みかん小説
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"婿との温泉旅行で、仲居から渡された「逃げて」のメモ" 第4話

裏階段のかり

呂から戻る途、正は階の階段脇で話をする達也を見かけた。「ええ、今夜のうちに。の朝にはにいます」。声をかけると達也は素く通話を終え、会社からの話だと笑った。の宿は肌寒いほどだったのに、額にはく汗が浮かんでいた。正がそれ以聞かなかったのは、すでに何かを察していたからかもしれない。

部へ戻ると、達也はまた酒を勧めた。正の湯呑みには縁くまで注ぎ、自分の分は底を濡らす程度しか入れなかった。「せっかく買った酒ですから」と繰り返す達也に、正は「飯と緒の方がうまい」と答えた。ちょうど携帯話が鳴り、達也は鞄を座卓のへ押し込んで廊へた。その直に仲居が茶を替えに来て、切れを握らせたのである。

裏階段をりた正は、勝で仲居から半纏と履を受け取った。はもう暗く、薪のにい軽自が止まっている。運転席から作業着の男がり、くをげた。「主です。送迎と修繕をしております。駅のりいの宿へお連れします」。仲居は何度も廊を振り返り、を気にしていた。

「待ってくれ。あんたは俺を『親方』と呼んだな」。正が尋ねると、仲居は胸元で両をねた。「井苗と申します。旧姓は尾です。川越の『すずらん堂』をごじでしょうか」

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。正はわず声を失った。駅からしれた商にあったさな定の名が、ぶりにへ戻ってきた。

周はの部座席に毛布を敷き、正が寒くないようを入れた。をるに、苗は運転席の窓から夫へ何かを声で伝えた。周はくうなずき、正には何も尋ねなかった。その沈黙がありがたかった。今の正には、婿を責める言葉も自分の迂闊さを弁解する言葉も見つからない。ただ、へ帰るがあるということだけが救いだった。

すずらん堂は、の事でを焼いたことがあった。隣からのもらいで、主の尾は焼け跡に座り込んでいた。保険は分でなく、娘の学費用に蓄えを使った直だったという。正は図面を枚持ってき、「までに建て直そう。代はが回り始めてからでいい」と言った。吉にはずいぶん叱られたが、はに再し、かけて事代を返してくれた。

「父はくなるまで、桐の親方にを向けて寝られないと言っておりました」。苗はそう話し、目元を赤くした。だった自分が差し入れの握り飯を配ったことまで、正はおぼろげにいした。宿帳の名を見たは信じられなかったが、黒柱を撫でるつきで確信したのだという。「父のの柱がったも、親方は同じようにを撫でていらっしゃいました」

。

苗が廊で聞いた達也の話は、正のらない顔をさらしていた。「爺は酒にい。酔わせてしまえば判は押す。との類は揃えてある。朝番で来てくれ」。宿の従業員が客の会話を漏らすのは許されないと分かっていた。それでも苗は、何もせずに見過ごせばき父に顔向けできないとったのだ。

正は苗の荒れたを両で包み、くをげた。礼を言おうとしても言葉にならない。軽自に乗り込むと、苗の夫の周が静かにエンジンをかけた。が裏をり始めた、旅館の表玄関の方にがいた。正は振り返らなかったが、あの男が自分のに気づくまで、もうくはないと分かっていた。

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