みかん小説
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"婿との温泉旅行で、仲居から渡された「逃げて」のメモ" 第2話

妻が残した巾着

正のは埼玉県川越の宅のれにあった。自分が歳のに建てた造ので、縁側の欅板はく雑巾で磨かれ、庭の柿のは階の窓に届くほど育っていた。娘の美咲がまれた、妻の吉とで植えたである。になると、吉は実のを確かめながら「今は鳥と競争ですね」と笑った。

吉がくなったのはのだった。務を畳んでからも正は朝に目を覚まし、仏壇へぶりの湯呑みを供え、庭を見てから朝飯を作る。職の弁当まで毎こしらえ、帳簿の尻をわせてくれた妻に、分な礼を言えなかったことが残りだった。病でようやく「ありがとう」と伝えると、吉は「それより美咲を頼みます。あの子はつらいほど平気な顔をしますから」と言った。

美咲は歳になり、都内の会社で経理をしていた。に結婚した夫の達也は歳で、産会社の営業職だという。初めて挨拶に来た、達也は玄関で々とをげ、「美咲さんを幸せにします」とはっきり約束した。にがると、柱や井を見回し、「この辺りでこれほど広いは珍しいですね」とした。正はその言葉を、仕事柄の癖だと受け取っていた。

吉の葬儀でも達也はよくいた。受付を仕切り、方の親戚の案内まで引き受け、正が礼を言うと「族ですから」

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と笑った。そのも盆と暮れには産を持って訪ねてくる。正は数のない娘に代わって、達也が夫婦の況を話してくれることをありがたくっていた。だからこそ、に美咲が痩せて見えたも、達也の「決算で忙しいんですよ」という説を疑わなかった。

旅の支度をしている、正は押入れから吉と最にかけたの茶い鞄を取りした。持ちの革がし擦り切れていたが、買い替える気にはならなかった。にはの毛糸の襟巻きも残っている。妻が編んでくれたものだ。正は襟巻きを丁寧に畳み、旅へ持っていくことにした。自分がこんなに旅を楽しみにしているのが、し恥ずかしかった。

半ばの曜、夕を片づけた頃に達也から話があった。「お父さん、たまには男で温泉へきませんか。くなったお母さんとよく旅なさっていたと、美咲から聞きました」。信州のに、昭初期の造建築が残る宿を見つけたという。だった正なら梁を見るだけでも楽しめるはずだと話す声に、正の胸は温かくなった。

ところが話の終わりに、達也は妙な頼みをした。「宿の続きで必だそうなので、実印をお持ちいただけますか」。正が宿泊に実印などるのかと尋ねると、達也は古い旅館独特の決まりだと言った。

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話を切ったあと、正は何度も首をかしげた。の引き渡しに何回もち会ってきたには、印鑑の扱いを軽く考えることができなかった。

その夜、正は美咲に話した。「温泉の話、聞いたよ。おも来られればいいのにな」。美咲は末の仕事が忙しいからと答えたが、声に張りがなかった。「お父さん、あのね」と言いかけたところで、向こうからドアのく音がした。すると美咲は急にるい調子になり、「はえるから着を忘れないで」と言って話を切った。

発の夜、正は仏壇の引きしから実印をした。旅鞄へ放り込むのはためらわれ、吉が縫った巾着に入れて着の内ポケットへしまう。娘の様子が気になり、携帯話を持たない正は、もう度固定話の受話器を取った。だが夜遅く夫婦の暮らしに踏み込むことをためらい、番号を最まで押せなかった。そのに聞いておけばよかったと、のちに何度もうことになる。

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