"昭和53年、棟梁が俺を毎晩残した理由" 第9話
切ってしまったら戻らない
柱の刻みが始まると、棟梁はますます昼に休むようになった。作業の奥へ座布団を敷き、誰にも見られないように横になるが、寝ているというより痛みに耐えているようだった。俺は昼飯のあと、わざとめに片づけをして、棟梁が起きがるまでほかの職を奥へかせないようにした。自分でも、なぜそんなことをしているのか分からなかった。
ある、棟梁が休んでいるに材から話があった。松浦の梁の本が予定より遅れるというらせで、建までに届くか分からないと言う。俺は田さんへ相談しようとしたが、棟梁の程表には代わりに使える材の寸法と仕入れ先がき込まれていた。何が起きても止まらないよう、先にを打ってあったのだ。
俺は材へ話をかけ、納期を確かめた。相は「親方に代わってもらえ」と言ったが、俺は程表を読みげ、必なさと付を伝えた。受話器を置いたあとでが震えた。棟梁が目を覚ますと、俺は失敗したかもしれないといながら経緯を話した。
「勝に約束したか」と聞かれ、「納期の確認だけです。材を変えるとは言ってません」と答えた。棟梁は度うなずき、「それならいい。決めていいことと、決めちゃいけないことを分けろ」と言った。
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俺は話本でも、の仕事には責任の境目があるのだとった。
夕方、おさんが薬包を持ってきた。棟梁は俺が見ていることに気づくと、薬を袖のへしまい、「今夜は柱のを揃える」と言ってちがった。俺はもうできず、「具が悪いなら、夜は休んでください」と言った。棟梁はを止め、「おがでできるなら休む」と返した。
悔しかった。できないことを見透かされた気がして、俺は何も言えなくなった。だが、棟梁はししてから「できるようになったら、俺は休める」とつぶやいた。その声は叱るときよりずっとさく、俺は聞き違いではないかと何度も考えた。
その夜、柱を並べてさを確認する作業は俺がめた。棟梁は子に腰かけて見ているだけだったが、途で度も眠らなかった。俺が最の寸法を読みげると、あのは帳面へ丸をつけた。丸の数が増えるほど、俺は嬉しいはずなのに胸が苦しくなった。
建までを切ったころ、俺は取り返しのつかない失敗をしかけた。柱の仕を刻んでいる途、材の表裏を逆に置き直したことに気づかず、鑿を入れようとしたのだ。最初の打のに棟梁の声がんだ。「を止めろ」。俺が顔をげると、棟梁はづかず、材のを指で示した。
俺は墨の位置を確かめ、血の気が引いた。
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ここで刻んでいれば本を使えなくし、納期にもにも響しただろう。棟梁は鳴らず、「どうして違えた」と聞いた。俺が急いでいたと答えると、「何に急かされた。俺か、計か、それともおの見栄か」とねた。
返事ができなかった。褒められたい、く終えたい、できるところを見せたいという気持ちが、いつのにか目のの材よりきくなっていた。棟梁はその柱を俺のへ戻し、「急ぐなら確認をつ増やせ。をくかすな」と言った。俺はその言葉を帳面の番へいた。
翌、松浦さんが現を見に来た。俺の齢を聞くとし驚いたようだったが、棟梁は「墨はこいつが打っている。最は俺が見ている」と、余計なことを言わず説した。松浦さんは俺のを見て「変だろう」と言い、俺は「違えないようにやっています」と答えた。
その帰り、棟梁は珍しく「客にできもしないことを言うな」と注した。俺は嘘をついた覚えがなく首をかしげたが、棟梁は「違えないはいない。違いに気づくようにやっていると言え」と教えた。は自分の腕を売る仕事だとっていたが、客に伝える言葉まで仕事のうちなのだとった。
夜、棟梁が作業台に腰をろしたままたなくなった。俺がを持ってくると、あのは湯みを受け取り、「直、今の柱をもう度見ろ」
と言った。具の悪いを置いて作業を続けるのは嫌だったが、俺は柱をつずつ調べ、最に違いのないことを報告した。
棟梁はそこで初めて目を閉じた。おさんを呼ぶと、彼女は夫の肩へを添え、「今はもうおしまい」と言った。棟梁は抵抗せず、俺に向かって「は、墨を全部読み直せ」とだけ言い残した。あのが夜の稽古を途で終えたのは、それが初めてだった。
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