みかん小説
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"花嫁のいない結婚式" 第1話

扉の隙から零れた毒

廊に敷き詰められた濃紺の絨毯は、靴音を吸い込むほどく、静まり返っていた。 刻は午を回ったところ。翌に結婚式を控えた沿いのリゾートホテルは、夜の帳のでかすかな潮騒だけを響かせている。 私――川由(はせがわ・ゆい・歳)は、両で抱えた保温容器の温もりを確かめながら、郎側のスイートルームのでを止めた。 容器のには、彼のために作ったばかりの雑炊が入っている。夕方の最終打ちわせを終えた、婚約者である黒田瞬(くろだ・しゅん・歳)が「極度の緊張で胃が激痛のように痛む、何も喉を通らない」と青ざめた顔で訴えていたからだ。ホテルくのウィークリーマンションのを借りていた私は、キッチンにち、昆布と鰹節で丁寧に番汁を引き、鶏胸肉を米粒ほどの細かさに刻み、すりろした姜の搾り汁を加えた。彼が普段から好む、塩分を極限まで控えたの特製雑炊。これをべれば、しは胃の痛みもらぎ、のれ台に万全の体調で臨めるはずだと信じて疑っていなかった。

しかし、部の扉ノブにを伸ばしかけた瞬、私のきは直した。 ドアが完全に閉まっておらず、数センチほどの隙から淡いが漏れしていたのだ。

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そして、その奥から聞こえてきたのは、瞬の笑い声と、彼の学代からの無の親友であり、の披宴で友代表のスピーチを務めることになっている森本匠(もりもと・たくみ)の苦しい声だった。

「おい瞬、本当なんだな? ……織(かおり)が先週、ロンドンから完全に帰国したって話。お、すでに会ったのか?」 匠の放ったその名に、私の臓が自然にねがった。 野織。 、瞬が結婚寸まで交際し、両の顔わせまで済ませていながら、突如として破局を迎えた元婚約者の名だ。瞬からは「彼女が勤務のキャリアを選び、自分を捨ててロンドンへってしまった」とだけ聞かされていた。失恋の痛からち直れずにいた瞬とに会い、献に寄り添い、彼の傷を癒やしてきたのが私だったはずだ。

「ああ、回ほど会ったよ」 隙から漏れてくる瞬の声には、先ほどまで胃痛に呻いていたはずの衰など微もじられなかった。それどころか、親友をからかうような、どこか誇らしげで平然とした響きすらあった。 「向こうの父親がい病気で倒れたらしくてな。昔預けっぱなしにしてた私物の理ついでに連絡が来たんだ。座のフレンチと、ホテルのラウンジで軽く茶をしばいただけだよ」

「お……、結婚式なんだぞ?」

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匠の声音に、らかなりと呆れが混ざり始めた。 「由ちゃんはどうするんだよ。あんなに健気におの体調を配して、さっきも胃に優しいもの作ってくるってって部をていったんだぞ。おを支えてくれた由ちゃんを、体何だとってるんだ?」

ほんの数秒の沈黙が横たわった。 だが、そのわずかな空が、私には永の断台のようにえた。 保温容器を握る私の指先が、く張り、カタカタと震え始める。 そして、瞬の唇から吐きされたのは、私ののすべてを無残に叩き壊す、酷極まりない言だった。

「あいつはただの代わりだよ」

瞬の声は、頃私を「由」と優しく呼ぶときと、恐ろしいほど同じ甘やかさを孕んでいた。 「織に似てるところがあったんだよ。物静かで、派なを言わずに俺をててくれて、料理も庭でさ。だから元に置くにはちょうどよかった。……でもさ、もし織が『本気でもう度やり直して』って俺に言ってきたら、自分がどうするか正直わからない」

「……お、本気で言ってるのか?」

「ああ。だけど織は何も言わなかった。だからの式は、予定通り由とやるさ。波てる理由もないしな」

その瞬、私のので、何かが音をてて々に砕け散った。 りや叫びではない。全の血液が元からすべて抜け落ち、の底へ沈んでいくような、圧倒な氷の静寂が私を支配していた。

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