"昭和53年、棟梁が俺を毎晩残した理由" 第13話
祖母の歩
根が仕がり、建具の準備が始まったころ、松浦の祖母が現を訪れた。しいの廊をゆっくり歩き、寝の入でち止まった。図面では段差をさくしたつもりだったが、実際にを運ぶと、敷居のわずかなさが気になるらしい。祖母は「このくらいなら慣れるよ」と笑ったが、俺にはその笑顔が無理をしているように見えた。
俺は田さんと相談し、建具の納まりを変えれば段差をさらに減らせるか検討した。簡単に敷居を削ればよいわけではなく、戸のきやの取りいも変わる。棟梁なら何を先に確かめるだろうと考え、俺は現で実際に歩くきを測り直した。祖母には度へ戻ってもらい、仕げの方法を改めて説することにした。
松浦さんは追加の費用を配した。俺は見積もりの内訳を示し、必なと材料を説したうえで、当初の確認がりなかった部分については務側でも負担すると伝えた。田さんに事に相談して決めたことだったが、客ので自分の言葉で説するのは初めてだった。松浦さんはしばらく考え、「母が歩きやすくなるなら、それでお願いします」と答えた。
変更した敷居が納まった、祖母はもう度現へ来た。柱につかまらずに寝へ入り、振り返って「これなら夜でもだ」
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と言った。その表を見たとき、俺は建のに柱が本も狂わなかったこととは別のびを覚えた。は寸法がうだけでなく、むの体にもわなければならないのだ。
その夜、棟梁の帳面をくと、最初の頁に松浦の族についてかれたさなメモがあった。「祖母、膝」「娘、戸を勢いよくける」「、し」。俺が図面の数字ばかり見ていたころ、棟梁はの暮らしを先に見ていた。俺は帳面の余へ「祖母、段差確認済み」ときした。
おさんにその話をすると、彼女は「源造さんは昔から、の話を聞いているときだけは静かなんだよ」と笑った。俺は棟梁が誰かに優しい言葉をかけるところをほとんど見たことがなかったが、の隅々には、言葉にしなかった気遣いが残るのだとった。病院へくたびに細くなる腕を見ても、あのが仕事を通して残しているものは、むしろきくなっていくようだった。
に入ると、松浦の事は仕げの段階に入った。板を張り、建具をわせ、台所の棚を取り付ける。さな寸法の違いが暮らしの使いやすさに直結するので、俺は図面と現を何度も往復した。棟梁のいない作業では、俺が帳面をいての終わりに確認するのが習慣になっていた。
ある、松浦さんの親戚が現を訪れ、「親方が倒れたなら、別の務へ頼み直したほうがいいんじゃないか」
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と言った。松浦さん自は俺たちの仕事を見てくれていたが、親戚の配も無理はなかった。俺はまだ歳で、田さんも独したばかりだ。誰が最まで責任を持つのか、言葉だけではしてもらえないことは分かっていた。
田さんは松浦さんを作業へ招き、棟梁が残した程表と、これまでの確認記録を見せた。務の契約は榊原務の名で結ばれたままで、必な職を確保し、最の検査まで田さんが協力することを説した。俺も自分がった墨付けと仕げの記録を示し、違いがあれば隠さず直すと約束した。松浦さんは帳面を閉じ、「これだけ見てくれているなら、お願いします」とをげた。
その帰り、俺は田さんに「俺の名では、まだを建てたと言えませんね」と言った。先輩は「当たりだ。はじゃ建たない」と笑い、それから真顔になった。「でも、あのの墨を打ったのはおだ。その責任は誰にも渡すな」。俺は棟梁の名を借りて威張るのでも、歳だからと逃げるのでもなく、自分の仕事をきちんと説できるようになりたいとった。
夜、病へ程表を持っていくと、棟梁はく話せなくなっていた。俺が作業のみ具をつずつ伝えると、目を閉じたまま聞いていた。最に「松浦さんは、俺たちに任せると言ってくれました」
と話すと、棟梁の指が布団のでわずかにいた。俺はその指先を見て、あのが本当は現へ戻りたいのだとじた。
帰り際、棟梁は目をけ、「名を残そうとするな。を残せ」と言った。俺はくうなずいた。その言葉を胸にしまって現へ戻ると、玄関の敷居が夕に照らされていた。誰が褒めてくれるかではなく、ここを何もが通るのだとうと、削るべき所がよく見えた。
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