春江の寝台を与えられた15歳の少女は、彼女と同じ勤務番号で働かされていた。時代|歴史|昭和2.1万字5 164 -
完結第13話
父が開けた祝儀袋
昭和35年、結婚披露宴の最中、恭子は父が祝儀袋を次々と開けている姿を目撃する。豪華な宴も嫁入り道具も、すべて借金で用意されていたのだ。しかも婚家からは、「あなたの結婚のための借金」と返済まで迫られてしまう。 誰が望み、誰が支払うべき金だったのか。恭子が費用を一つずつ調べると、借入額には披露宴だけでは説明できない差額が見つかる。やがて明らかになったのは、父が娘の結婚と祝儀を利用して隠そうとした、もう一つの借金だった。 「家族のため」という言葉の陰で、誰かの人生や金を勝手に使ってよいのか。見栄と古い家族観に抗い、自分たちの暮らしを取り戻そうとする一人の女性の物語。時代|歴史|昭和|親子関係1.9万字5 197