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"賞与0円を告げられたので、会社を辞めてイタリアへ" 第7話

を売るという計算

駅の産会社へったのは、退職届を提して週だった。担当の田は私のマンションの築数、修繕積、隣の成約事例をつずつ確認した。宅ローンの残は千百万円。査定の目は千百万円だったが、仲介数料や売却の費用を引けば、自由に使える額はもっとなくなる。私はそので売却を決めず、複数の価格帯で元に残る額を試算してもらった。

「退職に売るとなると、急いで現化したくなるかもしれません。そこは気をつけてください」と田は言った。私は頷いた。退職を決めた勢いでまいまで失えば、会社をれるための選択がしいになる。預の残、退職の支予定、社会保険や民税の負担、で暮らす費用を表にした。会社を辞める自由は、誰かの善ではなく数字の裏付けがあって初めて持てる。

に戻ると、母が使っていたさな鍋が器棚の奥にあった。母は、私が仕事から帰るのを待たずに夕を済ませることがかった。「遅くなるなら連絡しなくていい。自分のご飯をちゃんとべなさい」と言うだった。私はいつも「はく帰る」と返し、その約束を何度も破った。鍋をに取ると、何を持ってき、何を残すかという問題が、急に額だけではなくなった。

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私は学代の友、宮本織に話をした。織は今、税理士事務所で働いているが、私のの売却について専のふりをして答えるではない。「決めるに売却益と税の見込みを確認して。へくなら所や保険の続きも調べなさい」と言い、最に「玲奈、イタリアは仕事でくの?」と聞いた。私はし考えてから「最初は自分のため」と答えた。

イタリアへきたい気持ちは突然まれたものではない。初めてボローニャのを訪れた、昼休みになると職たちがを止め、族の話をしながら事をする景に驚いた。もちろん彼らにも納期と経営の苦労があり、理郷ではない。それでも、仕事を終えたのを自分の活として扱う覚に、私はずっと憧れていた。母が「くへきなさい」と言った、私がい浮かべたのもあのだった。

週末、私はの査定を予約した。母を病院へ送ったさなで、トランクには使わなくなった折り畳み傘が残っていた。ハンドルの擦れた部分に触れると、母が助席で眠っていた帰りをいした。売れば活費のしにはなるが、いまで放すようで迷った。私は内を片付け、査定額だけを聞くことにした。判断を急がずに選択肢を増やす、それが今の私にできる方法だった。

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会社では退職の噂が広がり、廊で会話が止まることが増えた。寺は気づかないふりをしてくれたが、部は引き継ぎ会議の回数を増やしてほしいと言った。私は業務内で組める範囲を示し、追加するならの担当を減らす必があると返した。以なら「丈夫です」と夜に資料を作っていただろう。けれど、残りの数でできることを決めるのも仕事の部だった。

翌週、田から正式な査定が届いた。私が望む条件で売りすなら数かかかる能性がある方、駅にい部を探している買主候補がすでにいるという。私は即決せず、内覧の準備と売却のまいの計画を並してめた。会社かられるは本ではない。もし売れなければ本で賃貸に移る、渡航を延期するという選択も残す。それでも、イタリア語学の資料請求ボタンを押した、胸の奥がしるくなった。

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