"出征前夜、夫から突然の離縁状――日記に隠された本心" 第3話
赤い
その、淳さんはいつもよりく帰ってきた。
玄関で「ただいま」と言う声がかったので、私は台所から顔をした。淳さんは靴を脱いだまま、しばらくがり框に座っていた。には通の封が握られていた。
見た瞬、私は何のらせか分かった。
町ではしから、同じような通を受け取ったの話が増えていた。百の次男も、隣町の郵便局員も、それを受け取ってほどなく征したと聞いていた。
召集令状だった。
「旦様……」
淳さんは私を見なかった。
「夕飯にしてください」
いつも通りの声だった。
私は何も聞けなかった。
卓には鰤の照り焼きと、菜ののおひたし、噌汁を並べた。先にしてはし奮発した献だったが、淳さんは黙って箸をかしていた。いつもなら最まできれいにべるなのに、そのは茶碗に米をし残した。
「いつ、なのですか」
い切って尋ねた。
箸が止まった。
「です」
。
私は膝ので両を握った。
「どちらへかれるのでしょう」
「まだ言えません」
「どのくらい……」
そこまで言って、を閉じた。
どのくらいで帰ってきますか。
そんな問いに答えられるはずがない。
淳さんはしばらく黙っていたが、やがて「片付けはからします」とだけ言った。
その夜、私はほとんど眠れなかった。
淳さんも眠っていないようだった。
広告
襖枚隔てた隣から、折、をめくる音が聞こえた。をいているのだろうか。軍から渡された類を確認しているのだろうか。
私は何度も襖にをかけようとした。
けれど、そのたびに引っ込めた。
夫婦になってまだ数か。ようやくこのが怖くなくなり、同じで暮らすことに慣れてきたばかりだった。それなのに、何を言えばいいのか分からない。
翌朝から淳さんは変わった。
それまで以に数がなくなった。
私が荷物を伝おうとすれば、「触らなくていい」と言う。軍のほころびを直そうとすれば、「自分でやります」と針を取りげる。夕の好物を尋ねても、「何でもいい」。
まるで、わざと私とのに壁を作っているようだった。
目の夜、私はとうとう聞いた。
「私が何かしましたか」
淳さんが顔をげた。
「何のことです」
「旦様は、この、私とお話しになりません」
「からそうでしょう」
「違います」
自分でも驚くほど、はっきり言えた。
「とは違います」
淳さんの目が揺れた。
けれど、すぐに元の無表に戻った。
「考えすぎです」
「では、どうして――」
「キヌさん」
嫁いでから初めて、名を呼ばれた。
胸が鳴った。
しかし、その次に続いた言葉は、私が待ち望んでいたものとは正反対だった。
「の夜、事な話があります」
それだけ言うと、淳さんはちがった。
広告
私は名を呼ばれたびよりも、その声のさの方が怖かった。
翌は朝からだった。
私は淳さんの征準備を伝いながら、何度も横顔を盗み見た。軍を畳み、着を揃え、裁縫具をさな袋に入れる。何かしていなければ、胸が押しつぶされそうだった。
夕方、がやんだ。
事のあと、淳さんは私を座敷へ呼んだ。
卓に、枚のが置かれていた。
「座ってください」
私は膝をついた。
淳さんはしばらくそのを見つめたあと、い声で言った。
「、私はます」
「はい」
「そのに、あなたとの縁を切ります」
言葉のが理解できなかった。
「……え?」
「縁します」
のが真っになった。
召集令状が届いてから、私は夫が戦へくことばかり考えていた。
帰ってくるのか。
怪をしないか。
最に何を作ってべてもらおうか。
なのに淳さんが考えていたのは、私を妻でなくすることだった。
「どうしてですか」
声が震えた。
淳さんは答えなかった。
「私が何か至らなかったのでしょうか」
「違います」
「では、なぜ」
い沈黙のあと、淳さんは私から目を逸らした。
「待たなくていいからです」
「……待つ?」
「あなたはまだ若い。実へ帰って、別のと暮らせばいい」
あまりにも淡々とした言い方だった。
私は唇を噛んだ。
「私は、帰りたいなどと言っていません」
「私が帰れと言っています」
その瞬、胸のにあったものがえた。
結局、このも同じなのだ。
叔母が支度を受け取って私を送りしたように、淳さんも自分の都で私をからす。
優しさだとっていた湯も、傘も、拭いも。
全部、私が勝にを見つけていただけだったのかもしれない。
淳さんはを私のへ押しした。
「の朝、駅まで来なくていい」
「……分かりました」
私はそれ以何も言わなかった。
を受け取り、ちがった。
けれど襖を閉める直、ろからさな声がした。
「すまない」
振り返ったには、淳さんはもう顔を伏せていた。
広告
おすすめ作品
-
完結第20話
7年伸ばした髪を妹に切られた日、婚約者まで笑った
七年間大切に伸ばしてきた髪を、妹の美緒に突然切り落とされた凛。ところが両親も婚約者の修も、泣きそうな彼女を見て笑うばかり。それどころか、凛が泣き出すまでの時間を賭けていた。 長年、家族のために自分の希望を諦めてきた凛は、ついに婚約を破棄し、遠く福岡への転勤を決意する。 だが、彼女が去ったあと、家族が遊び半分で撮影していた動画から、思いがけない事実が明らかになっていく。 失った七年間を取り戻すように、新しい人生を歩み始めた凛。彼女を笑い続けた人々を待ち受ける結末とは――。因果応報|人生逆転|嫁姑|夫婦|真相|第二の人生2.9万字5 5 -
完結第16話
義実家同居を勝手に決めた夫、私は別の新居へ引っ越した
結婚七年目の栗原早苗は、夫・正吾から突然、義実家での同居を告げられる。相談もなく決められた引っ越しに加え、義母からは朝食作りや洗濯、義父の弁当まで押しつけられることに。 何度反対しても、夫は「そのうち慣れる」と聞く耳を持たず、勝手に今のマンションまで解約してしまう。 追い詰められた早苗は、夫に内緒で自分だけの新居を契約。そして迎えた引っ越し当日、二台のトラックが別々の住所へ向かう。 義母からの三十件を超える着信。何も知らない夫が「荷物は全部運んだよな?」と尋ねたとき、早苗の静かな反撃が始まる。裡切られた|嫁姑|夫婦|金銭問題|修羅場2.1万字5 39 -
完結第20話
昭和46年、優勝した妻に夫が告げた「帰るな」
昭和46年、大阪。48歳の主婦・榎本春子は、町内のボウリング大会で男性たちを抑え、見事優勝を果たした。しかし夫・信夫から返ってきたのは祝福ではなく、「そんなに好きなら、もう家には帰るな」という冷たい言葉だった。 小さな鞄を手に家を出た春子は、同じように自分の時間を持てなかった女性たちのため、ボウリング教室を始めようとする。 ところが、会場の予約に夫の会社が割り込み、申込書には身に覚えのない「本人了承済み」の文字が。 妻として、母として生きてきた春子が、初めて自分の人生を選び直す。昭和のボウリングブームを背景に描く、再出発の物語。時代|歴史|昭和2.8万字5 32 -
完結第20話
四十九日の絶縁
夫を突然亡くした三十七歳の裕子。悲しみに暮れる間もなく迎えた四十九日法要の日、帰宅した彼女を待っていたのは、ゴミ捨て場に放り出された自分の荷物だった。「息子が死んだら嫁は赤の他人よ!」そう言い放つ姑は、さらに幼い二人の子供まで裕子から引き離そうとする。だが、姑が三歳の息子だけを異常に可愛がる裏には、恐ろしい計画が隠されていた。子供たちを守るため、裕子は静かに反撃の準備を始める。そして数か月後、助けを求めて電話してきた姑に、裕子が告げた言葉とは――。人生逆転|裡切られた|嫁姑|夫婦|相続|裡の顔|介護2.3万字5 1609 -
完結第20話
「息子が高熱なのに来い!」夫一家に185万円の請求書を押しつけられた私の正体
夫と義家族から「何もできない専業主婦」と見下され、金銭まで搾り取られてきた松岡美央。しかし彼女には、世界的なホテルグループの最高責任者という、誰にも明かしていない秘密があった。ある夜、高熱を出した息子を看病していると、義母から三十件以上の着信が届く。「緊急事態だから今すぐ来なさい!」慌ててホテルへ駆けつけた美央を待っていたのは、豪華な食事を楽しむ夫一家と、185万円もの請求書だった。裡切られた|怒り|嫁姑|夫婦|親子関係|修羅場2.6万字5 1875 -
完結第10話
元夫に投げつけられたカード、残高は一億五千万円
「もう二度と、俺の前に現れるな」離婚の日、夫の大地に冷たく突き放され、ひな子は六歳の息子とともに家を追い出された。渡されたのは、養育費を振り込むという一枚のキャッシュカードだけ。ひな子はそれを封印し、工場で働きながら必死に息子を育ててきた。三年後、口座を解約するため銀行を訪れると、なぜか支店長自らが現れ、特別応接室へ案内される。通帳に記されていた残高は、なんと一億五千万円。さらに差し出されたのは、元夫の筆跡で「ひな子へ」と書かれた一通の封筒だった。あの日の冷酷な離婚には、誰も知らない秘密が隠されていた――。夫婦|真実|第二の人生|金銭問題|熟年離婚1.6万字5 994 -
完結第22話
大正十四年、卒業式で制服を脱いだ三十七人――母の署名に隠された秘密
大正十四年、信州の私立女学校。卒業を控えた小林操は、式服の代金を払えない七人の同級生が、記念写真から外されると知る。卒業式当日、三十七人の少女たちは一斉に紺色の上衣を脱ぎ、学校の決定に抗議した。しかし校長は卒業証書の交付を拒否。さらに、式服を仕立てた十二人の女性たちにも賃金が支払われていないことが明らかになる。しかも、学校の注文が取り消された場合の弁償書には、操の母の署名があった。友人を守るための行動が、なぜ母たちの暮らしを脅かすことになったのか。時代|歴史|昭和3.0万字5 280