"路線バスで来た父を笑った婚約者一家の誤算" 第7話
帰りのバスと温かい黒飴
正午をし回ったのの、は駅のバス乗りへと戻ってきた。 差しの温もりとは裏腹に、美咲の指先は氷のようにたかった。 ロータリーの計台は、分を指している。 本来であれば、今頃は祝いの膳を囲み、鯛の塩焼きや赤飯をにして、両のやかな笑い声が響いていたはずの刻だった。
駅広をき交う買い物客や族連れが、美しい訪問着姿の美咲を見て「綺麗ねえ、結婚式の帰りかしら」と囁きっている。 その無邪気な線が、美咲の胸を抉るように痛めつけていた。 美咲は俯き、唇をきつく結んだまま、微だにせず留所のポールを見つめていた。
分。 ロータリーに、朝と同じクリームのバスが入ってきた。 折り返しの便を担当していたのは、やはり野だった。 プシューと扉がき、りてくる乗客を見送った、野は乗り込んできた庄と美咲を見て、瞬だけ驚きに目を見張った。 かけてから、まだも経っていない。 しかも、朝あんなに誇らしげに抱えていた藤の呂敷包みは、解かれた形跡もなくそのまま腕のにあり、着物姿の娘は、泣き腫らした赤い目を必に伏せている。
野は、何も尋ねなかった。 ただ、子にを当て、いつもよりずっと穏やかで、い慈しみを込めた声で言った。
広告
「お帰りなさいませ。元にお気をつけて、ゆっくりお座りください」 「ああ……すまないね、また頼むよ」 庄はく答え、美咲の背にを添えて先に乗せた。
が選んだのは、番ろの掛けの座席だった。 美咲が窓側、庄が通側。 「発します。おくのすりやつり革におつかまりください」 野のアナウンスが流れ、バスは滑るようにきした。 普段よりもさらに丁寧な、発のショックを微もじさせない、極のクラッチ操作だった。
窓のを流れる見慣れた並みを、美咲は額をガラスに押し付けるようにして見つめていた。 留所をつ過ぎたあたりで、美咲の肩がさく震え始め、やがて掠れた声が零れ落ちた。 「……お父さん、ごめんね」 「謝ることは何もない」 「私のせいだもの……。私が、あのたちを選んだから……。お母さんの切な呂敷まで、あんな品なたちに笑われて……」
「美咲」庄はを向いたまま、静かに語りかけた。 「俺が笑われることなど、何でもない。もきていれば、を投げられることくらい慣れている。それより……おはどうなんだ」 美咲は唇を噛み、膝のの着物の裾を握りしめた。 「私ね……あのたちに何を言われたかより、健さんがずっと黙っていたのが、番しかった。お父さんが目ので乞って呼ばれているのに、あの、俯いてお茶をんでいたのよ……。
広告
『僕から父を宥めておくから』って、最にそう言ったの」
美咲の瞳から、粒の涙がポロポロと溢れした。 その、通を挟んだ向かいの席から、節くれだったシワだらけのがスッと伸びてきた。 拭いを首に巻いた、農作業帰りとおぼしき歳ほどの老婆だった。 元には、のついた根が顔を覗かせる買い物袋を置いている。 老婆は何も聞かず、何も言わず、美咲の震える掌のに、に包まれた黒飴をつ、そっと握らせた。 そして、慈に満ちた目でコクンと度だけ頷くと、何事もなかったかのように再びを向いたのだった。
「……っ、ありがとうございます……」 美咲が涙声でをげると、老婆はただ静かに微笑んだ。 運転席のバックミラー越しに、野がその景を静かに見守っていた。 そののバスは、どの曲がり角も、まるで壊れやすい宝物を運ぶかのように、極限まで速度を落として、ゆっくりと曲がっていった。
広告
おすすめ作品
-
完結第14話
十八年勤めた売り場を追われた日、恩返しが始まった
十八年間デパ地下を支えた契約社員・千鶴は、新店長から「高齢者の代わりはいくらでもいる」と突然解雇される。 だが、毎週安い弁当を買う老人の正体は、大手食品会社の会長。かつて倒産寸前だった彼の弁当を世に広めた恩人こそ、千鶴だった。職場逆転|退職金|金銭問題|修羅場1.9万字5 11 -
完結第20話
月30万円の親孝行は、誰の財布から?
夫から突然告げられた、義母への「毎月三十万円」の仕送り。妻・美奈子は反対せず、静かに「いいよ」と答えた。 三日後、銀行で残高四万円を知らされた夫は激怒する。だが美奈子は、二十二年間で家計へ補填した一千二百万円超の記録を並べ、「その三十万円、誰の収入から出すつもりだったの?」と問い返す。嫁姑|夫婦|介護|金銭問題2.8万字5 6 -
完結第15話
白米だけの夕飯を出されたので、家を出ました
年度末の仕事を終えて帰宅した麻子を待っていたのは、冷めた白米だけの夕食。夫と義母は特上寿司を食べながら、「反省したらおかずを出す」と笑った。 「外で牛丼でも食べてきたら?」という夫に、麻子は静かに「分かりました」と答える。しかし彼女は半年前から新居や弁護士の手配を進め、大切な荷物も運び終えていた。嫁姑|夫婦|第二の人生|修羅場2.0万字5 127 -
完結第20話
妻の予定表に書かれた「最終日」
妻の予定表に記された、結婚記念日の「最終日」。夫は離婚を疑うが、その言葉には、十四年間積み重なった妻の孤独が隠されていた。 毎年同じレストランに二人分の席を予約し、来ない夫を一人で待ち続けていた妻。彼女は今年を最後に、待つことをやめようとしていた。夫婦|真相|第二の人生2.8万字5 62 -
完結第16話
赤いガーベラと私の家
母の形見の絵を嫁に勝手に売られ、家事を当然のように押しつけられてきた50歳の愛子。限界を迎えた彼女は、母の保険金で購入した小さな家へ一人で移り住む。 ところが長男夫婦は、新居まで「実家」と決めつけ、家事をしてもらうつもりで強引に引っ越そうとする。愛子は荷物の受け取りを拒み、専門家の助言を得て、同居を認めない意思を書面ではっきり示す。 やがて母の絵は親切な購入者の手によって戻り、愛子は長男夫婦に「この家にあなたたちの部屋はない」と告げる。彼女が去った古い家では、夫も息子夫婦も、これまで愛子が背負っていた家事の重さを初めて知ることになる。兄弟姉妹|嫁姑|夫婦|相続|金銭問題1.6万字5 701 -
完結第20話
家族投票の三日後
お盆の親族会で、地味な事務員として働く美緒は、姉から「家族の投票で決めた。今すぐ出ていけ」と追放を宣告される。両親も親戚も、姉の婚約者も笑って賛成した。 しかし彼らは知らなかった。倒産寸前だった老舗旅館を救い、土地と建物を買い取った真の所有者が、美緒であることを。彼女が姿を隠して注ぎ続けた資金がなければ、旅館は一か月も維持できなかった。 美緒が援助を止めると、家族の浪費と巨額の不正支出が露見する。さらに姉の婚約者も、旅館の資産を利用して自社の損失を埋めようとしていた。そして三日後、華やかな結納の最中、執行官と弁護士が現れる。怒り|嫁姑|金銭問題|修羅場1.9万字5 1048 -
完結第21話
賞与0円を告げられたので、会社を辞めてイタリアへ
十七年間、海外調達を支えてきた玲奈に言い渡された年末賞与は、まさかの零円。評価は最高ランクのまま、翌年も重要なイタリア案件を任されていた。会社は住宅ローンを抱える彼女なら、どんな扱いをしても辞めないと考えていたのだ。 玲奈は怒鳴らず、記録を残して退職届を提出。家と車を手放し、亡き母の言葉に背中を押されてイタリアへ渡る。 ところが彼女の退職後、強引な一律値下げ交渉によって工房との信頼関係は崩れ、大型案件まで危機に陥る。三か月後、玲奈の携帯には人事、部長、社長から合計三百十二件もの着信が残されていた。職場逆転|第二の人生|金銭問題2.8万字5 1673