"昭和53年、棟梁が俺を毎晩残した理由" 第7話
母が迎えに来た
の初め、母が突然務を訪ねてきた。妹の休みにわせて親戚のへく途だと言ったが、母は俺のひび割れたを見るなり顔を変えた。おさんが茶を入れにつと、「あんた、こんなになるまで働いているのかい」と声で聞き、俺は慌ててを膝のへ隠した。
母は夜の稽古のことも聞いていた。町のりいが、榊原務では僧を遅くまで働かせていると噂していたらしい。母は俺が嫌ならへ帰ってよいと言い、製材所にもを探しているところがあると話した。俺は嬉しいはずだったのに、をくと「まだ帰らない」と答えていた。
「どうして。最初の、には辛いことばかりいていたじゃないか」
俺は母の顔を見られず、座敷の畳の縁を指でなぞった。辛いのは本当だったが、昨夜残してもらえた仕のことをいすと、今帰れば何もかも途で終わる気がした。俺が「あとし、覚えたいことがある」と言うと、母はそれ以勧めず、持ってきた梅干しの包みを渡してくれた。
棟梁は母のでもがなかった。「飯はわせています。怪をしないよう見ています」と、まるで役所へ報告するようなぶりだった。母がくをげると、棟梁は目をそらし、「本が辞めると言ったら止めません」
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と付け加えた。その言葉を聞いて、俺は自分がまだここにいる理由を初めて自分のものとして考えた。
母が帰ったあと、おさんが茶碗を洗いながら「お母さん、した顔じゃなかったね」と言った。俺は何も答えられなかったが、翌週、初めて母へ稽古のことをにいた。杉板を削ったこと、墨壺を使ったこと、作った仕が棚へ残されたこと。辛いとばかりいてきたに、できるようになったことをけたのが嬉しかった。
そのころ棟梁は、昼休みに作業の奥の座布団へ横になるようになった。田さんは「暑さにやられたんでしょう」と言ったが、棟梁の額には汗がなく、起きがるときだけ歯をいしばっていた。俺がを持っていくと、「置いとけ」と言って目を閉じ、み終わった湯みを返すときに初めて「すまんな」とつぶやいた。
その文字が、俺には叱責よりもかった。いつもにみを見せない棟梁が、何かをしていることはもう疑いようがなかった。それでも夜になるとあのは作業台へち、俺が墨糸を張る、片を台へ置いて見ていた。母から届いた返事には「自分で選んだなら、体に気をつけて続けなさい」とあった。
の終わり、田さんが自分の号をいたさな札を見せてくれた。「田建築」と墨でかれた文字はし曲がっていたが、先輩は子供のように嬉しそうだった。
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独祝いに何を渡せばよいか分からず、俺は休みのに端材で具を置くさな台を作った。寸法はっていたものの、角の仕げが粗く、棟梁に見つかれば捨てられるとっていた。
田さんはその台を受け取り、何度も裏返して見た。「お、いつのにこんな仕を覚えたんだ」と驚かれ、俺は夜の稽古の話をした。先輩はしばらく黙り、「俺がここへ来たころ、親方はもっと怖かった。だが、の作った物を捨てるに必ず直せるところを探すだった」と言った。
そのの夕方、棟梁は田さんへ古い差しを本渡した。目盛りが擦れて読みにくいところもあったが、田さんは両で受け取り、何も言わずをげた。のには俺のらないがあり、あのいやり取りだけで分なようだった。俺は自分がいつかあんなふうに具を受け取れるを像し、すぐに恥ずかしくなった。
田さんがる夜、棟梁は珍しく酒を杯だけんだ。俺は膳を片づけながら、田さんがいなくなれば現は回らないのではないかと配したが、棟梁は「頼まれた仕事を断るのも棟梁の仕事だ」と言った。そして「無理な期を約束するな。で働く者が怪をする」と続け、俺の顔を見た。
俺はわず「だったら俺の夜の稽古は無理じゃないんですか」
と尋ねた。棟梁は湯みを置き、「無理をさせている。だから昼、刃物を持たせていない」と答えた。初めて、あのが夜の稽古を無理だと認めた。だが、なぜそこまでして続けるのかは、また教えてもらえなかった。
翌朝、田さんはさなトラックに具を積み、務のでくをげた。棟梁は「困ったら来い。ただし、答えをもらいに来るな」と言い、先輩は笑った。俺が追いかけてを振ると、田さんは窓から顔をし、「直、親方の元をよく見とけ。あのは何分も覚えてる」と声をかけた。
作業へ戻ると、職の数が減ったぶんだけ音がなくじられた。棟梁は何事もなかったように松浦の材を並べ、俺へ墨壺を渡した。初めてきりで本の台に向きったとき、俺はようやく、自分がただの僧では済まなくなるが来たのだと実した。
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