みかん小説
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"七〇二号室の秘密" 第1話

えた台所とい茶碗

の半ば、曇の空から吹きろすが、郊の宅のを乾いた音で揺らしていた。

直(なおき)が運転するコンパクトカーの助席で、遥(はるか)は膝のに置いた老舗菓子の袋を両で静かに押さえていた。には、事に直から「両親が好物だから」と聞かされていた銘菓の栗羊羹が収められている。入籍を済ませてから目。結婚式は挙げず、まずはお互いの活基盤をえることを優先していたが、初めて直の実へ正式な挨拶に向かうだった。

「遥、丈夫? さっきからずっとを握りしめてるけど、緊張してる?」

赤信号でがまった際、直が横目で覗き込むようにして柔らかく笑いかけてきた。歳の彼は、普段から穏やかで、職の同僚や友からも「誰に対しても角をてない優しい」と評されていた。病院の薬剤師として慌ただしい々を送る遥にとって、その波をてない柄こそが、できる居所のようにえていた。

「しね。やっぱり、初めてお邪魔するだから。粗相がないといいんだけど」

「配しすぎだよ。うちの母親は昔気質でし調がいところはあるけど、根は悪いじゃないから。親父も無なだけで鳴ったりはしないし、兄貴も気さくな性格だからさ」

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直のから発せられた「しがいけど悪いじゃない」という置きは、これから義理の族の輪に入ろうとする者にとって、決して放しのを与えるものではなかった。むしろ、内の棘をあらかじめオブラートに包んでやり過ごそうとする独特の緩さをじさせ、遥の胸の奥にさなを沈めた。

が宅の細い坂を登りきると、築を超える造階建てのが見えてきた。壁の塗装には経相応の煤けが見られたが、入れされた松のが植えられた庭や、掃き清められた畳には、督を誇るような古い格式が漂っていた。瀬(たかせ)。直のまれ育っただった。

をり、砂利を踏みしめて玄関へ向かう。製の引き戸にをかけるに、内側からガラガラと勢いよく扉がいた。

「まあ、いらっしゃい。寒かったでしょう」

迎えたのは、柄だが目元の鋭い女性——直の母、勝枝(かつえ)だった。髪をきっちりと撫で付け、豆のエプロンをに着けている。

「初めまして。野遥と申します。本はお忙しいところ、おをいただきありがとうございます」

遥が々と腰を折って挨拶をすると、勝枝は値踏みするようにの先から靴先まで線をらせ、それからわずかに角を持ちげた。

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「もう初めましてじゃないわよ。籍を入れたんだから、今からうちの族なんだからね。さあ、がりなさい」

歓迎の言葉ではあったが、その声音には客を迎え入れる温もりというより、参者を陣営の内側へ引き入れるような無を言わせぬ圧迫があった。奥の暗い廊から姿を見せた父の勝夫(かつお)は、「ああ、入れ」とく言だけ呟き、すぐに居の方へと背を向けた。

通された畳のには、派な座卓が置かれ、央には湯気をてる真鍮製のすき焼き鍋が据えられていた。りの等な牛肉、艶やかに盛り付けられた本マグロの刺、そして元の銘酒の瓶が並んでいる。座卓の座には、すでに直の兄である太(ふとし)がどっかりと胡座をかいて座っていた。直より歳の太は、骨太な体躯に脂の乗った赤ら顔をしており、父親譲りの鋭いで遥を迎えた。

「遥さん、よろしくね。直から話は聞いてるよ」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

座布団に正座し、産を差ししながら、遥は部のをそれとなく見渡した。の広さに対して、座卓を囲んでいるのは勝夫、勝枝、太、直、そして遥のだけだった。

座席が、つりない。

直から事に見せてもらっていた結婚の族写真には、太の隣で優しげに微笑む女性の姿があった。

義兄の妻である真帆(まほ)だ。

「あの……真帆さんは、本はいらっしゃらないのでしょうか?」

遥が何気なく尋ねた瞬、の空気がわずかに軋んだ。勝枝はすき焼きの鍋に割りを注ぎながら、顔つ変えずに答えた。

「台所にいるわよ。あの子、しから胃の調子が悪いみたいでね」

「そうなんだよ。肉や刺の匂いを嗅ぐと気分が悪くなるらしくてさ、向こうで休ませてるんだ」

太が酒をグラスに注ぎながら、さも気遣っているかのような調で付け加えた。その言葉を聞いた直は、元の箸を見つめたまま、言も発さずに線を伏せた。

直の沈黙に、遥は喉の奥が微かにざらつくような違を覚えた。もし本当に体調良なら、寝で休ませるか、あるいは「体調が悪くて同席できず申し訳ない」という本の挨拶があっても自然ではない。なぜ、事の準備をする台所にで留め置かれているのか。しかし、初めてを踏み入れた義実の席で、それ以く詮索することはできなかった。

「さあさあ、慮しないでたくさんべてね。お肉、良いところを取ってきたんだから」

勝枝が取り皿に肉を運んでくれる。遥は「ありがとうございます」とをげて箸を取ったが、甘辛い醤油と肉のりがち込める空ので、胸のざわつきは消えなかった。

「遥さんは、総病院で薬剤師をしてるんだってね」

太がビールを喉に流し込みながら、を乗りしてきた。

「はい。県病院の調剤薬局に勤務しております」

「いいねえ、国資格職は。公務員待遇だし、うちの会社みたいに景気にされない。定してるのが番だよ」

太が満げに頷く横で、勝枝がふとを止め、遥を正面から見据えた。

「結婚しても、そのお仕事はずっと続けるおつもりなの?」

「はい。今のところは、退職する予定はございません」

遥が落ち着いた声で返すと、勝枝の眉にかすかな満の皺が寄った。

「そう……まあ、今はそういう代だものね。でも、のことや親戚の付きいをおろそかにされては困るけれど」

「母さん、今はそういう話をするじゃないだろ」

直がさくを挟んで母親をたしなめたが、勝枝は「何も悪いことなんて言ってないじゃないの」と甲い笑い声をげて受け流した。

すき焼きが煮え、男たちが酒杯をねるも、廊の向こうの台所からの気配や音がづいてくる様子は切なかった。分ほどが過ぎた頃、座卓ののポットが空になっていることに気づいた遥は、を決してちがった。

「すみません、おをしいただいてまいります」

「あら、蔵庫に入ってるから適当にしてちょうだい」

勝枝の返事を受け、遥はの襖をけて廊へた。古い造特の気が袋の底から伝わってくる。暗い廊を突き当たりまでみ、すりガラスの引き戸を静かにけた。

その瞬、遥は台所の入りで息を呑み、を踏みすことができなくなった。

え切ったタイルの。換気扇の回る音だけがく響く暗い空の片隅、ステンレスの流し台の真横に置かれた丸子に、の女性が背を丸めて座っていた。

真帆だった。

彼女のには、欠けのある陶器の茶碗がつだけ握られていた。に盛られていたのは、湯気すらっていない、のを注がれただけのたい米だった。おかずの鉢も、汁物の椀もない。ただ、さな皿に、古漬けのたくあんが寸ほどのさで切れだけ添えられている。

真帆は、居から漏れ聞こえてくる笑い声やすき焼きの匂いから逃げるように、壁に向かってそのかけご飯を、ずつ械に喉へ流し込んでいた。

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