みかん小説
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"婿との温泉旅行で、仲居から渡された「逃げて」のメモ" 第3話

で聞いた値段

発の、達也は朝ちょうどにい乗用で迎えに来た。正がを閉めているに鞄を部座席へ積み、助席の扉をけて待っていた。座席の元には、みのある黒い類鞄が置かれていた。「仕事かね」と聞くと、達也は曜に使う資料だと答え、元へ押し込んだ。正はその、仕事な男だとしかわなかった。

は速をへり、稲刈りの終わった田んぼとづき始めた並みが窓のを流れた。達也は景気の話や最のの値きをよく話し、美咲の煮物が吉のに似てきたとも言った。正は笑って聞いていたが、いトンネルを抜けた頃、話題がに自分のへ移った。「お父さん、あのお宅でお暮らしは変でしょう。今なら相当な値段がつきますよ」。

正は、あのには吉と暮らしたがあるから売るつもりはない、と答えた。達也はすぐに「もちろんお気持ちは分かります」と引きがったが、ハンドルを握る指先は落ち着きなくいていた。昼に寄った蕎麦でも、達也は正へ酒を勧めた。運転する自分はめないから、せめて義父だけでも楽しんでほしいという。正は夜の事に取っておくと断った。

午過ぎ、は渓流を見ろす斜面の旅館に着いた。黒ずんだ造階建ての建物には、い軒と派な黒柱があり、正は玄関へ入るから見入ってしまった。

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磨かれた廊の板には、の音が残した柔らかな艶がある。誰が建てたのからないが、材を選んだのと誇りが伝わってきた。

帳の脇には古い柱計が置かれ、振り子がゆっくりと揺れていた。正は旅館の板の継ぎ目を眺め、をかけた職の苦労を像した。の仕事は、建てたそのに終わるものではない。何もを受け、がみ、直しながら使われて初めて良し悪しが分かる。だからこそ正は、古い建物を切にする宿のたちにも自然と親しみを覚えていた。

帳で宿帳を差ししたのは、藤の着物を着た代半ばの仲居だった。正が所と名を丁寧にくと、仲居の目が「埼玉県川越 桐正」の文字で止まった。顔をげて正を確かめるように見たあと、何事もなかったようにをげた。部へ向かう途、黒柱を撫でる正に「お客様はさんでいらっしゃいますか」と尋ねただけ、声がし震えた。

階の角部からは渓流と葉が見渡せた。達也は嫌で酒瓶を取りし、夕までのに杯どうかと勧めた。正が呂のはまないと言うと、達也はすぐに笑顔を作ったが、線は何度も黒い鞄へ向かった。「あとでしだけ、お父さんに見ていただきたい類がありまして」

と言い、途まで取りしたを引っ込める。

「ところで、実印はお持ちいただけましたか」。達也は湯呑みを置き、何気ない調子を装って尋ねた。正が着の胸を軽く叩くと、達也の目がそのきを追った。宿の続きなら帳で使うはずなのに、仲居は実印のことなど言も言わなかった。正は初めて、旅先に印鑑を持参したことを悔した。

それでも娘の夫を疑い切れず、正は先に呂へ向かった。巾着は浴の帯へ移し、脱所でも類と緒に元の棚へ置いた。湯舟にを沈めると、吉と最に温泉へ来たのことがいされた。あの、妻は湯がりにたい麦茶を用して待っていてくれた。今度帰ったら、美咲にも久しぶりにゆっくり会おうと、正はそこで決めた。

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